見出し画像

汚部屋出身者の部屋づくり

物心ついた時から、片付けが苦手だった。
お絵描きや物語をつくることが好きで、描いたものを捨てることができない。整理整頓して収納することもできない。そもそも、使ったあとで元の場所に戻すことが苦手だった。
学校で「明日は三角定規を持ってくるように」と言われたら学校の机と家の机を漁り、結局姉に借りることになる。そして、姉の三角定規をなくす。今でも実家の自室で本を探そうとした時に、本棚の隙間から直角三角形のそれが発掘されたりすることがある。
部屋の床は放り出されたものたちで埋め尽くされ、そこに自分の足を置けるだけの獣道ができているのみ。

そんな自分が結婚することになり、したことは図書館通いだった。
ハウスキーピングや断捨離、インテリアの本を読み漁った。
何もないからっぽのアパートに搬入するもの、購入するものを最小限にし、収納法やミニマリズムを学べば片付いた家に住めるのではないか。人生をやり直せるのではないかと考えたのだ。
筋金入りのズボラ女であるわたしは「手抜き家事」「ズボラのための料理」の本を夢中で読んだ。
わかったことは、世の中には「自称ズボラ」がたくさんいるということだった。
「ズボラなので、整理しやすいように調味料は可愛い容器に詰め替えてます」
「ズボラなので、週末は作り置きをする日と決めてます」
「ズボラなので、早起きして一日の家事を朝のうちに終わらせちゃいます」
などと書いてあったが、わたしはズボラなので詰め替えも作り置きも面倒なのでやらない。朝はぎりぎりまで寝る。
その生活とその性格を見直せば、オシャレですっきりと片付いた暮らしができるのではないかと思ってみても、それはなかなか無理な話だった。
ミニマリストに憧れて、無駄なものは持たないように、必要なもの以外は収納するようにと心がけていたのに、今わたしの枕元には「月刊ムー」と手帳と数冊の本、ピュレグミ、ミッキーマウスの耳等が置かれている。

ミニマリストの人いわく、雑貨等も飾るのは控えるそうだ。
飾るとしても、厳選したお気に入りのもの(北欧のもの等)をごく少数、センス良く並べるべし。
頭でっかちになって学びすぎたわたしは入居前、それを実践しようと気合いを入れていた。
玄関には季節の花やすこしの雑貨を。リビングには思い出の写真やハイセンスな(このへんから既にざっくりしている)絵を。就寝スペースには余計なものは置かず、純粋に寝るための部屋として使う……。
しかし入居の日、わたしよりも数時間はやく新居に着いていた夫は、わたしの到着よりも先に玄関の飾り付けを始めていた。もちろん北欧テイストではなく、わたしの好みとは程遠かった。
それに、夫の持ち物のメインを占める本やマンガは隠しようもなく本棚に詰め込まれている。リビングに置いた本棚の上はこれはまた夫の趣味のグッズが彼のセンスで並べられることになった。
それを見て、脱力した。いらない力が抜けたようにも思う。よく考えたら、わたしはそもそも北欧にはそこまで興味がなかったのだ。ムーミンもほとんど読んだことがないし。
結局、自分の趣味で飾れるスペースはごく限られた場所になった。
だいたい、ひとり暮らしではなく二人なのに、どうして全て自分の思い通りにできるなんて思っていたんだろう。


自分で飾れる貴重なスペースは結局、こんなかんじになった。
いただきものや買ったもの、置き場所に悩んだお守りが置かれているが、冷静に見てみると動物ばかりである。自分が動物好きなのがよくわかる。
もっと良い飾り方がありそうな気もするが、このへんがわたしの限界だと今は思っている。
部屋は全体的には、ものすごくきれいというわけではないものの、足の踏み場はしっかりある。少なくとも汚部屋ではないと思う。おしゃれでもミニマムでもない、生活感のあるふつうの家だ。
わたしのズボラな性格は矯正できていないし、片付けが苦手なところはこの先も変わらないと思う。
でも、常にきれいに片付いている部屋で暮らすことよりも、夫の趣味の品を眺めたり、自分のスペースを時々いじったりすることの方がわたしには合っている、と今は思う。
もう少しだけ片付け上手には、なりたいけれど。
まずは、枕元のミッキーマウスの耳をどこにしまうか考えなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?