草間彌生さんの無名の頃。
私は、芸術紹介のバラエティ番組で構成作家をしていたことがあります。
一番思い出深いのは草間彌生を担当したことでした。
当時は日本では完全無名で、敬老の日に元気なおばあちゃんアーティスト大集合のような扱いでブッキングされていました。ペット大集合みたいなw
専門家が来て、興奮して言います。
「この人はそんなほのぼのしたおばあちゃんじゃない!世界的な巨匠!このおばあちゃんで番組1本60分作れる人!」
当時本当に無名で、誰も信じませんでした。しかし画商の資料やキュレーター用の希少本など読みますと、画商の間では超有名で。国内で展覧会こそありませんが、作品が保管された倉庫のそのたたずまいからしても、ただものではないことがわかりました。
子供の頃から神経症で家族の似顔絵にボツボツとドットを埋め尽くしています。末恐ろしい子供の絵です。
芸術家として心の病と闘いながら若くしてニューヨークに渡り、全裸で走り、国旗をバスタオルの様にまとう映像も見られました。
また個展も大盛況で、うわさによれば、おのよーこさんは、NYで評価が高い草間のやり方をパクって、海外で戦略的に個展を開きジョンレノンを射止めたといわれています。
センセーショナルな立体作品やドットでおなじみのグラフィックの数々。どれも神経症由来で、点で埋め尽くすというのが彼女のモチーフです。子供の頃から病的に埋め尽くしてきた点の美意識はすごいものだと思います。(一時期それっぽいドット柄が日本で流行ったことがありますが、草間さんのドットとくらべて大変物足りない。単純に見えて誰もマネさえできません。)
そんな彼女は、番組紹介当時もう、精神病院のアトリエで作品を描いていたと思います。
生粋の心の病人なのです。
スタジオでは過激でキャッチーなVTRを流し、私がナレーションを書きました。自分の病に芸術という斧を持って立ち向かっていったとか、みんなでまだ無名の(通常バラエティでは心の病気は放送禁止ですが)そのすばらしさをノリノリでかっこよくしました。いつの間にか皆、草間おばあちゃんのファンになっていました。
スタジオでは、透明度の高いビニールのカッパをタレントたちに着てもらい、草間さんは蛍光塗料の筆で、カッパにドットをいい具合に描いていきます。生々しく明るく素直でたいへんフェティシズムがある恐ろしくチャーミングな世界でした。
私はスタジオで間近で全景とプロセスをみました。思い出すたび、恍惚感があります。それは今も美しい光景です。
当初は、誰も知らないおばあちゃんのブツブツな作品でしたが。私のようなアホでも専門書をいくつも読み解き、隠された映像や病気の裏歴史などを知ると、アートが何億倍も大きく、宇宙を包み込むようにまばゆく感じます。
その番組では芸術のあらゆる未知の分野を遊ぶように体験することが出来ました。
それらの経験が無かったら私は、その後訪れる数々の人生の困難にぜつぼうして耐えられず死んでいたことでしょう。
当時は目まぐるしく過ぎる仕事の一つでしたが、その後、私の心の核をなす要素になっています。番組とのめぐりあいとスタッフに心から感謝しています。