写真の威力
誰もがカメラ機能付き端末を持ち歩く今の時代、
写真の価値は薄れていっている。
景勝地に行けば誰もがスマホをかざし、景色を見る前にまず写真。
美味しいものが出てきたら写真、
美術館のアート作品も写真、
今日のコーディネートも、受け取った花束も
まずは写真に収めて記録する。
とりあえず撮っとけば、後で消せるし。
もちろん本当に大切な瞬間を収めたい時もあるけれど、
昔と比べて今の写真はとにかく量産型である。
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ある日、地域に暮らすご老人を訪問する機会があった。
その方は農業を営んでいて、曲がった腰に背丈も低く、
私が時々ご自宅の近くを通り過ぎる時には
畑の真ん中にぽつんと立って農作業をやっていたりする。
訪問した時に、はじめていろいろとお話を聞かせていただいた。
農業が本職である一方、長年の趣味でパンを焼いていること、
自宅の近くに小屋を建て、地域住民の憩いの場にしたこと、
山登りが好きだったこと。
興味深く話を聞いていたら、帰り際に、小屋の中を覗いていくか?と
わざわざ小屋の鍵を開けてくださった。
その小屋は車道に面していて、私もよく車で通り過ぎていたけれど、
中の様子を想像したことは無かった。
入ってみると、ヒノキの良い香りがした。
そのご老人が自力で建てたという木造小屋で、10人以上は腰かけられそうな長テーブルと長椅子もすべて木でできていて、天井からは大きなアンティーク調のランプが吊るされていた。
キッチンの水切りかごは食器やマグカップ類がたくさん入っていて、
確かに人が訪れている気配がした。
夜には飲みの場にもなったりして、ワインがよく持ち寄られるそうだ。
天井近くの壁に、山の写真が額縁に入って並んでいた。
雪山の写真が多く、険しい尾根で撮られたものや、
斜面に立ち並ぶ木々を写したものなどがあった。
白黒かカラーか判別できないくらい色は褪せていて
それでもかなり本格的なカメラで撮影されたのだろうと分かるほど、
人里からは隔絶された高山の広大な風景が
当時の登山の過酷さと冒険の歴史を厳かに物語っている。
若い頃はよく山に登ったとご老人が言った。もう50年ほど前のことだ。
額縁に飾られた山々の写真を見たら、その人が背負ってきたもの、その人が芯に秘めてきたものが表になって迫ってくる気がして、畏敬の念を感じられずにはいられなかった。
自分はしょうもない写真ばかりよく撮る。
美しい夕焼けやエメラルドグリーンの海、
旅をしながら各国で撮った写真など、気に入ったものも多いけれど
他人に自分の生きざまを見せつけるような、
説得力のある1枚というのはまだ無い。
今回の件は、これぞ写真の持つ力というものを
まざまざと実感させられた出来事だった。
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