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目の前で起こってることは全て自分が起こしている

私は、自分の子供や家族が具合が悪くなったりして苦しむ姿を見ると、ものすごく心配になり、その心配が過剰になり、怖くなり、恐怖に飲み込まれてしまう。こんな思いをするくらいなら子供を持たなきゃ良かった、とまで思ってしまうくらい。異常である。

これは自分が小さい頃からそうで、この「誰かの体調不良への心配性」は大人になった今でも全く治らない。治らないというか、変わらない。

ここでふと、完全に感情に振り回されていることに気付く。感情は自分の体を通って流れていくだけのもの。

目の前で起きていることは、どんな出来事だとしても、全て自分が起こしている。起きている現実は、自分が見たいものを投影して、スクリーンに映し出しているだけのこと。そのスクリーンにベッタリ張り付いて入り込んで行ってしまうから、どこまでが現実で、どこからが現実じゃないのか分からなくなってしまい、もがき苦しむ。

これは並木良和さんの言葉。私は並木さんの言っていることは結構好きで参考にしていることも多い。ただ、統合のワークはイマイチしっくりこなくてやってない。自分が違和感を感じた部分は採用しない。これは自分が幸せに生きていくには重要なキーだと思う。

話を戻す。

現実で辛いことが起きているとき、自分が起こしているのだとしたら、気付かなきゃいけない何かがあるはずだ。

心の奥底に自分が握りしめていた感情。普段は自覚できないくらい奥にしまわれている。

目の前で起きた現実によって、自分はこんな恐怖を持っていたんだ、と気付くことができる。

出来事が起こったから怖くなったのではなく、元々恐怖を持っていたのが出来事によってあぶり出されただけである。

ドロドロした感情が表層に出てきて、自分で気付くことで初めて昇華する。

そんなことを繰り返しながら、だんだん本質的な自分に戻っていくんだと思う。本質的な自分とは、恐れがなく、穏やかで満ち足りた状態。

今、私たちは時代の変わり目にいて、今後二極化が進むという。

満ち足りた状態の自分に戻って本質的に目醒めた自分で生きていくか、もしくは今まで通り、日常のあれやこれやに感情的に振り回されて、本質的なところからは離れた状態で生きていくか。

コロナで一気に変わった生活様式。この時代の変化を肌で感じている人も多いと思う。

そろそろ、本来の自分に気付いて戻っていこうよ、という合図なのかな、と思ったりもする。

私は本来の自分で生きていく、という選択肢があることに気付いてしまったので、やはりそちらを選択したい。

本来の自分に戻っていくためには、ドロドロした重い感情を出して気付いていく工程が出てくる。だから一見するとこうした辛い出来事が起こる。

光に気付くには、闇にも目を向けなければ気付けない。

闇に気付いて切り捨てるのではなく、その闇を優しく抱きしめて、昇華し、光の自分に統合していくのだと思う。


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