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面談しよう!ー仲間が頑張っているんだもの。私だって負けないわ!

先日から生徒のことで悩みに悩んでいる私。
もう毎日そのことで頭は一杯。
ご時世はご時世。みんながまだ苦しい時期である。
なかなか教育費を掛けられないことくらいわかる。
だからこそこういうときほど信頼関係があるかないかがものを言う。
ごり押しで受講しようとして、それを何年も続けてきた親子に今日面談することにした。
というのも、Kaoriさんが一生懸命に闘っておられるのを読んで、

ああ、私だって負けてはおられないわ!

と思ったのである。

憧れのライターKaoriさんが、もしかしたら母校の後輩かもしれないし、違ってもとりあえず私が青春時代を過ごしたところでお住まいになっていることが先日わかり、なんだか嬉しくなってしまった。まだKaoriさんには打ち明けてないけど。

そんなKaoriさんが今とんでもなく闘っていらっしゃる。
果敢に勇敢に。強いKaoriさんだけど、その大変さは読む側にもものすごく伝わってくる。何もできないけど、朝晩祈ることしかできないけど。

仕事で悩んでしまって、自分のHPに文章を書くことから逃げて、noteを書き始めた頃にKaoriさんを知ったけど、もうもう雲の上の存在で、

ライターしておられるなんていいなあ・・・。

とぼんやり考えていた。

そして最近、ちょっとnoteに戻ってきた感じに書くようになって、あるときKaoriさんの北海道旅行の記事を読んで、旦那様と仲良くて、思い切り嬉しくて羨ましくて仕方がなかったのだけれど、Kaoriさんが闘病中だということを知った。

いろいろ考えさせられた。
本当に愛し愛されるってどういうことだろう?
夫婦って?

そして最近、私は自分のことで結構悩んでいた。

なんだかちょっとおかしいな、と思っていたけれど、生徒親子が、威嚇したり、嫌な態度を取ったりすることで、私をコントロールし、うまく支配下に置き、自分たちの思い通りにしようとしていたことが発覚した。

年末に、あれ?おかしいな、と思った瞬間があった。
入塾してきたころにもおかしいなと思っていたけれど、その後指導を入れ、話しもし、やはりそこは教師として、

ああ、こういうことを感じていたんだなあ・・・。

と反省もして指導を続けてきた。
コロナ禍だし、ご家庭の事情もあるからとご協力もしていた。

推薦入試を受ける選考に残るためには、学校の先生が英検二級を取っておいた方がよいとおっしゃったけど、どうしよう?と相談を受けた。

お金は掛かるし、今の状態で合格はしないだろうし、まあ一回では無理だなと思っていたし、一回で合格させるとなると、毎日でも個別指導をしなければならない。でも、そんなご提案もできないだろう。
要するにそれを実行するなら、どの道私に負担が掛かることになる。
加えて、大学受験が本格化する時期である。

その頃に、この人重たい指導だな、とは感じていた。
どんどんどんどん私の負担が増えるだけである。
加えて生意気。

私のことを友達に紹介するのに、古文オタクだと表現したらしい。
聞いた当時、私の思ったことは、

古文オタクということは、古文の指導についてだけは私のことを評価しているのね!

とむしろ嬉しいくらいのものだった。
これって変じゃない?

それを思い出してみて、

そうだ!彼女は私を古文オタクと言ったんだった。
私は古文、専門のはずだけど。

結局彼女は失礼だし、おそらくは無意識と言いながらわかって人をディすってる。

この構造の中に入った私は結構うまいことやられていたのだとわかった。
これでは心理学的に勉強したところの、いわゆる精神的DV状態下にいるのではないか?
私はデートDVならぬ教室DVを受けていたのではないか?
モラハラである。

ちょっとしたことの弱点を突いて、こちらの悪いところを用意している。
現在は一人でやっている(申し訳ないけど、誰かに手伝ってもらっても、伸びるわけではないので、ちょっと数年一人で回してみた。)ので、受験生たちや親御さんからのご連絡にはすぐ対応するようにしている。また、全体的に生徒さんたちの役に立てばいいと思っているので、結構フレキシブルに指導することにしている。
それなのに、彼女は自分なりの道徳で、

最初、スマホから音がしていたし、塾に来ても、どこに座ったらいいのかわからなかった。

と、現場をお見せできないからちょっとわかりにくいだろうけれど、みんながそれを理解していることまでも指摘してくる。

誰だって突きまわせばなんだって言えることはある。
仕事をしている主婦に、あれができていない、これができていないと言おうと思えばなんだって言えるのと同じである。

私は、ここ数年、自分の言動をどんどん制限されるのを感じていた。
それに季節の講習ごとに彼女の嫌がらせ的態度は起こった。

ニヤリと私の方を見て笑うのである。
新人の頃なら結構経験もしたけれど、こんな年季が入ってまでされるのはそれこそ新鮮である。

○○さん、何?

他の生徒は乗らないけれど、隣の生徒にチラッと耳打ちしてからニヤリと笑う。

今思えば講習中にそういうことをする理由がわかって来た。
彼女が嫌な態度をとるのは、お金のいるときである。

○○講習、どうする?

私はいつも季節の講習だからと他から生徒さんを集めたりはしないので、今いる生徒さんの都合に合わせて、みんなが受講しやすい形で組んでいる。
部活やときには友達との約束やお家の旅行にも合わせる。
塾のために制限することも、塾が制限されることも避けたいからである。
この春は私が旅立つことも先に伝えてある。

要するに、講習が終わってからもなかなか受講料をもって来ない彼女は、無言の圧力をかけて、なんとか気付いてもらって、安くするなりしてほしいのだろう。

思えば、お金が大変だというお話は何度も聞いていた。
そして、嫌な態度を出すのである。

ある日、私が自習室に上がって行って、挨拶をしても背中を向けたまま、何にも言わない。
よく自習室に来れるな、という関係性の頃だったのに、やってきた挙句、背中が、

あんた、なんとかしなさいよ!

と訴えているかのようだった。

話は戻る。

○○講習どうする?

と訊いたら、

やる!

と一番先に言うのは彼女である。
それなのに、受講料はなかなか持って来れない。

これっておかしい。
先生すみませんと頭を下げるならわかる。
受講したいのですが、最近厳しくて、だから・・・、とお願いされるのであればわかる。

お金を持って来れないのに、偉そうにする。

これはおかしい。
誰だって、自分の思うようにいかない。
それを何とか、というときには、アルバイトするなり、あるいは違うことをするなり、何だったら頭を下げるなり、何らかの痛みが自分の方にあってしかるべきである。
それなのに、自分は偉い人のままで人をどうにかしようとするからおかしいのである。

その構造がわかり始めていた。
さて、どうする?
先日面談をしたけれど、そうしたら、もともとの金額を払うとのこと。
だったら最初から払えばいい。

教育は息の長い営みであるから、そういう時期もあるだろう。
加えてコロナの影響だって、車で街を走っているとまだまだあることがわかる。
近くのショッピングセンターのお店が数件潰れているし、そのほかになくなってしまったこともある。
うちだって、ご協力してもおかしくはない。
みんなに少しずつやって来たし、その金額を思ってどうのこうのという思いをしたこともなかった。

それよりも、若い子、それも出会ったときは14歳の若い生徒に、そんな手段を使わせて、それも親身という言葉で、私は長い間そういう行いを許してきたのである。
それを知った瞬間、私はおののいた。

本人だけだとしたら、若いのにそういうことができる精神性も怖い。
もし母親もなら、そういう我が子の心を汚すようなことができることが恐ろしい。

私は、我が子がそういうことをしたと知ったとしたら、すぐさま、

あんたなんか、大学行く値ない!受験させません!

と叫んだことだろう。

その子の気持ちもわかる。
お母さんがご苦労されているから、何とかしてあげたいのだろう。
そこに、私がいただけである。
使えるものを使って、人生を切り開こうとしただけである。

ただし、大学受験には、神様がいるのだろうか?というくらいに、日ごろの行いが影響する。
今年も危ないなあ、と思っていた生徒さんが、やはりそういう結果になった。
この子、成長したなあ、と思った生徒は、思った以上の結果を出してきた。

周りを見ても生徒を見てもそうである。

その観点から言うと、今の段階では彼女は合格しない。
ただでさえ危ないところにいるのだから、むしろ謙虚に徳を積むような人間にならなければ追い付かないのである。
それを、逆に周りに迷惑を掛けている暇はない。余裕がないのだから。

悩みのポイントは次のようだった。

①この受験、失敗するな。失敗するのに引き受けていいのだろうか?

②今辞めたら、大学受験が私のせいでできなかったと恨む人生になるだろうな。たぶんよそに行く気がない。それはお母さまも言っていた。

③何でも思い通りになると思わせてはいけないな。

④ビジネスマンとしてはどうだろう?お金のためにするのがビジネスマン?

どこまで行っても、教師を貫こうとすれば経営者としての私としては失格か?という話になり、どうしても堂々巡りになる。

思い余ってある人に電話した。
言ってくださった。
あなたのちゃんと突き詰めて考えておられるのはよくわかるよ。
自分の身を守らなくては、ねえ。

と言われて、ああ、そうだ!と思った。
私は私の身を守っていいのだった。
教師であるとか、経営者であるとか言う前に、もっと根源的に自分を守ってもいいのだった。
こんな変な構造の中に入れこまれていたのを気付いたのだから、私は逃げ出していいのだった。

彼女といたら毎日やられてしまう。
やめさせていい、と周りは言ってくれていた。
でも、家族だったり友人だったりしたら、私のことを思って客観性に欠けるのでは?と思っていた。
でも、客観的に見て、やめていいんだな、とわかった。

今日、面談することにしていた。
でも、はっきり言うことにした。
どこかで昨日読ませていただいた、Kaoriさんの強さに励まされていた。
Kaoriさんは、逃げようのない痛みと闘っている。
でも、その痛みは、絶対に身体の中で良いものが悪いものに打ち勝とうとしている痛みだと私は確信している。

私は逃げなければならない。逃げる勇気をもたなければならない。
悩んでばかりではいられない。ちゃんと打ち勝たなければ。

誰かが頑張ってくれていると、自分も頑張ろうという勇気がもらえる。
本当にありがたい。

Kaoriさんに励ましてもらっているのはすっかり私の方なのである。
勇気をもらっているのは私で、その勇で今日は、頑張って面談することにする。ちゃんと言うべきことを言って・・・。

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