しいたけさんに納得!それこそが私の言いたかったことです。ー技術や影響の恩恵を受けるタイプ
指導をしながら、生徒に言ってあげたいことの一つがあるのだけれど、どこかで言い切れていない・・・。あるいはスタッフに、伝えておきたいのに、それができない・・・。なんで伝わらないの?と思っていたことをあまりにも上手に表してくださっていたので、私は嬉しくなった。
実は、私は、かつての私を知っている人が見たら、びっくりするだろう・・・、と言われるくらい、自分でも変わったと思う。
今の私の姿がきっと本来の姿なのだろう・・・、とまで言われるが、それでも、ああ、あの時なあ・・・、と変化のきっかけになったときのことを覚えていたりする。
小学校2年のときの担任の先生が、「意見を言わないといけない時は重たい口をこじ開けて、一生懸命に言ってます。」とおっしゃるくらい、おとなしかったし、受動的な子供だった。幾分勉強は好きだったのだろうけれど。
これではいけない・・・、と少しでも外向きになろうと努力した。
高校でも大学でも、結構激しい活動をする部活に入った。
よく、自分のことしか考えてない、と友達に指摘された。(それは自己中心的、という意味ではなくて、おそらくは、大局的にものを考えていない、ということだったのではないか?と今になっては思える。)
いやいや、いつも人の迷惑にならないように考えているのに・・・。
これだけ気を遣って生きているのに、なんで?
その問いにはなかなか答えが出てこなかった。
結構大変な思いをしていると思っていたから。それなりに。
大学時代のある日、ハッと気づいた瞬間があった。
自分の大変さが、他人に何の関係があるというのだろう・・・?それをいつも他人と比較して、自分が抱えている大変さ(まあ、人に言えない大変さがあれこれあったにしろ。)に捉われている自分に気づいたのである。自分の人生に起こったことはすべて自分で解決するしかなく、それは誰に言ったって、聞く側だって、ただの愚痴ぐらいにしかならないだろう。
私の母が、自分の大変さを、結構私に言うタイプだったからかもしれない。それを習い性よろしく、抱えていることは言わなければ・・・、と思っていたのかもしれない(誰かに相談することを否定しているわけではない。)。
みんな色々抱えている中で、私は自分の中の苦しみを一生懸命に抱えて、ある意味真面目に悩んでもいたのだろう。
でも、気づきのせいで、それから、自分が抱えていることと、しっかりと向き合い、責任を取ることに決めた(とはいえ、周りから見たら、苦労知らずにお嬢さん、的に見えていたようだ。これは性格的に。)。
そして、新卒で勤めた学校は、それこそ価値観の大逆転!というような学校だった。
でも、それが、新しい自分の世界であり、そうして、そこで生きて行かなければならなかった。
その中で、もしかしたら、自分と同じようなルートで生きてきた人間には通用しないかもしれないようなことも言われた。奥様だけをしてきた人から、その価値観を押し付けられて、そして、そうあるようにという躾けもされた。
自分がそれまで通ってきた道をそのまま歩んでいくつもりなら、我が道を行けばよかったのかもしれない。
でも、私は、脱皮することに決めた・・・、のか、そうせざるを得なかったのかはわからない。
それから、洋服より本が買いたい私が、フリフリとしたブラウスを着、フレアースカートを履き、髪をロングにして、ウェーブをかけた。
そして、女性であることを楽しんでみた・・・。
そして結婚するに至った。
それから全く自分の違う価値観を受け入れた。
それは確かに、自分の一部を明け渡したり、自分の一部が死ぬこと・・・。
この表現は納得できる。
私は何度死んで、何度違う形で生き返ってきたことだろうか・・・?
都会の良さを捨てて、地方の祭りが好きになった自分。
時間を追いかけるような生活から、毎日を大切に生きる自分。
前のめりに生きていたのに、横へ横へと自分の成長の方向性を変えてきた自分。
そして、今、また本来の自分へと回帰してもいるような気がする。
けれど、何度も死んで、何度も違うものを取り入れた挙句の回帰は、それなりに違う色を含んでいるような気がする。
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