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こんなご相談をお受けしました!ー旦那様との関係について

皆様こんばんは。
相談室しあわせるーむ代表の櫻井真弓です(メインは大学受験指導を得意とする個別指導塾・予備校の主宰者ですが、こちらも捨て置くことはできなくて。)。

今日はちょっとしいたけさんを真似して、ご相談についてお答えする形で文章を書いてみたいと思います。
お聴きしたことは一部フィクションも含まれています(今日はnoteに何を書こうかと悩んでの苦肉の策なので、たぶんにフィクションを入れたいと思います。)

今回のご相談者は、何でも結婚25年を迎えるご夫婦だそうです。
25年というと銀婚式。
いろんなことを一緒に乗り越えて来られたことでしょうね!
夫婦が一緒に生活するーつまりは他人が一緒に生活するということは、最初は戸惑いばかりだと思います。その戸惑いを乗り越えて、25年も一緒に生活するなんて、本当に素晴らしい!
それだけでも、誰とでもやっていける素質十分と言っていいと思います。
だって、職場だって、かなん(関西弁で困った?かな?)人はたくさんいるわけで、そんな人が数人いただけで、十分成長するのに、たった一人の男性とコアに付き合っていくなんて、それはもう天才と言っていいくらいの粘り強さです。

それなのに、この奥さん、旦那さんが勤め人の間から開業に向けて思い切り協力されたということ。もう片腕中の片腕ですよね!
プロのサービスを提供するのが旦那様なら、奥様はそのアシスタント。でも、そのお仕事の上ではどうも奥様も、サービス提供の素晴らしい一部分を担っておられるようです。それはご自身もお認めのご様子。

ただ、最近、旦那様と同じ仕事場にいらっしゃることが辛くなってきたのだそうです。なんでもモラハラ状態ではないか?と気付かれたのだそうです。
人前で怒鳴られることも多くなり、それもお客様が不審がられることもあるとのこと。
アルバイトに来られたお友達が、

あんた、これはモラハラやよ。あんたがやられてしまうよ!

とおっしゃってからもう数年が経ち、奥様もどうも最近はご自分自身が辛くなってきたとのことです。

こういうの、旦那さんが、奥さんに依存しているってこと多いですよね!
実は奥様が旦那様にというよりも、旦那様が奥様に依存している。それもべったり。
そうそう、奥様がいらっしゃらなければ、旦那さんは何もできない。
たぶんお家のこともそうでしょうし、お商売もそうだと思います。

そんなの、他人が聴いていればすぐにわかる。
でもね、別れるなんてできないんですよね。

なぜか?
昔、うまく行っていた頃の旦那さんの姿が蘇るんです。
お子さんを囲んで、穏やかだった夫婦の時間。
その頃が戻って来るのではないか、元の旦那さんに戻ってくれるのではないか?と希望を抱いてしまうのです。
それに周りの目もあります。
世間って、とかく失敗と思えることに厳しい。
若い人ならいざ知らず、相手の弱点、欠点と言えるところを突きまわす人って多いのだと思います。できればそういうところは見て見ぬふり。徹底的に気付いていないふり、そしてそれとなく手を差し伸べて、協力し合って生きて行く、というのが人間として見よいと思うのだけれど、そうはいかないのが人間様の世の中です。

昔私も、女性の方が雑念が多くて(ご多聞に漏れず自分もですが。)、男性の方がドライで付き合いやすいと思っていました。
でも、年を取るにつれて、意外に男性の中には、女性がいてこそ力を発揮できる人がいるものだということに気付き始め、そしてそばにその人がいないと何もできないという人がいるということも知りました。

私が最初の職場でお世話になった方が、奥様について、

誰が他人にそこまで言うものか。妻にあれこれ言うのは、夫が調子を取っているんだ。

などとおっしゃるのをお聞きして、そういうものか・・・?と思っていました。
だから私も実践して、その調子を取るのというのやらにお付き合いしても来たのですが・・・。(笑)

その後、子どもたち絡みのパーティでも、なんならホームパーティでも、酷いときには夫はべったりと私のそばにいて、私が調子を崩してちょっと休みに行っていたり、私関係の人が家に来たりすると、夫は一人でその場を取り仕切ることが難しいという場面に遭遇し、私は、いつも言ってることは何?と驚いたことがありました。

息子のスポーツチームのお父さんに、

どうやっても奥さんのそばにおらなならんけ?

と揶揄われる始末。
どうも件の先輩も夫もそういう人なのだということを知りました。

同じかどうかはわかりませんが、そういう人いらっしゃいます。ただ、先生も奥様と、夫も私とは関係のないところで仕事をもっていたので、ちょっとその関係性の影響は少ないかもしれません。
でも、ご一緒にお商売をされているのだと、その影響は計り知れません。

コロナ禍になり、お店の売り上げはドン!と落ちたのだそうです。
それでなくても、最もコロナの影響を受けやすい業界です。
それは大方のその分野のお店では同じような大変さがあったことだと思います。
そこで、旦那様は、ご自分のお商売のうまくいかなさを奥様のせいにされ始めたのだそうです。

お前のせいで、俺はこうなった・・・。

これ、よく聞くセリフではありませんか?
出世できたのは自分の能力。
うまく行かないのは奥さんのできの悪さのせい。

かつて、予備校の同僚が、ご自分はずっと独身だったのに、当時、悠仁さまをお産みになって、妻の鑑のように紀子様が称賛されていた時代に、

男の株というものは、嫁によって決まるところも大いにあって・・・。ほら、皇太子さんところと秋篠宮のところなんかもそうじゃないですか・・・?(笑)

などとまことしやかに、言っていい相手かどうかも考えずに、文学部独特の変な分析を語り始め、ああ、どこにでもそういうこと言う人いるよね!

と思ったものでした。

そうそう、どこからか叱られそうな話ですが・・・。
私もただ、夫と同じ大学を出たというだけで、できのいい息子の出た大学を出たのだから、一応優秀に見えたらしい私について、お姑さんが、入院中のお姑さんを見舞った母に、テレビに映る雅子さまのことを、

雅子さんもねえ・・・。

と脈略なく言いました。
私はこの土地に馴染んでいないという状態ではもうなかったのですが、要するに、優秀な嫁は馴染まないのよ!あんたの娘もここでは通用しないのよ!と言いたいのだということはわかりました。
毎日病院にお見舞いに行く私を褒めるどころか、病院の入り口で、

あ、ちょっと・・・。ああ、いいわ・・・。

と絶妙な言い方でおっしゃるので、

何ですか?お母さん?

と言うと、

あ、お父さんのところにもたまには行ってあげて・・・。

と舅のところには行きもしない嫁ということになっているのだなあ・・・、と思いました。その事実もなく、私はお父さんにお惣菜も届けたりしていました。要するに、母に、あなたの娘は出来が悪い、と言いたいのだということはわかりました。こじつけです。

だから、どうやっても自分ができないことを誰かのせいにする人はいるのだと思うのです。

奥様は、あの頃、を忘れることができないのだそうです。
たぶん、お別れにはならないだろうな、と思っていました。
夫婦というのはそういうものだと思います。
お子さんがそれなりに自立する年になっていても(この方の場合はお子さんは高3生で、就職することが決まっていました。)、そうそうひとたび一緒になった夫婦が別れるという決断をするのはなかなか難しいものだと思います。

この方の場合は、そのことを自覚されているからまだいいと思うのですが、怖いのはそういう状態になっているということに気付かない人の場合です。

そういう場合はもう共依存になってしまっていて、この人には自分がいないとだめだという思い込みになり、その思い込みに自分が依存して、それがある種の生きがいになっている場合だと思います。

これは気を付けなくてはいけないことだと思います。
誰でも陥りがちだから。
子どもには自分がいなくてはダメだと思う親も親という立場に依存している、生きがいを求めているのでしょうし、そういう場合は将来子どもたちが結婚して新たな家庭を築いたときには、自分たちの夫婦関係よりも子どもたちの生活に目が行ってしまい、結局子どもたちの夫婦関係を壊す形になってしまっていることもあります。

私は、ご相談者の方に、実際的なアドバイスもしようかな、と試みたのですが、まだまだその段階にはいらっしゃらないのだなと思いました。
もしも決断されるのだとしても、まだまだ時間が掛かるだろうと思います。

私の意見としては、この旦那様に愛情があるのであれば、旦那様に、どれほど奥様に依存し、奥様のおかげでここまでこれたということを自覚し、そしてご自分の実力を直視する力をもたせてあげる方が本当は旦那様のためになるのだということです。奥様がいらしては、旦那様の生きる力を削いでいることになりそうです。
自分の力を直視せず、なあなあにしてそのままにしておくというのは、一見いわゆる男の甘えを許す寛大な女性のようですが、そんな寛大さを示すのは、旦那様がそれなりの精一杯の努力をしてのことだと思うのです。

どんなに正しいことであっても、受け入れるということには時間が掛かります。
それに、心理学的にはどう語れたとしても、そして、法律的にもどう語れたとしても、定義は定義として、お二人の関係は独立したものとしてあるのだと思います。
周りがどうのこうのという問題ではない。
けれど、奥様が本当に救われたい、と思われたときには、周りに助けを求めるべきだと思います。

長年、男の甘え、男のわがままは受け入れるのが良い女だという風潮があったように思います。

以前、ある会で、『漱石の妻』という作品を読んだとき、結構漱石が夫として横暴だという意見があった中で、最も若輩者の私が、

男の甘えだったのではないでしょうか?

とある席で発言した時に、私より年配の、知性ある先輩方は、

それは男性のとかいうより、人間としての女性への思いやりが歩かないかの問題でしょ?

と言い返され、ずっと進歩的なご家庭だと思ったことがありました。

そうそう、私もなかなかに男性の思いに甘いところがあるようです。
だから人のことを言えたものではないのですが、それでも、その人が自分というものの状態をしっかり直視する力をもたせてあげるのも一つの愛情だと思っています。

このご相談者は、また来られると思います。
でも、時間が掛かるだろうな。
行政の相談室は、結構、実務的なこと、実際的な手続きについてのお話になるかと思います。
気持ちに寄り添ってもらい、これから進むべき人生を選択していく中での元気を出すには気持ちを吐き出すことが大事です。それには段階を経た寄り添いが大事です。

それから、雅子さまのことについて、先日、ああ、もしかしたら、こういうことだったのかな?とふと共感してしまったことがありました。
ある映像を観ていたときのことでした。
またの機会に書かせていただきたいと思います。

ありがとうございました!


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