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最近考え方を改めた私。

ずっとずっと母校のことを黒歴史と言ってはばからなかった私。
話せる人がいないと思って、話せる人を求めて進学したのに、そこにもいなかった、とがっかりしていたという・・・。
でも、最近同窓会のHPを見て、違う一面を思い出した。

話さなくても大丈夫で、心でつながっていると感じる関係の人が皆無ではない。でも、そもそもそんな人の存在を、何もしないで得られると思っている方が怠慢だと思う。それは自分自身の若いころに対して。
でも、思ったよりもそういう人、というか嫌いでない人、もっと言うなら好きな人もたくさんいたのだなあということに気付いた。
単純に超絶嫌いな人が、部活の指揮者の先輩、同じパートの男性の先輩、そしてトロンボーンの同級生だったのだと思う。要するに目の前の人たち。
もちろん音楽性の面で私は彼らの目から見て最悪だったろうことはわかる。でも、人ひとりを潰すほどに追い詰めなくてもいいだろうと思う。

この三人はとっても仲が良かった。
でも弱い人たちだったと思う。
指揮者の先輩は教師を目指していると聞いていたが、現場に出た人間からすると、人を活かすのが教師の仕事なら、人を潰すあなたに教師は絶対できない。
活かすよりも殺しそう・・・。

後の人たちは勉強だけはとんでもなくできたから、私にとっては質が悪かった。

お前はホンマにI高生か?裏口ちゃうか?

とおっとりして見えた私は凄いことを言われた。
この話、結構ひどい話としてほかの場面でほかの人が言われるのを聞いたことがある。

それにもう一人は、未来の国語の教師に対して、論語でやりこめたという、今なら冗談にならない話。

私なりに、誰も助けてくれない(一年生の時の先輩二人は、付き合っておられて、一年生を放置。放置された私たちにいったい何ができる?)私なりに頑張っていたし、心を開いて気にしてくれるどころか、

正直一年入ってきたら自分の練習でけへんから・・・。

と言ってのけた先輩の表情を私はいまだに忘れない。
至らない先輩だったなあと思う。
勉強ができるから立てられていたから、そこは誰も非難しない。
わかってくれている人はわかっていたのだと後でわかることになる。

演奏とかそういう面ではなくても、何か嫌なことがあったのだろう。
その理由が今ならわかる気がする。
だって、その三人、私の生徒なら、私は好きになれないだろう。
もしかしたら教師の前では見せないタイプかもしれないけれど。

今書いている文章や、SNSで発信していたりするものを見ていても、あまりに子どもで嫌になる。
専門性はそれぞれ高いのだろうけれど、人間的に相当子供な人に振り回されていたのだなと自分に呆れる。
成績などに惑わされてはいけない。

透けて見える言い訳。自分の人生に起こったことに対して、今は死語だろうけれど、いわゆるらしくない言い訳オンパレード。
でも、そんなこと認めてしまったら生きていけないよなあ・・・、という出来事。それぞれに苦労している。
いや、苦労は誰でもする。私にもある。
でも、ちょっとそれはないでしょう・・・。
自分が原因のことを一生懸命自分のせいでないと言い訳して歩いているみたいだし、また、誰にも非難されないように予防線を張っているようで見苦しい。

実は、十年ほど前、仕事に悩んだときに、かつての先輩や同級生たちの頑張っている姿から、何かヒントをもらおうと思って、何しているかな?と思い検索してみたことがあった。

正直、私が子どもだけれど、その三人にはもっと輝いていてほしかった。
私にあれほど厳しく言った分成功してほしかったし、華々しくあってほしかった。それは私の願望であって、いつか、先輩に認めてもらいたいと思って、音楽も仕事も頑張ってきたようなところがあった。
でも、そんなに立派な人では全然なかった。寂しかった。
こんなこと書くのも私が子どもなのだ。

指揮者の先輩は、嫌いではないと思おう、自分が至らないからあれこれ言われたり、気に入らない時には無視されたし、酷い態度を取られたけど、それは先輩の音楽性から見ておかしかったのだろうと思っていた。
でも、数年前、先輩がお金をいただいて歌っておられるのを聴いて、呆れた。
先輩の専門は音楽である。私の専門は国文学であり、教育である。
私の方が歌わせたら、絶対にうまいし、いい歌になると思う。
音程は狂っているし、音楽性は、私の判断ではゼロ。
歌うな!お金をもらって歌うな!
あの歌は聴いている私が恥ずかしい。

素晴らしい音楽家になって、私など追い付けないほどどこか遠くで活躍してくれる人だと思っていた。
それなりに音楽をやるときには、どこかでその人たちのレベルを目指している人たちだった。
あほらしい。

年を重ねるにつれて、そういうあほらしいことが多くなる。
真面目に努力して、誰かの言うことを真に受けて、一生懸命にやって、いつの間にかどこかに到達していたときに、その昔誰かの言うことを聞いて、一生懸命だった自分があほらしい、という出来事が増える。
中でもこの三人の人には超絶あほらしい。

と言っている私が一番あほで、一番あほらしいのだけれど。(笑)
もう少し自分を信じて、あれこれ言う人には、

ああ、言ってるな。

という余裕をもって過ごそう。
とはいえ、主宰している教室のために、経験が増えて、だんだん人を見る目も肥えてきたとは言うものの。
もしももしも、その三人に再会することがあったら、どんな顔をするのだろうか?

指揮者の先輩には、一言、
先輩に教師は無理だと思います。

パートの先輩には、たぶん何も通じない人だろうから何も言わない。たぶん挨拶もしないで素通りするだろう。

同級生には、
大変やったねえ・・・。

というかもしれない。
冷ややかに客観しながら。(笑)

すみません。
器の小さい毒舌吐いて・
でも、嫌い。

ああ、嫌いと言えるようになった―!
自分にとっては超絶愛でたい。そう愛でたい。自分を愛でたい。

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