何を隠そう私は女優まゆみ・・・?ー国語の指導で・・・。

 今日は、何を書こうかなー、と思うほどに、最近、日課にしている投稿。

 私の性格よろしく、話はあちこちに飛ぶ。

 興味関心はあっち行ったり、こっち来たり・・・。

 最近、高校生の期末考査対策のため、国語の指導がやはり何と言っても多くなる。

 そんなとき、私は「女優まゆみ」になるのである。

 どうしたって小説や古文の心情理解が生徒たちには難しいことがある。そういうときには、言葉を尽くして、一生懸命説明するのであるが、それでも無理なときは、まるで「憑依女優」のように、私はいろいろな人物に化けるのである。いや、女優どころではない・・・。ときには男性にも化ける。

 手振りを遣い、時には泣きまねをし、ある人物の心理に肉薄するのである。

 ある時、南木圭士の作品が問題集にあった。夜発作を起こす老神父が、発作を起こしてナースコールがあって呼ばれていった男性看護師の表現、「そこには、ただの老人がいた」というような意味の表現がどうしてもわからない生徒に、私は老いた入院中のおばあちゃんになって、「ただのおばあちゃん」とまあ、それだって普通であるには違いないが、「いつもは先生しているおばあちゃん」の心情を、親しい看護師さん相手に演じることによって、真の心情を暴露する場面をやってみたのである。「ただの老人」と「神父さん」の意味の違いを渾身の力を込めて、理解していただきたかったのである。

 ときは数年前。今や立派に講師として活躍しているU先生が高校生の時、国語がめっぽう弱かった、理系男子Uくんに、私は、途中から。涙をふきふき、どうしようもないせつない想いを抱えたおばあちゃんに扮したのである。

 ということよ!わかったー?と訊くと、Uくんは、「俺、今、ほんまのことかと思いましたよ!演技だったんですか!?」と言われるほどの演技力なのである。

 まあ、時には武将になることもあり、面白いところで行けば、『項羽と劉邦』のある場面の劉邦役など、結構面白いかもしれない。私は韓信役の方が面白いけど・・・。

 生徒と親子に化けたり、あれこれしながら、人間心理のおもしろさなどをお伝えしていきたいわけで・・・。その割に子どもな面もありつつ、本レベルでは、まあ、人間をそんなにも理解していないわけでもないのになあ・・・。

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