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本当にもうっ!自分に呆れる自分。

今日は「哲学カフェ」の日でありました。

前回無理を言って、ハイデガーについて、先生に取り上げていただくことになっていました。

これはいつものように仕事の合間に教室でZOOMで、というわけにはいかないわ!ということで、現地に出掛けて行きました。

途中とんでもない質問はするわ、専門外で方向違いのこともたくさん言ってるという自覚はあるものの、子どものように、知らないことは訊ねたくて仕方のない私は、ズレていようが何であろうが、知りたいことは知りたい。

先生のドイツ語の原書を見せていただいて、昔々大学で第二外国語で習ったドイツ語を懐かしく思い出し、いつまで経っても憧れの言語であることは変わりなく、音楽にもイタリア語(こちらは歌を歌うとき以上にやる気はないけど。)とドイツ語は現れるわけで、いつかはもう一度やりたい、と思っていたところに、先生が、

本当は、ドイツ語で講読するのが夢なんですけどね・・・。

とおっしゃって、

やってください。そしたら、ドイツ語文法も勉強する気になりますよね?

と言い出す始末。

あああ・・・。

自分でも呆れている。

きっと周りはもっと呆れている。

先日は包丁を買った。

料理は好きである。

そして、インテリアとしても、実用としても、欲しいなあ・・・、けども、と思っていたものは逡巡したままなのに、ドイツ語の辞書と文法書と、今日ご紹介いただいた本は、古本も含めて、アマゾンでぽちっとやって、注文してしまった。

ああ、またやってしまった。

もう、本の前には理性などぶっ飛んでしまう。

いや、理性を養うために学問をするのではないのか?

もうこいつどうしようもない。

もう一生こんなもの人違いない。

自分の性格を受け入れることにするしかない。

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