もうすぐ六周年・・・。

 もうすぐ教室が六周年を迎えます。

 もう、十数年前から、開業するしかないなあ、と思っていました。だって、ついつい仕事をやりすぎてしまいがちな私。やりたいようにやるには、開業しかないような気がしていました。もちろん、どこでも悪いことはしていないのです。が、好きな仕事だから、ついつい・・・・。

 どうも私は一から立ち上げるのが好きなようです。だいたい、昔はね・・・、とあなたが来る前はこうだったのよ!的な話が好きではないのです。私も、後輩が来て、昔はね・・・、というタイプの人間ではないのです。

 今しかない。頭には今しかないのです。今の、自分がするべき仕事。その仕事に協力してくれる人は、年長者なら、なおもたれることができていいけれども、自分より若い人でも、いやいや、相当若い人でも、もう、やる気さえあって、何だったら、私に意見(自分のためより生徒のため、とか、教育のためならより嬉しいですが。)をしてくれるくらいがちょうどいいのです。自分が意見をもっていて、それを言わずに済ますタイプではないから、反対の立場からは、言ってほしい。もちろんやみくもに何でもかんでも言ってもらったら、対応はできないにしろ、ちょっとだけ思いやりを持ってさえくれたら、思っていることは言ってほしいのです。

 今や年季の入った教師になりましたが、若い人たちが、初めての指導をするとき、ドキドキしている様子が、なんとも愛おしいのです。一つ一つのことが新鮮なようで、先日ミーティングした時にお話しした、教室の理念などを理解して、二年目の先生も、「今日は、僕が志望校の話などしたら、なんだかやる気になったみたいで・・・。」などと、教師らしい表現をしてくれたりするのを頼もしく聴いています。できることなら、自分の今の力を直視し、ごまかさずに向き合ってほしい。その真摯ささえあれば、なんとかなるものです。だれだって、最初から先生なわけではないのだから・・・。

 さて、実は私、先生と呼ばれるのが苦手で、日常生活の中で、年配の方に、年下めいて、後輩面をしていて、「そこは先生だから大丈夫でしょう・・・。」的に表現されて、おっとーっおびっくりしてしまうときがあります。

 なんとも私という人間を表しているよくある場面。

 クリニックのお向かいにある、薬局で、ちょうど親世代の薬剤師さんが、よく私をからかわれます。

 「今日は、もう、講義、終わったの?あらあ、また難しそうな本読んでるねー。何の本、読んでるんだい?」

 この、講義、かつては大学にも行ってましたから、余計におかしいのですが、それから、難しそうな本。そして、何読んでるんだい?とまるで小さい子に訊いておられるような表現。

 私をよく知っている人は、この私のいろんな面があるところをよくご存じで、本当は先生だなんて呼ばれたくないのも、知っておられたりします。それでも、国語に関して、何か言われようものなら、私の心の中で、何かが響いてしまって、先生どころではないプライドが、むくむくと頭をもたげてきます。ほかの分野なら、いいのです。でも、国語に関してだけは譲れない。

 昨日、このプライドについて、ある方がこんなことをおっしゃいました。

 「プライドも思い込みですからね!」

 さすがに出典を明らかにしなくてもいいだろうと思われるので、今回は、なしにさせていただきたいのですが、その言葉に、ああ、時折プライドもチェックが必要なんだな、と自分流に解釈しました。

 し、し、しかし、今いてくださる先生方が、自分の教えている教科指導に誇りをもって、俺の指導に・・・、などと言ってくれるくらいになってくれたら、めちゃくちゃ嬉しいだろうなあ・・・、などと思っているのです。

 私も一つ。

「プライドは、時折棚卸をしなければならない。」ーMayumi Sakurai

でいかがなものでしょうか・・・?

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