花屋さんのお兄さんと話したのがとっても楽しい青春時代の思い出だなんて・・・。(笑)
大学は違うのだけれど、彼女は短大を出て保育士さんになった人なのだけれど、大学三回生の頃は、なぜかよく一緒に遊んでいた。
たくさん映画を観に行って、いつも通っている京都とはまた違った風情の京都を歩いたりした。
その友人の家に、四回生になるちょうどその春に遊びに行き、泊めていただくことになった。
私の住んでいる市の隣の市だけれど、結構駅から離れていて、どうして行ったのかも覚えていない。車に乗せてもらったような気もする。
彼女は一足先に社会人になっていたから。
そう言えば保育士さんになったけれど合わなくて転職された後だったかもしれない。
私はどうも優しい友達と思われて一緒にいてくれたようだった。
結婚してからも、
真弓ちゃんにしか、こんな話、できひんねん・・・。
と言って、込み入った話を聞かされた。そういってくれる人がたくさんいることがいいことなのか、悪いことなのかわからなかった。
信じられているともいえるが、女としての競争の中に入っていないともいえる。第一私は競争する気がなかったけど。
可愛くて、可愛がられて育った、本当にお嬢さんという友達だった。
彼女のところに何を持っていったらいいかな?と思って、お花にすることにして、どういうところだったのだろう?確か商店街だったような。
お店の前で、お兄さんがお花を売っていた。露店というほどのものではなかったと思う。
女子大生だったから、というより、いつも男子の方が多い環境だったから、なぜか自分への男性の接し方がある程度わかっていて、つまりはちょっとできなくはないというレッテルを貼られがちなタイプだったから、同年代だったか、ちょっと年上だったかのお兄さんに話しかけて、そういう風に面白く、言ってみれば優しく返ってくるとは思わなかった。
何だったのだろうか?
フリージアとカスミソウを一緒に入れたらおかしいですか?
と聞いてみたら、
一緒になって、笑って、
ちょっとそれは・・・。
とほほ笑んでくれた。
なんというか、一緒にそのチョイスのおかしさを面白がってくれたというか・・・。
で、そのことにちょっとだけ甘えて、友達の雰囲気を話したら、一緒にきれいなお花を作ってくれた。
感じのいいお兄さんだった。
採用試験を控えて、就職活動や卒論など、乗り越えるべきことやこれから心配なことはたくさんあった。
いつもいつも目標に向かって進んでいるような人間だったので、いつも先のことばかり考えていて、友人にも一緒にいて怒られたこともあるようなタイプだったので(だから大きな失敗をあまりしていなかった。それはそれで問題かもしれないけど。)、その瞬間の気持ちの在り通いがなんとも嬉しかった。
そもそも性質的には、誰かに勝ちたいとか、何か競争するとかいうタイプではないような気がする。
私の性質は父方が強い。
が、結構幼いころは才気煥発な面があったらしく、母は私の力を発揮させてやりたいと望んだようだった。
その母の願いは絶対に実現しなければならない。
だから、教員にならなくちゃと思い詰めていた。
別に教員でなくても、大学に進んだことを生かせる仕事に就きたかった。
でなければ、きっと父に、
だから、女は・・・。
と言われるに違いない。
全女性への父からの偏見を吹っ飛ばすために、私は頑張らなければならなかった。(笑)
父は会社がらみの、可愛いお嬢さん方を可愛がっていた。そのお嬢さん方と比べると、私は女らしくなかったのだろう。
どうも性格と、もって生まれたものとがちょっとずれがあるような気がする。
高校時代にはどうってことない特徴のない、言ってみればそんな学校で特徴がないのが特徴みたいな生徒だったけれど、社会に出てみたら、結構仕事はできなくはなかった。
いつの間にか開業して、いったいいつそんなことしたのか覚えていない。
経済の世界で生きてきた夫の口に上った有名な人と、まったく違う方面から出会って、
櫻井くん、僕だけど・・・。
と仕事の電話が自分に掛かってきたときには、心底運命の不思議さを思った。
私は性格的にはそもそもおっとりらしい。
小さいときにはよく母に怒られた。
バリバリ仕事のできる母にとっては、私のおっとりは見ていられなかったらしい。
おばあちゃんの家で小さいときのまま育っていたら、今の私のような人間にはなっていなかっただろうと思う。
もっともっと女の子らしくて、家で女らしいことをしては目を細めて見てくれていただろうと思う。
祖母と母は、とっても相性のいい嫁姑だったと思う。
当時食堂と呼んでいた台所で、木の丸い背当てのない椅子に、おばあちゃんが正座して、
あんたもしてみなあれ・・・。結構これが楽やで・・・。
と二人でやってみたり、あるいは、
今日からきれいな言葉を使いましょう・・・。
と二人でやってみたり、なんとなくのんびりした商家だった。
取引先の人たちの出入りもあって、私は商売人の家が好きである。
当時はまだ、大阪の町屋では、
商売してなんぼ・・・。
という意識があったのを覚えている。
母方の実家も商売人である。
従弟について面白い話がある。
伯父二人の家に生まれたのは、男の子は本当にきれいな男の子が一人だけだった。
両家で六人いる子供のうち、一人だけが男の子だった。
当然のように会社の跡継ぎだというのに、彼は早々に跡継ぎから外されていたようだった。
というのも、母の兄弟姉妹の家で集まったときに、リビングの片隅の畳の小さな小さな部屋で、横に私がいるのもかまわず(気づかず?)、跡継ぎほしい談議がなされていたのである。
○○(男の子)なんて、商売人になる器と違う。あいつはせいぜい勉強して学者か教師にしかなれん。だからお姉ちゃんのところの○○を家の会社に・・・。
と言っていたのである。要するに従兄の大好きなお兄ちゃんが抜擢されたというわけである。
その、跡継ぎ外された従弟は、そののち関西では最もエリートコースを進み、法曹になった。有名な事件とも絡んでいたりする。(笑)
ということで、私は、そっち側の幾分競争意識の強い人たちの、ビジネス的なところはいただいたかもしれないが、気質は父方である。
今でも父に性格が一番似ていると言われる。
それに、どうも曽祖父のおじいちゃんと性格が似ていたらしい。
武士の商法でもなんとかなったおじいちゃんは、おっとりして家事もろくにしないおきょうさんというおばあちゃんを愛して、どこのごはんよりもお経のご飯がおいしいと言っていたらしい。
そして、自分は食べたくもないのに(かなり潔癖で外食もしにくいタイプだったらしい。お金が触れない。これは母に似ている。)、従業員の分をウナギなどを出前で取って、振舞っていたという。
こういうところも私は似ていると言われる。
私はウナギは絶対食べると思うが・・・。(笑)
私は潔癖な母の世間の狭さを思い、もっと広い世間でやっていけるよう、気持ち悪いなど思わずに、よそ様で積極的にご飯を頂くことができる。
だいたいバンカラな環境で、そんなこと言ってられなかったというのも正しいかもしれない。
そして、たいていのものは、
おいしーい!
と言って喜んでいただきます!
が、その息子の祖父は、いわゆる乳母日傘で育って、あまり働くことを知らず、祖母が苦労したのを見ていた伯父たちが会社を興した。
その祖父とも私は似ているらしい。
趣味が、英語や写真、歌舞伎が好きだったり、なんとも多趣味だったらしく、私のことを語るときに、おじいちゃんを思う人もいるらしい。
それなら、役者のように美しかったおじいちゃんの容貌を私に伝えてほしかった。
ということで、どこか前のめりに生きてきたような私にとって、そのお花屋さんのお兄さんとの一瞬の心の通いがとっても嬉しい瞬間だったのを思い出す。
私はそういうひとときが大好きな人間である。
あのお兄さんも、年上に見えたけど、どこかの大学生でバイト生だったような気もする。ちょっと知的な余裕あるタイプ。
花なんて・・・、というのでもなくて、ちゃんとお客さんの気持ちに添おうとされていた。
そうそうバイト生だということが一目瞭然だったのである。
慣れない感じ。でも楽しそうだった。
よくわからないなりに一緒に話してくれていた。
本当に正直な意見を語ってくれた。
一瞬一瞬のその心の在りか良いが私は大好きである。
実は母方の実家の話題があまり好きではなかった。
何かというとどこか競争ばかり。
おっとりとは程遠い。
父がその中でも相当心あるタイプだったと思う。
イケメンで、やり手の伯父たちだったけど、でも、伝え聞く父親としての伯父の姿を思うと、どこか心ある男性が素敵に思われる。
母は、何のかんの言って、心ある父に守られて、結構苦労したかに言っているけれど、よそのおばあさま方に比べれば、結構いい人に囲まれていたと思う。所詮知れてる。母をめぐるひどい人なんて本当にたかが知れている。
最近、自分と出会いなおしている。
母性が強いと言われ続けていた、それはどういうところなのか?
だから起こることも。
母に比べても、私は相当母性が強いと思わされる。
だからできるようになったことはたくさんある。
それに、私は昔から、子供たちが、何ができるとか、誰それに勝ったとか、そういうことにあまり関心がなかった。
でも、誰かとの温かい心の通う瞬間を聞いたり、誰かのことを一生懸命に思う姿に接したとき、私は心底嬉しかった。
母の方がおそらくは勝ちたいタイプだと思う。
私はどこか、誰かとのほのぼのした瞬間が好きなタイプなのではないだろうか?
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