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行きたい場所

 大学時代、大阪から京都まで通った。

 下宿がまったく認められなくはないかもしれないくらいの距離だったし、私は、京都より大阪の大学に行きたかったのだけれど、なぜか京都に縁があって、京都に通った。

 住んでみたかった。当時付き合っていた人が、京都で生活していたから、京都での生活を垣間見ることもできたし、何より、京都の町が好きで、京都で毎日ご飯を作って、寝起きするということに、とても憧れた。京都という土地に、とても親しみがあった。お買い物一つするのでも、梅田に出るよりも、京都に出掛ける方が、なぜか落ち着いた。

 なぜか今、すごく京都に行きたい。今頃、そんなこと言うのは不謹慎かもしれない。そんなこと考えるより、事業のことを考える方が先かもしれない。でも、あの、なんとも自分に馴染む雰囲気を味わいたい。鴨川の流れを感じたいし、ぶらぶらと歩きたい。余所行きの京都ではなしに、日常生活の京都を感じたい。

 開業した年に、母と京都旅行に行った。私が選んだホテルを場所的にもとっても気に入ってくれて、ホテルも、とってもいいお部屋を用意してくださった。ちょっと歩けば、それなりに街の風情なのに、そこは静観とした場所。少し歩けば素敵なカフェがあるし、住宅街にはスーパーがあって、日常を感じることもできる。私は大好きなリーフやプチトマトを買ってきて、むしゃむしゃと食べて、母に呆れられた。ホテルの食事は飽きるし、でも、お食事に出かけてばかりだと、ゆったりできない。好きな時間を過ごしていたかった。

 でも、半日かけて一つのお寺を廻って、そこのお寺で、座って、京都の風を感じたりしていた。なんで、生まれた大阪よりも京都が好きなんだろう・・・?気がつけば、どうも時折京都の言葉でしゃべっているらしい。超浪速っ子のおばあちゃんが、私が大学に通い始めてしばらくしたころ、私の言葉の異変に気がついて指摘された。今も、京都弁、と言われると嬉しくなる。仮に、どう思って話されたとしても、私は、京都の柔らかい表現が好きだ。嫌みを言ったとしても、優しいからこその柔らかいもの言い。もう、私は大阪弁で、はっきりと言われると、びっくりしてしまうときがある。大阪を離れるときには、とっても寂しかったし、大阪の魅力が感じられて、もっともっと大阪のことが知りたかったけど。

 富山県に来て、ずいぶん経った。いつの間にか、どこよりも愛してしまっている。むしろ他県に行ったときには、自分のアイデンティティーを守るように、富山の言葉を使ってしまっている。平気で田舎から来たので、と言いながら、全然富山を田舎だと思っているわけではなくて、人に説明しながら、むしろ誇りに思いながら、富山のことを話している。

 親から離れて、独り歩きしだした大学時代、その後嫁いだ先である富山県。おそらくは、いろんな学びが多くて、乗り越えた時間の愛おしさが、私に生まれた土地よりも愛させてしまうのだろうと思う。苦労して、それを乗り越えた、その自分を見出して、その土地を愛してしまうのかもしれない。寂しい想いをしながら、ピアノのレッスンに行くために、お腹にいる娘を思いやりながら歩いた通りが、今はひどく懐かしく慕わしい通りになっている。息子と幼稚園まで手をつないで歩いた、その憧れていた土地で、今私は教室をやっている。やってきたばかりの頃、いろんな手続きをするために、市役所の隣の学校の前を歩いて、学校現場を懐かしく思っていた時代。泣きそうになりながら、もう、学校現場とは離れた立場だからと、なんとか嫁になり切ろうと努力していた。

 同じ場所が、いろんな顔を見せる。町が表情を変える。まるで拒絶していたかのような町が、いつの間にか、ものすごく仲良くなって、慕わしく、そこにいるのが一番落ち着く場所になってしまっている。

 京都、札幌・・・。どこに行っても、最近、なぜか、昨日までそこにいたかのような慕わしい顔をしてくれる。

 そういえば、かなり長い間、京都には行けていない。いつも素通りして、実家に帰ってばかりだった。電車でも、車でも、京都に降り立つ余裕もなかった。

 観光に行くのではなくて、日常を感じに行きたい。

 すみません。こんなときに・・・。

 ただ、一つだけ言える。とりあえず、目の前にあることに一生懸命取り組めば、とりあえず、何かが待っているということ。だって、あんなに苦しかった時代も、今は、当時の若かった自分への愛おしさも含めて、とっても素敵な思い出になっているんだから・・・。


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