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優しい先生と言われ続けてきて、でもそれだけでは絶対にいけない。

この優しそうな柔和そうな顔だち。
いかにもふんわりとしたふくよかな(いえ、はっきり言って人生の中でスリムな時はなかった。)?ボリュームのある体型。
おまけに色白で目が細いしちっちゃい。

女性らしく母親らしく見えるらしい。
一方内面では生徒たちも周りも評するように、男性的な面もある。

でも、初対面の人には、絶対に
優しそう・・・。
と言われてきた。
優しそうな人だなあ、と思っていたら、担当になってもらえて嬉しかった。
などなど。

高校教諭になっても、私の授業を見たわけでもないのに、
優しい先生には・・・。
と言われ、それは半ば先輩の男性の先生からの揶揄いであり、だから舐められるはずだ・・・、という希望的観測でもあったらしい。

体育科の男性の先生中心に、
あいつは苦労している・・・。
と言われ、つまりは指導力が・・・、と言いたいのだろうが、そのうち私はえらく貫禄があったのか(エッ!?横幅?)、たった2~3年しか努めていないのに、
エッ!?お前、まだ3年目!?
と言われるに至った。

そりゃあそうでしょ。
まあ週に○○時間指導して、3年も経ったらまあ、指導力も着くだろう。
とまあおだてられ、全寮制の寮にいたら、
3年で5年くらいの指導力は着くだろう。
と言われ、指導力という言葉には魔力があり、とにかく精進した。
おまけにお局よろしく、職員室以外にこわーいおばさまがおられた。
この方は相当にプライドが高く、旦那様も優秀でお子様方もダントツトップらしかった。
自分のことではなくて、いつも、
うちの主人が言うにはね・・・。
と言って私たち教諭や講師にあれこれ指示はするし、だいたい仕切りたがっていた。もう仕事に支障があることこの上ない。
それに教師としての力量をいちいち測っていて、どこで何を言われているのかわかったものではなかった。
教養ありげなことを言うけれど、当然旦那様の受け売り。
女性教育の素晴らしい学園であったから、私などがさつな公立高校からバンカラな男子学生ばっかり多いおしゃれっ気のない大学で勉強したタイプをご覧になったことがなく、何かに目についていたらしい。

今から思えば、聴いた話によると、学園中鳴り響いていたわがまま娘。有力者の娘さんらしく、その場で自分よりお金持ちだったり、いいものを持っていたり、できることだったり、まあ、学歴だったり目につくことがあったらいじめていた可能性はなくはない。
旦那様の後輩の先生から、
うちのをいじめるのはやめてください。
との訴えまであったという。
上司の奥さんは、
あの方のせいでうつ病になった。
とまでおっしゃる辺り、筋金入りである。
そんな、今まで見たこともないわがまま娘を老けさせたような奥様のもとで私だって泣いたことがあった。
あちらは私にいろいろ言ってあげてるだけで、いじめているつもりは毛頭なかったらしい。(笑)

寮に帰れば、その方のそばにいた、というだけで、
それは大変な場所に・・・。
と言われるほど大変なはずの寮長先生もおられたし、もう一人強者の先生がおられ、私はこの3人に相当鍛えられた。

退職する頃には、大きな高校生相手に、背の低い私でも、何かあったら大きな声で注意するようになった。
迫力で、その奥様ならできない注意をして、いっぱしの教師扱いをされるようになってきていた。

で、結婚退職するときには、2年先輩の先生と、
どっちが上?
と年齢を聞かれるようになり、
貫禄か?女性としての価値か?
と悩んだ。
ほかの先生には、
教師は貫禄があってなんぼ。
と言ってもらえたが、件の奥様には、
あの先生若いのよー。
とどこまでも私の値打ちを下げたがった。(笑)
私はずっと若く見られていて、学園を出たら、そのときでも若く見えていた。
意地悪なのである。

まあ、そんなこんなで優しい先生の私は、当然理解のある優しい先生では教師ができない、ということを思い知っていた。
生徒を理解したい。勉強ができるとかそうでないとかいうことではなくて。
でも、理解ばかりしていては社会生活はやっていけない。
周りからどのように見えるか?ということをいつも考えなければいけないのである。

今自分の教室でも、つ¥面談をしてお子さんに困っておられる親御さんのお気持ちをお聴きしたり、生徒さんの話を聴いていて、ついその気持ちに寄り添ってしまいそうになる。
でも、一方で、その親御さんや生徒さんも社会で生きておられるので、周りから見たらどういう見え方になっていて、○○をしたら○○になる、というような世間一般のマナーや常識も大事なのである。
それをしっかりお伝えするのも私たちの仕事だなあ、と思っている。

昨今、結構生徒さんや親御さんの抱える問題についてしっかり定義されるようになり、それについての対応もなされてきている。
そのご本人の戸惑いや困難さも認知されるようになっている。
その細かいケアは大事だし、個々人でその対応をしていくべきである。
でも、一般的には平均的なあり方を求められがちである。
周りも理解をし対応を求められるが、それでもその流れを止めるわけにはいかない。
学校に対して言いたいことも出て来るだろうけれど、正直日常業務だけで精一杯の先生方にそれを求めても無理なのである。
だから、そこはけじめをつけなければならない。

そのけじめをどこでつけるか?というのは教師の裁量である。
全部というのはできない。
ここまで、という境界線が必要である。
そこには優しいだけではなく、ビシッということも大事になってくる。

本当に優しい人は厳しいことを言ってくれる人、という言葉がある。
ちゃんとその人に必要なことを必要な時に必要な言葉で言えるようにといつも考えている。
たとえその言葉が厳しいものであっても。

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