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私、傲慢なんだなあ・・・。


 実は、今、私は自己嫌悪の塊である。

 そして、その理由が、かなり妄想に近いことも「頭では」知っている。

 先日の会合では、まあ、ほかの言葉はさておき、「愛されキャラですね!」と言われたし、たくさん友達がいるでしょう・・・?などと言われる。まあ、あんまり嫌われるタイプでもないのかも?

 そういえば、先日、ある勉強をしに行った、その翌日、全く知らなかった土地で、モーニングを食べる相談をしていたら、その人が、その土地名物の「ういろう」をサービスして持って来てくださった。

 それだけではなかった。帰りの、電車が、途中、鹿を轢いたとかで、29分遅れた。ただでさえ、教室に帰って、すぐにセミナーを受講する予定だった(前日取り組んだ、ワークについてコメントをもらいたかった。)ので、とりあえず、金沢から高岡を在来線から新幹線に乗り換え(自宅も職場も、新幹線の駅よりも在来線の駅の方が近い。)、タクシーに乗った。タクシーの運転手さんに、「いてくださってよかったです。本当に急いでいたんです。」と話すと、そこから話題が広がり、その方が、あまりにも馴染みの大学のご出身だということを知り、盛り上がってしまい、結構な金額になった料金の端数を、「〇千円でいいちゃー!」とおまけしてくださったのである。私は、新幹線にかかった費用も、タクシー代もぶっ飛んで、その方の、そうしてくださったご親切に、心がホカホカしてしまった。

 たかがういろう一つと言うなかれ。たかが〇〇〇円と言うなかれ。

 金額の問題ではない。私は、私のことを、一瞬想ってくださったお気持ちが嬉しいのである。

 というわけで、それなりに神経を使わなかったわけでもなく、またまたやらかしてきたのかもしれない懸念もないわけではなく、相変わらずキャラ濃い、と言われるだけのことはしてきたのだろうけれど、とりあえずは、帰ってきた。

 その前日も、指摘されるほどの汗だくで、セミナーの会議室に飛び込んだ私は、今度は、またまた汗だくで、着替える間もなく、教室で、幾分遅刻気味で、セミナーを受講し始めた。

 生徒たちは、お土産を喜んで、というより、私が帰ってきたことを素直に喜んで、ますますやる気になっているようである。

 でも、先日から、ちょっと、考えなければならないようなことが続いていた。

 実務面でも、システム面でも、いろいろ教室では進んでいるし、プライベートでも、それなりに楽しい動きがないわけでもない。

 でも、まだ、どこかで自分を責めてる。嫌な気持ちにならなければならないような表現をされたり、どうすることもできない理不尽な状況に陥れられたことに対して、自分のどこがいけなかったのか?とどこかで考え続けている。でもね、わかってる。それよりもたくさんの人に良くしていただいていることを。

 そんなとき、引用させていただいた、記事を拝読した。「嫌われる勇気」も、続編の「幸せになる勇気」も読んだ。

 自分の努力の埒外にあることに対して、労力を払おうとするのは、ある意味、傲慢だと思う。自分にできないことを何とかしようとしているんだな。神様でもあるまいし・・・。

 できることはした。なあなあで済まそうとしていたことを、徹底的にやれ!と言われて、できるだけのことはした。それ以上は、ご本人の問題。私は関係ない。

 それから、「しあわせになる」って、本当に大変なことだと思う。現状維持が一番楽である。何もしなくていいのだから。「しあわせになる」ためにはリスクを負って、行動しなければならない。もっと大変になるかもしれないリスクを負いながら、前に進む勇気がいる。そして、たゆみない努力が必要である。

 一つの発言かもしれない。わからないことを聞くのも勇気かもしれない。知りたいことを、理解したいがために訊くときには、十分勇気がいる。誰かと一緒に、しあわせになりたければ、もっと大変である。

 嫌われるのは、嫌う相手の自由。自分でどうしようもない。そのリスクを負わずに、前に進めるなんてことは絶対にない。

 さっきから、ちょっぴりひるんでいた気持ちが、noteを書きながら整ってきたような気がする。(笑)

 

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