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せっかくなので、大学受験についての経験論を・・・。

 割と近くにいらっしゃる方のスキをいただいて、その方の記事に行きついたので、私も、ちょっと引用させていただきながら、大学受験について思うことなど書かせていただきたいと思います。一部、高校受験にも関わることです。

 私も、正直者がバカを見る世界は嫌いです。いやはや、こんなに年齢を重ねておいて、今更、何を言う?と言われそうですが・・・。

 でも、経験論的に言うと、正直者はバカを見ません。いや、正直に生きてる自分を否定していて、「ずるい奴ばかりが得をする・・・。」と、自分の不運を呪うような生き方をしながら、正直であろうとするなら別ですが・・・。本当の正直者の人は、正直に生きた方が、楽だし、人生の能率がいいから、正直に生きているのだと思います。

 だいたいずるい生き方していて、いざ!というときに、誰かが助けてくれると思います?裏表なく生きてきて、時には、自分にとって都合の悪いことも話してしまうような人間を、誰が疑います?これ以上の悪いことは、ないだろう・・・、という安心感で、人は付き合うでしょうし、何よりも信用という点で、嘘をつかない、というのは、最大価値です。

 経済の世界で生きていくのに、一番必要なのは信用・・・。いやいや、夫婦関係だって、親子だって、隣近所だって、あるいは仕事場でだって、ちょっとしたコミュニティだって、ましてや契約関係に入った相手とは、信用がモノを言います。いわゆる、関係性、ってやつですね!

 私だって、ある人に、こんな言葉を言われました。

 「そういう教育的信念のある人だから、もしものときは、僕らが動こうと思います!」

 業者さんや、あるいは、ビジネスをしていて、避けては通れない業界の人たち、何人かに、私はそう言われました。

 自分でも思いますが、私は、表裏などありません。もちろん、大人ですから、マナー程度の嘘はつきます。でも、本質的なことや、ほかの人に迷惑が掛かるような嘘は絶対につきません。嘘は絶対にバレますし・・・。

 実は、昨日、ある高3の女の子が、私に、もう一人の生徒から、こう言われたそうです・・・。

 「この塾、ある意味、厳しいよね・・・。」

 私は、どちらかと言えば、優しそうに見えるようですが・・・。もちろん、受験前には、ドSの○○に変身いたしますが・・・。

 「いったいどういう意味よ?」と訊いたら、その彼女には、もう一人の子が言った内容を教えてくれました。

 「私は、たくさん悪いことをしてきたけど、全部、先生にバレた。一つとしてバレなかったことはない。」と言ったのだそうです。

 そりゃあね、昔取った杵柄。私は、教員時代は、生活指導担当でしたから・・・。

 なぜ、生活指導部を強調するかというと、「苦手だったから」です。

 これは、どうも、私という人間の習性を表しているようです。

 今でも、生まれ育った大阪に愛着はないのです。学生時代を過ごした京都、初めて生まれ故郷を離れて住んだ金沢、そして、高岡、富山、札幌などなど、どうも、大人になって、自分の足で歩いて、それこそ苦労を乗り越えて、楽しく過ごせるようになった場所にこそ愛着をもってしまう、そういう習性があるように、教員時代、図書館の担当だったことなどは、別に語ろうとも思わないのですが、生活指導は、あまりに学ぶことが多かったので、私はついつい、「生活指導部担当でした!」と言ってしまいます。

 ほぼほぼ、生徒指導などないに等しい、高校を卒業した私ですが、そういう高校だからこそ、大学受験の、不思議さは、思い知っていました。そうして、高校教員になり、それこそ自分が大学受験にも関わるようになって、ああ、なるほどなあ、と感じることがたくさんあるのです。

 中には、不思議な合格をする子がいるのです。

 なんで?その成績で合格しちゃったの?という友達が・・・。そうかと言えば、あれほど勉強にばかり励んでいたのに、なんで?という結果になった友達もいたのです。

 それから、高校教員になりました。精神的な成長にこそ力を入れていて、その成長のもとに、結果を出す、という考え方の学校でした。

 そんな中で、先輩の先生方が、当たり前のように、「あいつだから合格したんだ。」とか、「あいつの日ごろの行いだなあ・・・。」とかおっしゃっているのをよく耳にしました。

 本当に、不思議な合格が、職員室にいると、耳に入ってきます。そんなとき、思い出すのは、指導をしていたときの、生徒の姿勢。誰だって人間です。教師にだって癖はあります。ましてや、大学出たての自分が、どれほど至らぬ教師だったろうか?と思い出すと、本当に、どうしてやっていたのだろう?と思わされます。自分なりに一生懸命ではありましたが・・・。

 でも、合格する子って、そんな至らない私のような、若い教師にでも、嫌な態度はとらないし、それなりの敬意をもって、指導を受けてくれていました。そんな瞬間瞬間を思い出しては、どこかで納得してしまうものがありました。

 それから、どれほどの生徒さんを、大学に送り出してきたことでしょうか・・・?

 その中でも、不思議な受験がいくつかあります。これから話すのは、教員ではなくなってからの生徒さんの話です。

 医学部なんて、今や現役で入るのが、めちゃくちゃ難しい時代。そんな時代に、成績から言ったら、絶対に現役で入るラインにいないのに、この子、浪人しないな、と感じさせられる子がいました。

 高校では、誰もしたがらない、つまりは受験に差し障るから、誰もしたくないだろう部長をし、おもわず「あなた、何学部受けると思ってるの!?」と叫びそうになるのを我慢して、「あなたが徳を積むチャンスだと思うことにするわ。」と気持ちを落ち着かせたのです。彼は、周りに絶対に嫌な思いをさせないのです。そして、いつも自分の気持ちを平静に保つよう、努力していました。でも、素直なので、人の愛情を受け止めるのも上手で、自分は愛されている、と信じて疑わないようなところもありました。それに、裏表もないのです。恨みたくなるだろう場面でも、次に会ったら、「もう、それについては対応しました!」みたいな調子でした。人を大切にするったらなかったのです。でも、人を粗末にするようなことには、しっかり怒っていました。私が、看護の専門学校に合格された生徒さんからいただいたチョコレートを一緒に食べようとしたら、彼は、「人にもらったものを、ほかの人にあげるんですか?」と怒るように言うのです。私は、彼に、医療関係の学校には行った彼女から、次の年、その生徒さんに同じ現場に旅立ってほしくて、一緒に食べたいのだと話しました。

 その後、担当を離れたけれど、合格したら、連絡してくれるように頼んでいたのです。センター試験直後に、なぜか不思議に会う機会に恵まれました。正直、センター試験の結果からは、「何学部受けるの?」というような成績だったのです。それでも、彼は、私との約束通り、「漢文は満点でしたよー。」と言ってくれました。

 合格発表当日、なかなか連絡が来ませんでした。でも、どうしても、彼が、予備校に行っている姿を思い描くことができませんでした。このあたりの勘は当たるのです。それに、別に、予備校に行って、浪人することが悪いことだとも思っていません。ただ、現役で入るのが難しい医学部だからこその話です。夕方、電話が鳴りました。合格でした。

 やっぱりな、と思うところがありました。

 そんな受験をいくつも見てきました。

 反対に、部活をサボるだけサボって、いいところどりするだけして、自分は好きなように勉強しておきながら、そこに収まったの?という受験もあります。それが別に悪いとも思わない・・・。

 だけど、先輩の先生もおっしゃっていたけれど、それに、合格することだけがすべてではないと思うけれど、私は、やっぱり、受験の神様、っていらっしゃるような気がするのです。

 いくつもの受験に付き合ってきて、なんだか納得させられるものがあるのです。

 その経験論から言うと、私の結論は、「正直者はバカを見ない。」です。

 だから、うちの教室に来る生徒さんには、私は、できることなら、正直に生きることをオススメしています。

 たぶん、一つ嘘をつくと、重ねて嘘をつかなければならない、という面からも、頭をすっきりさせて勉強する、という点からも、理にかなっていると思います。

 人は追いつめられると嘘をつかなければならなくなります。だから、親御さんの、お子さんを想う気持ちもわかりながらも、勉強することだけを望んだりしないで、大きな意味でのしあわせになるようなあり方を学ばせてあげてほしいと思っています。

 私は、受験勉強を通して、強くなってほしいのだと思います。人生にはいろんなことが起こります。そんな中で、いろんなことがあっても、それを受け入れて、そうして、転んでも、また立ち上がって、歩いて行ってほしい。何度転んでも、ちょっと休んでもいいから、また立ち上がって歩いていくことのできる人になってほしいのです。

 受験を通して、効率的な人生の在り方を学んでほしい。

 効率的なあり方、というのは、結局、正直に生きること、だと、私は信じています。今までの経験から・・・。

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