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お休みの日

この時期はなんとかお休みを取ろうと努力する。

受験が近づくと、そうも言っていられなくなる。

人数が減ったわけでもないのに、なんだか上手にお休みが取れている。

これはどうしたことだろうか・・・?


確かにお休みを楽しみにしてはいる。

しかし、今日は、いろいろなことをした後、教室に来てしまい、ブログをさんざん書いてしまった。

なぜか書きたいことがたくさんあった。


どこかで妥協できたらよかったと思っている。

例えば誰かに勝つとか、結果とか、体裁とか、そういった外見を大事にできる自分だったら、もう少し楽だったなあ、と思う。

私は内実重視の人間。

だから、男性だって、どちらかと言うと、見目麗しい方よりも、質実剛健、日本男児、的な人が好みと言えば好みである。

外見に捉われないって、ある意味自信があるからだ、と思うに至ったきっかけとなった人物がいた。

出会った日は、こちらが訊ねもしないのに、

どうされました・・・?

とちょっと困っていそうなおばさんに話しかけてきた。


まだ暑くもないのに、Tシャツに、短パン。おまけにビーサン。

思わず、麦わら帽子と虫取り網と虫取り籠を差し上げたい気持ちになった。

また、ビーサンがよく似合っている。

ここをどこだと思ってんの?あなた、遅刻するわよ。

第一、私だって大学で講義してんだからね!

でも、その、いかにも、困ったおばさんを助けたそうな彼の振る舞いに、私は、その瞬間女の子になってしまった。

そう、かつて、息子が、完璧私を女の子扱いして、彼の気に入らないヘアバンドでもしようものなら、

可愛くな~い!

とばかりに、言葉もしゃべれないのに、むすっと怒り、さっと取り上げていた、あの瞬間を思い出すしぐさ。


昔はやった、岡村孝子の、

女の子の性格って、相手次第で変わ~る~。

が心の中で流れそうなくらい、それは素敵な彼だった。


いや、目は小っちゃくて、お世辞にもイケメンだとか言うタイプではないような・・・。今時のタイプではない。

が、しかし、ばっちり私のタイプだった。

ああ、ときは残酷。

これが○○年前の出会いだったら!


ちょっと待ってよ!

私はお休みの日の憂鬱を書くはずであった。

朝から憂鬱であった。

どこかに出掛けて、モーニングをいただくというような華麗なお休みではない。

今日は、晴れたら、あれこれしたいことが山積みだった。

しかし、ハマってしまった。


どうしようもない日もある。

もうどうしようもなく憂鬱な日があるということを、今日ほど実感した日はなかった。実感?自覚?

憂鬱である事実などない。気分があるだけである。

しかし、内因的に憂鬱があるのでもない。それは思いっきり外因的である。しかも、住んでいる場所界隈のことでもない。仕事のことでもない。

私は、四角い箱に入れられ、どこかの隙間からその四角い箱の中から外に飛び出したくて、でも、それもできない気持ちで、ある人と話していた。

もういいよ。と言ってもらえたら・・・。あなたは悪くないよ、と言ってもらえたら・・・、それでチャンチャン!なのだけれど、どこまで言っても、誰が悪い、彼が悪い、論法。

私は何も悪いことしていないし、事実を言うと、その事実を上回る事実が告げられる。気持ちがふさぎ、終わることもできない論になる。

私は議論を降りるのが得意。

あ、もう駄目だ。この議論、前には進まない、と思ったら、私はさっさと降りる。

やめよう、とか、そうかもしれないね、と言って。

それができない。

だって、謝る余地がない。

今書きながらわかったけれど、謝る余地がないのである。

だいたい3対7で自分が3悪かったら、私はさっさとその分謝る。

でも、この件だけは、たぶん0対10に近い。

そうだから、私は降りられない。謝れない。

だから、逃げ場がないのである。

謝ることができたら簡単なんだ。

実は先日から、

あなたの感覚は、シゴク全うだと思います、説がたくさんある。

私は一応、どんなことにも、よほど自分に経験があって、自分の判断力を信じられる場合でない限り、人の意見を聞く。

何も正当化しようとして、ではなくて、そうではなくて、いろんな感じ方があるから、という理由であれこれ聞く。

でも、どうやっても自分の悪いところを見つけられない。

教えてくれたら謝ります。

現に、私は私は悪くないけど、自分が原因になったことはあっさり認めて謝りますから。

ああ、どうすればいいのだろうか?

しかし、書くことによって、自分の戸惑いの原因がわかったではないか?

だから書くことはやめられない。

読んでいただいた方々、お付き合いいただきまして、ありがとうございます!

めちゃくちゃ素晴らしい自己分析?いや、事実の分析?

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。