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弱さと強さについてーほしい言葉と失敗をさせてほしいという気持ち

さっき、この、「弱さのセンサー」という記事に目が留まって、思わず購入してまで読んでしまったのでした。NOTEで記事を購入したのは、正直初めてです。

で、占いをやってる人?と思っていたら、なあんと、しいたけ占いのシイタケさんだったのです。あー、びっくりした!

最初の、しんどくなりそうな人と会うと肩が重くなる、という表現に、惹かれました。


最近、あなたからは弱い、という感じが全然感じられない、と言われて、ああ、そうなんだなあ・・・、と思っています。だいたい、世間の評価は、そんなもんです。あー、高校時代の同じ部の指揮者の先輩や、友人たちのこの言葉を聞かせてあげたい。

強い、というより、強いことにされてきた、と言いたいのです。

私は、感受性が強い方だし、たぶん、気づく人は気づいてくれるのですが、繊細な方でもあると思います。

そして、ちょっとした予知も感じるのことがあるのです。

ときとして、それは、眼前に広がることすらあります。

例えば、次に住む場所・・・、とか。

転勤もしてきたので、あちこち住んできたのですが、あ、ここ、と覚えていた場所、何となく好きになった場所は、その後、自分の人生において重要な場所になったり、その後住むことになった、ということもありました。

先日、記事でも書いたのですが、私は、つい一週間前の自分のお誕生日にひどく落ち込んだまま、今も立ち直れないでいます。

原因は、母との誕生日のときの、電話での会話。

遠方にいる母は一人暮らしなので、よく電話をします。あくまであちらは話を聞いてあげている、というスタンスです。

母は最近不調を抱えていて、不機嫌ではありました。

その不機嫌な調子だけで、私は毎日自分を見る目が変わるほど、どうも母の態度は自分に影響があるようです。

高齢者です。

こんなこと言ったら、私が子どもだという誹りを受けるのもわかっていますが、お誕生日の日に、お祝いの言葉もそこそこに、不調の話を延々話し出しました。

私が慰めるでもなく、アドバイスしてみても、母は、経験してみた人でないとわからない、それ言えるかなあ・・・、と聞く耳を持ちません。

昔から、自分の不調に、すごく敏感な人だなあ、と思ってきました。

一方私。

渡ってきたところが勇ましいところが多かったり、自分の不調が即ほかの人への迷惑につながる、という場所にいたし、また、労わられるなんてことはなく、迷惑かける、という立場で来たので、その感覚が、あまりわからないのです。

兼好法師の言う、「友にするにわろき者」になるのかもしれません。幾分健康ではあるし・・・。

ただ、お誕生日の日くらい、と落ち込んでしまったのです。

自分でも理由もなく。

時折、母の言葉でごそっと私は落ち込むことがありました。それは高校に入学してからのように思うのです。

あまりにどんよりゴールデン・ウィークを過ごしてしまったので、とうとう、昨日、ある人に、話してみました。


あら?またなんで?とその人。

ああ、始まった。私が子ども説?

ご高齢者はそんなもん、説?

話した私が悪かった・・・。ああ、後悔。


でも、今回は違いました。

その方は、母がどういう人か、会ったこともないのに、言い当てたこともあります。占い師・・・?

そうなんですよ、占い師。違うって!


叱られるかなあ・・・。どうせわかってくれないよなー、とうつむいていたときに、その人が言いました。

あなたはお母さんから、ほしい言葉があるのと違うかなあ・・・。

ーなんでわかったんですか?

次の瞬間、聞き返していました。

謝ってほしいのです。一言。

謝ってる、というけど、私は謝られてはいないのです。気持ち的に。


私は、些細なことでも、子どもたちに謝りました。重大なことなら、仮に自分が悪くなくても、謝りました。周りの人間関係のせいで、仕方のなかったことであっても、人間関係に巻き込ませてしまったりしたら、それが些細な事件であっても、心底謝りました。だから、彼らとの会話は短くても要点をついていました。

けれど、私と母の話は長いのです。仮に電話であっても。

それを見事に言い当てられたようでした。

いつも言ってほしい言葉の周りをぐるぐるぐるぐる回って、核心を衝いた言葉を言ってもらえないのです。

それは逃げだろうと思います。

潔くない。

かつて母がしたこと、それは母が悪いわけではないのだろうけれど、私がした思いについて、私はただ、一言謝ってほしいのです。それに、私が少しばかり弱っていたり、何か嬉しいときに、気持ち的に寄り添ってほしいのです。

母はまるで寄り添ってはならないかのように、そこを無視しているように思えるのです。

一言でいいんだよなあ。

それを言い当てられて、ああ、わかってくれてるじゃん!と、ちょっとホッとしました。

でも、先日、自分の気持ちがふさいだ時に、最初に思い浮かんだのも、その人でした。きっとおんなじ思いをしてきたんじゃないかなあ・・・、と思って、ふと思い浮かんだのでした。

昔、強さと弱さの件で話したことがあります

ー弱い人って、得ですよね。

とぼそっと言った私の言葉に、面白いほどの絶妙の間で、そう、あまりにも驚いたかのような沈黙のあと、

ーそれ、わかる。めちゃくちゃようわかる。ある程度まではそうやなあ・・・。

これこれ。弱さの強み。

アドラー心理学でも指摘されている、弱さ。

まあ、ある程度まで、と言うのも味噌だけど。

私は、たぶん、どうしたって共通項の見つからない、その方に、なんでこんなに長い人間関係になったのかなあ・・・?と思ってきたのですが、出会った頃の、全然共通項がないのに、なんかある、と思ったことを思い出しました。

きっと、決して強くないけど、いつの間にか強くならなければならなくなった、という点が似ているのではないだろうか・・・?

先日の母の言葉で胸ふさがったとき、あの方なら・・・?と思ってしまったのは、こういうところではないだろうか・・・?

私は一生、母の一言を待って暮らしていくのだろうか・・・?

それとも、母が存命のうちに、その一言を言ってくれるときがあるのだろうか?

きっと、その一言を言ってしまったら、母は、崩れるのだと思います。自分の人生を否定したくない、というくらいの言葉なのだと思います。

そうして、それは、私には失敗を許さない、という姿勢でもあります。

不遜に聞こえるのを承知で、言います。

私はほとんど失敗をしてきていないのです。

ある人に言われました。

先生、自分で気づいてないやろうけど、先生の経歴、ってめちゃくちゃきれいねんで・・・。なぜか同郷の大阪人。

はあ?

自分では失敗だらけ。

でも、確かに過程でしんどい想いした分、自分が原因である失敗と言えるような失敗は確かに思いつかない。始末書一つ書いたこともなければ、仕事ができないという指摘を受けたこともない。

そこで気づいたのです。

私は母の一言がほしい。

そして、私にも失敗を許してほしいのだということに気づいたのです。

私は失敗を許されてこなかったんだな、と今、気づいています。

自分では優等生だなんて思ったことはありません。

でも、生徒も言うように、仮に先生に失敗があったとしても、先生は失敗を失敗のままにしないから・・・。

そうそう、猛スピードで、生きてきました。


なぜか、最近、人生の中でも、自分の中では、最も辛かった時期が、愛おしく懐かしく思い出されて仕方がなかったのです。みじめと言えば言えたかもしれない。その時の風景が眼前に広がっていました。懐かしく。

でも、その場所が、決して楽しくもなかったその場所にいた頃を、やたらと懐かしく慕わしく思えていたのです。

なんで?

それは、失敗というほどの失敗でもないし、第一自分がしたことが原因ではなく、ほどなく立ち直って、社会的に活動もし、ある意味羨ましがられてもいた(人の気も知らないで!と内心では思っていましたが。)時期ですが、心の中は毎日、大嵐、という日々でした。

そんな日々をどうして懐かしく思うのか?

乗り越えてしまったから?

アスリート気質、とときに呼ばれる私が、乗り越えるものを持っていた喜びを思い出してるの?

いやいやいや・・・。

周りもあきれ返っていました。

また、なんで?

ついでに、あの頃は良かったなあ・・・、と時折思うんだよねー、とまで言ってしまったのです。


わかったのです。

それは、唯一に近く、失敗と認められるような時期だったから。

失敗認定してもらえる時期だったから。

それも不可抗力的に。それでも母にとって、それは失敗のうちに入らないのでした。そうです。私の経歴的には、失敗にならない。身内の失敗にはなっても、社会的に私は失敗していない。おかしな表現です。むしろ社会に顔を出し始めた、というような。

労わってほしい。寄り添ってほしいのです。

そうして、もしかしたら、私は大々的に、失敗してみたかったのかもしれません。

いや、失敗したいのではなくて、失敗しても、受け入れてもらえる母の言葉がほしかったのだなあ、と今、思っているのです。

母は、私に失敗を認めないのだと思います。

もっと言うなら、私の弱さなどあっては困るのでしょう。

だって、頼りにしなければならないし、私がしっかりしていることで自分を支えている部分もあるのでしょう。

母親が弱かったら、子どもの気持ちが不安定になるのと同じ原理。

わかっただけでも、私は、これから先、少しは生きやすくなるのでしょうか?

などと、ちょっと客観的に分析しています。

いや、先日のお言葉がなければ、今ごろ、もっと落ち込んでいたままだったでしょうけれど・・・。(笑)

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