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悪気がないわけないじゃん!?ーモヤッと嫌なことを言う人

めちゃくちゃよーくわかってしまうしいたけさんの記事を見つけてしまい、思わず頷きながら読んでしまいました。

私はおっとりしてると言われる一方で、

お前は鋭すぎるんや・・・。

と大学の同級生に言われるというありさまで、頭も回るかもしれないけれど、かなり感受性の強い方で、誰かが何か嫌なことを言うと、

それってどういう意味?

とか、

なんで?

と聞き返したり、どうも気にするそぶりをしたり、あるいは無視して、つまりはスルーするふりしてそれでいてダメージを受けていたようでした。

それを、

あの人が○○って言った・・・。

と言ったら、

気にしすぎ。

とか、

考え過ぎ。

とよく言われたものでした。

でも、そんなはずないやろ?と常々思い、その都度心理分析などをしてきた私(相当に嫌な奴?)にとって、目から鱗どころか、思い当たること満載で、

それやねん、それやねん、私の言いたいことは・・・。

と納得してしまったのでした。

最近、noteにもよく書いているのですが、どうも人生の分岐点を迎えようとしている年代なのか、周りからの言葉がちょっと辟易という感じがよくあったのです。
結婚してからもよくありましたし、大学時代、地方から来た男子や、女の子の友だちのなんとなくの言葉に引っかかったり、あるいは夫の職場絡みの人たちーこれは女性の方ですが、から嫌な感じを受けたことはたくさんありました。極めつけはお姑さん。

しいたけさんのおっしゃるように、イヤーなことを言って、それがバレたら、私の気にし過ぎという風に思われるように、

あら~?私、また何か言った?

という風に逃げる方がたくさんおられました。

本当に生命力が削がれます。
私は、転勤先から戻って、夫の実家のそばに住まうようになっただけで、寝込むことが多くなりました。
お姑さんは私と同じ年の娘さんと私を比べて、とにかくあれこれあれこれ。
どう見たって比べる要素がない生き方をしてきたのに、比べようのないものを比べることほど無理のないことはないわけで、誰にだって棲み分けというものがあるわけで、そんなもん、同じ基準で比べ続けたら、どちらにとっても不幸なわけで・・・。

私は思います。
自分に自信をもてばいいのに、って。
自分の来し方に誇りを持てばいいのです。
何も勉強して、社会的地位の高い仕事に就くことだけがいいというわけではないでしょう。
一家の家刀自として、そのうちを牛耳るーではなく、まとめあげるのだって立派な仕事です。自分に自信がないから、周りの誰かを立てることができない。
社宅の奥様方も、本当にそう思っておられるのなら、ご自分の美貌を自信にして、私などのような勉強しか取り柄のないものを気になさる必要もなかったのに・・・。(笑)

そう言えば、同じ集合住宅に住んでいたお友達が一足先に出産されたので、私と先輩の奥様でお祝いに入院中の彼女をお見舞いしました。
県下で知らない人のいらっしゃらないようなお家の奥様で、そのお姑さんが、彼女が生んだのが男の子だったのがとても嬉しかったようで、私のおなかを見て(その視線が、そのチラリ感と、刺すような鋭さが特徴。(笑))、

奥様は女の子?

とおっしゃった後に、スマートな先輩が、三人お産みになったことと、集合住宅に住んでいることを、

まあ、そう広くもない社宅に三人は大変でございましょう・・・。
(はっきり狭いって言えよ!と内心思う私。)

三人もお産みになったのに、体型もちっともお変わりになりませず・・・。
(ごめんなさい。臨月のようなおなかしたひよこのような私で・・・。)

と珍しく人の嫌味をしっかり嫌味と取ってしまいました。いやしまえました。(笑)

そのときの奥様のおっしゃりようを、一生懸命に練習してみました。

そう広くもない社宅に・・・。
あら、奥様は女の子?
三人もお産みになったのに、体型もちっともお変わりになりませず・・・。
(ここは舌を嚙まないように気を付けたりして・・・。(笑))

などと。

そして、実家に帰ったとき、非常に滑らかに母の前で、その奥様のおっしゃりようを真似して言ってみたのでした。

母は私をじっと見つめ、ウフフと笑い出し、

まゆみちゃん、そういうしゃべりかたしてみ~。
ちょっときれいに見えるわ・・・。

と言ったのです。
もうこの母ときたら!

とはいえ、いろんなことをおっしゃって誰かを傷めて、とにかく勝ちたいという人は多いと思います。

人はいろんなコンプレックスを抱えているものです。
コンプレックスを感じているから優越感に浸りたいわけで。
そのコンプレックスを刺激する人が大いに苦手というものでしょう。

でも、いい大人になったら、そんなもの、自分でちゃんと片付けておかなければならないと思います。

ちゃんと自分の機嫌は自分で取らなくちゃ。
ちょっとやそっとの人が現れても、ビクともしないくらい人生経験から自分の人生における自信を持っていなければ情けないと思います。
また、それくらい努力するべきだし。
奥さん業って、本当は大変なのです。
仕事をしている人に対しても、ドーンとしていられるくらい、奥様業を頑張ってみてはいかがでしょうか。

悪気なく言う人なんて私はいないと思います。
とはいえ、勘違いされて怒られたこともあったから、もしかしたら悪気なくということはあるのかもしれない。
でもほとんどいないと思います。

そういう、自分の人生において片付けていないことを誰かにぶつけて誰かの生命力を削る人とは、確かにちゃんと距離を取るか、あるいは、もう何にも言わせないくらいの存在になるべきだと思います。
なぜなら、そういう人があれこれ言っている間って、言われている方も若干まだ信念がないこともあるからです。
というのも、最近の私がそうでした。
信念をもって正当なことを言っていても、無茶な人は無茶なことを言ってきます。
気が強かったり、支配欲が強かったり、あるいはどこかに何かの原因があるのだろうけれど。
そういう人に何を言われても、ちゃんと言葉でもって対応できるような自分になるための鍛錬でもあります。

しっかり考えること。
論理構成をしっかりしておくこと。
信念を固めておくこと。

どれもすべて自分にとって大事なことなのです。
特に子育て中の母親の不安やこうあってほしいという気持ちって、何よりも強い。理性など太刀打ちできないほども威力があります。
だから負けない強さをもたなければなりません。

それにたいてい無茶を言った人にいい結果が出ることは少ないと思っています。経験的に。
目の前のことがよく見えても、遠い将来に何が起こるか、わかったものではありません。
ああ、不徳を積んでいるなあ・・・、と思わされることも多いのです。

でもいちいち言って、それをわからせるのは至難の業です。
ときに限界があります。

だからやはりこちら側がちゃんと言葉をもつことが大事だと思います。
人の生命力を削るようなことばかり言ってる人間に、ロクなことなんてないんだから・・・。

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櫻井真弓/国語大好き!(&数学)
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