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あることに気付いて疲れていること

人生は気付きの連続です。
どこかに幼少期に満たされていなかったり、あるいは違う時期に当然満たされるべきものが満たされていなかったりする人は、当然どこかでそれを満たそうとするもののようで、だいたいは連鎖的に満たされるための対象を求めるような気がします。
だから、私は子供時代に無理をさせる姿はあまり好きではありません。
仕事柄、明言してしまうのはどうかと思うのですが、小さいころは愛情いっぱいに育てておけば何とでもなると思います。
勉強ほど、やろうと思ったときにやっても、そうそう間に合わないことなどないものはないと思います。
そんなことよりも、目に見えないことの方が、もう手遅れになることがどれほど多いことか。

過保護とはちょっと違うけど、悪いことするのも小さいころならまだ許されるし、ほどほどの危ないこともちょっとはしておいた方がいいのかもしれません。

私は危ないことをさせてもらいはしませんでした。
刃物をもってはいけない。自転車に乗ってはいけない。
逆に嫁に行けないと心配されて、父からはほどほどの年齢になった頃、包丁の使い方を学ばされました。

たくあんを切って、

こんな切り方していて、嫁に行けるか!?

と言われて、

行くつもりはありません。

と言いたかったけど、何とか抑えたのを覚えています。(笑)

なんでもそう。ひずみが来るほど頑張るのはあまり良くないように思います。

思えば子どもたちも、そのひずみが来ないようにとバランスを考えていました。
ただ、私は、人としてどうよ?と思われる部分には相当うるさい母親です。
それをやったらあかんやろ?ということをしたら、張り倒します。
いや、物理的にはできないから、相当の制裁を施します。というか施してきました。

教師として考えます。
本当にしあわせな在り方って、どういうものだろう?と。

意外に親子の関係がその子のしあわせには大きく影響すると思うのですが・・・。

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