都知事選から政治を考える

始まって早々、想像の斜め上を行く問題が起きてめちゃくちゃな2024年の都知事選。投票権をもつ一個人としては、そんなカオスな選挙でも投票しないわけにはいきません。そしてめちゃくちゃな選挙だからこそ、選挙というものを見直す必要があると思います。
ヘッダ画像も用意できない即席記事ですが、適当に思うことを書き連ねてみました。
都知事選をきっかけに政治に関する感想を吐き出しただけなので、あまり都知事選そのものに深く言及はしていません。

私が投票したいタイプ、したくないタイプ

 今回の都知事選に限らず、どの選挙でも正直「この人に任せたい」「この人なら信用できる」と思う人はほとんどいません。「論外」か「よくわからない」と評価することが多いです。
 私が投票したいのは、変にやる気に満ち溢れていない政治家です。というのも、今の政治家を見ていると、多くはきれいごとを言いながら、義務化やら無償化やらを推進し、すぐ増税やバラマキに走り、一般人に負担を負わせるという、余計なことにばかり熱を上げるので、そういう余計なことをしない人に任せたいわけです。それが一つ。
 もう一つの理由は単なる主観、偏見ではありますが、あれやります、これやりますと聞こえのいいことばかり言ってやる気アピールする人は、現実的な視点がなく、無責任な人が多くて信用できないからです。自分の成果アピールと自分のやりたいことだけに必死で、人の話なんてろくに聞きません。結果、誰かのためを謳いながら誰かの利益より自分の利益を優先し、本人が何か大業を成したような自己陶酔に陥っていることが多く、批判されても無視、失敗しても責任とらず知らんぷり、あるいは悲劇のヒーローぶった態度をとります。そういう人をたくさん見てきました。
 そしてこういう人は正義のヒーローになりたいだけなので、自らの正義に物申す相手に対しては強権的で暴力的にもなりがちです。自分は絶対に正義だと信じきっているので、いかなる説得も通じません。権力を手にしたら自分の正義が認められたと思うのか、しぶとく居座ってどかないので、権力を与えてはいけないタイプだと思っています。
 残念なことに、今の政治家や権威ある人を見ているとこういうタイプが多くて困ります。だから、理想論やきれいごとを言う熱血漢や正義漢、良い子ちゃんは投票候補から除外します。この消去法スタイルで一気に投票先が絞り込まれます(今回の都知事選も、この消去法でほとんど消えました)。

手厚い保護、過剰な弱者救済への介入策はNO

 私の消去法スタイルではもう一つ、医療・介護・教育・子育て支援・マイノリティ支援等、福祉や弱者救済系の政策を第一に掲げている人も投票候補から真っ先に外します。
 私が行政に求めたいのは、限定的な層への手厚い支援ではなく、年齢性別問わず可能な限り多くの人にとって利益になる政策です。インフラの整備・充実とか、災害対策とか、外貨獲得や企業誘致等の財源確保とか、地味でも基礎的なものに重点を充ててほしいものですが、昨今の政治を見ていると医療・福祉の拡充を中心に、弱者救済を謳った○○無償化や○○に補助金だの、○○対策のための義務化だの、SDGsアピールだの、緊急性が低く対象が限定的なうえに有効性も疑わしいものばかりで、その恩恵を得られない人にとっては税金の払い損ですらあります。そして何か問題があればすぐ○○義務化、○○禁止などといって社会生活を面倒なものにしてしまいます。これ以上そういう政治家が増えては困るので、この手の弱者救済や優しい政治アピールをしない人に投票したいわけです。
 もちろん弱者救済も必要ですが、弱者の周りには常に弱者を餌食にしようとする強者がうろついているので、純粋に弱者のためを考えて施策を行っても、現実には小賢しいエセ弱者、情報強者や胡散臭い組織・団体などの「捕食者」が制度の隙をついて利益を掠め取り、真に支援の必要な弱者に支援が行き届いていないことが少なくありません。身近なところでも、いじめがあっても被害者が泣き寝入りさせられたり、意思表示できない人に代わって支援者がその人のもつ権利を都合よく自分のものにしたり、慈善活動を謳う募金をしながらその金を着服したり、弱者が救われない場面は多々あります。そういう弱者を救うための政策だろうという声が聞こえてきそうですが、それを実施する政治家自身も「捕食者」に取り込まれやすく、結局「捕食者」側についたりするので、なかなか問題が解消しないわけです。学校のいじめ問題なんかでも教師がなぜか加害者側を擁護していることがあるように、弱者と強者の謎の逆転現象がどうしても起きるので、残念ながら弱者救済は一筋縄ではいきません。「公」に頼るより「自」で解決する方が手っ取り早いと思います。
 また、弱者救済を特に強く掲げる人は現実的な思考や視点に欠けた理想論で語る甘ちゃんか、悪意ある「捕食者」が多いように思います。たいがい金持ちや企業や政治家を敵扱いして弱者救済や人権保護を語るのですが、自身が規定する弱者以外の人権を軽んじる傾向があるので信用できません。そして前述のとおり弱者救済自体もきわめて難しく、成功する見込みが薄いものです。そこに貴重なリソースを重点的に注ぎ込んでもそれで救われる人はきわめて少なく割に合わないため、弱者救済策を第一に掲げる人には投票したくないわけです。それに、悪意なく信念に基づいて弱者救済している人は目立たないところで活動していて政治舞台には出てこないので、怪しい人物に投票するより地道な活動をしている人や団体を個人的に支援するか、自分で弱者救済するほうがよほど弱者救済になると思います。

バラマキ型は一般人の敵

 今回の都知事選候補者を見ても、弱者救済しぐさを見せるバラマキ型ばかりでため息が出ました。~に支援を、と主張するのはかまいませんが、その財源をどう確保するのかについて触れられていないので、後出しじゃんけんで政策をひっくり返すか、都民の財布から金を巻き上げることが予想されます。
 弱者救済を主張するタイプは、支援を強く訴えるくせに自分の手取りは減らしたくないケチな人が多いので、ばら撒くための財源を他人(特に資産家や一般労働者)からどんどん取っていきます。目に見えて明らかな弱者を救済し、弱者からの賞賛を得ることで正義のヒーローになっているつもりなんでしょう。
 だからこの手のタイプは普通の人に興味をもちません。普通の人を救ってもヒーロー感が薄いからです。平均的な、普通の人に興味のない人を支持しても、多くの一般人はヒーローごっこの資金源にされるだけで何も救われません。こういうバラマキ型は一般人の敵でさえあると思います。

バラマキ政策は悪質な金融商品のようなもの

 政治家の中にはきれいごととバラマキだけではなく、現実的な視点で考える人ももちろんいます。ただ残念なことに、現実的な視点に基づくとどうしても有権者にとってマイナスになること(支援の打ち切りや増税など)が出てきます。そういう不都合な真実は明かしてくれるほうが正直ではありますが、すんなり受け容れるのは難しく、支持されにくいものです。これは政治に限ったことではなく、人間の心理的にしかたないことです。だからこそ一般人は表面的なお得情報に惑わされて、本来敵であるバラマキ型に期待し、投票してしまいがちです。
 バラマキ型の政治家は悪質な金融商品みたいなものだと思います。広告のわかりやすい部分には有権者にとってマイナスな情報は出てきません。極小フォントの注意書きのごとく、表に出てこない情報まで注目しないととんでもない大損をもたらす、そんな存在です。しかも彼らは後出しじゃんけんという反則技も使ってきます。そうして大損しているのが今の日本社会じゃないでしょうか。
 政策には賛否両論ありますが、一つ確実に言えるのは、バラマキの財源は国民(地方政治であれば地方の住民)の財布ということです。支援だの保護だのの金銭的負担を強いられるのは一般人です。救済だの保護だの、ヒーローごっこがしたいのなら自分の金でやっていただきたいものです。慈善のための寄付や支援は本来任意であるべきなのに、税金のような形で強制徴収されてはたまったものではありません。あまり生活に余力のない人さえも強制徴収されるから、貧しい人や家庭が増えるわけで、結果的に弱者が増えてしまうわけです。本末転倒としか言いようがありません。

有権者が考えるべき投票 ~選挙はお買い物のようなもの~

 現在の国民負担率はほぼ50%(https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/futanritsu/20240209.html)。いくら稼いでも約半分が税金や社会保険料で持っていかれてしまうので、現役世代を中心に生活に余裕がない人が多数でしょう。政策の財源はほとんど税金なので、政治による支援や保護を望めば望むほど税負担は増えます。有権者はそれを理解したうえで投票すべきと考えます。
 要は政策の充実と税金を秤にかけて検討することです。ふだんの買い物と同じで、「その政策は高い金を払ってでも欲しいものか、生活が苦しくなってでも支持したいか」、それを考えるだけです。
 私としては政治による手厚い保護政策、義務化や無償化などはやめて、税負担を減らし、多少リスクが上がってももっと自由で流動的な社会にしてほしいものです。税負担が軽くなれば、その分ふだんの生活や余暇にお金を回せます。そのほうが人生充実できますし、いろいろな業種にお金が回りやすくなるので、利益分配的な意味でも望んでいます。出会いも増えやすくなるので、未婚化・少子化対策の面でも見込みはあるのではないかと思います。私はそういった引き算の政治、いわば小さな政府を望むので、都知事選に限らず、選挙ではそれに近い「政策」に投票するつもりです。

人物イメージより政策重視の投票

 多くの人は、クリーンな政治を求めるがゆえに「真面目そう」「優しそう」「誠実そう」というような人柄で選んでいるのではないでしょうか。もちろんそういう基準で選ぶのは自由なんですが、もし現状を変えてほしいと願うときに「真面目そう」というような人柄重視で選ぶのは悪手だと思います。残念なことに、真面目な人や優しい人、誠実な人には何かを変えるような大きな力や戦う力を持っていないことが多いからです。
 現状を変えるにはたいがい強い抵抗が生じるので、その調整に多大な労力が必要です。真面目な人や優しい人の場合、まず多方面から話を聞き、会議などで慎重に議論を重ねながら事を進めていくので、非常に多くの時間と労力が要ります。議員在職期間に解決できない恐れさえあります。日本の裁判で判決までに長い年数がかかるようなものです。加えて、真面目な人ほどうつ病になりやすいといわれるように、意見の衝突の際に心折れてしまうこともあります。真面目な人や優しい人は戦いには不向きなので、この人たちに戦いの指揮を執らせると高確率で敗北すると思います。
 そして何より、完全無欠の人間はいません。誰でも多かれ少なかれ短所をもっています。真面目そう、優しそうな人でもトラブルは起こすでしょう。そういったときに、普段の印象がよければよいほど、大衆には「裏切られた」という心情が強く生じ、大衆によって叩き潰されやすくなります。そうして真面目な人や優しい人はいなくなっていくわけです(ポリコレ思想・潔癖思想の強い昨今においては特に)。政治の世界に変人や狂人が多いのは、ある意味当然といえるでしょう。
 人間は不完全なものなので、政治家に潔癖を求めても無駄だと思います。いい人そう、真面目そうというような表面的な人物イメージで選ぶよりは、面倒でも政策内容に重きを置いて選ぶほうがよいと思います。とはいえ、あくまでも「政策重視」なので、政治家本人の素行や政策内容を比較検討した結果、あまりにも人格に問題あるとき(税金を横領したとか、違法行為常習犯など)は政策が合っていても支持しないことはありますが。

政治無関心からの脱却

 私は政治学科卒でもありませんし、政治に詳しいわけでもありません。政治に強い関心があるわけでもありません。それでも選挙にはいきます。選挙権は先人が苦労の末に勝ち取った貴重な権利ですし、民主主義国家においては社会の一員として自分の意見を投票というかたちで伝えるべきと思うからです。
 マスメディアや大衆は特に強い候補者にしか目がいかないので見落としがちですが、各候補者の獲得した票はその候補者の政策を支持している人の数ともいえるわけです。だから泡沫候補であろうと、選挙区内のビリであろうと、結果的に死票になろうと、何票獲得したかという数字はきちんと意味をもつものだと思います。その獲得票数によっては無視できない存在(意見)になるからです。メディアや専門家には、目立つ有力候補ばかりではなく、そういった点にも注目して解説してほしいと思います。よく投票率の低さや政治への無関心が問題視されますが、有力候補にばかり注目し、取り上げるというメディアの偏った姿勢も「どうせ○○が勝つでしょ」「行っても無駄」そう思わせる一因になっていると思います。
 政治への無関心といえば、日本では「野球と政治の話はするな」などといわれるように、政治の話題がタブー視されがちです。たしかに意見が割れて面倒なことになりがちな話題ではありますが、政治の話をしてはいけないから誰も政治の話をしようとはせず、政治の話をしないから政治への理解も浅く、政治そのものへの関心も薄まるのだと思います。そんな社会で「投票率が低い!」「若者は選挙に行かない!」「選挙に行かないから世の中よくならない!」などとキレたところで何の解決にもなりません。今回のポスター問題も含め、今までの選挙や政治の在り方、扱い方は見直すべきだと思います(ポスター問題は有権者がナメられているといってもいい気がします)。自由とは? 権利とは? 法とは? 税金とは? 社会とは? 有権者もまた各々そういったものを考えていかないと、世の中はどんどん壊れていくでしょう。

 明日はいよいよ投票日です。繰り返しますが、選挙はお買い物のようなものです。自分がお金(税金)を払ってもいいと思える政策をよく考えて購入(投票)することをお勧めします。そのほうが、たとえいい結果が得られなかったとしても納得しやすくなるので。

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