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江戸の半衿を愛でるー歌麿・英山•国芳の浮世絵から

皆様お着物はどれくらいのペースで着られますでしょうか?

これからの時期だと、二月には梅が咲き乱れ、三月には千利休の死を悼む利休忌があり、四月には観桜、そして春季の展覧会がありますね。

なかなかお着物を着たり、考えたりするには良い時候ではないでしょうか。

私はというと、もういつ着物を着たか思い出せない…。数年前に浅草歌舞伎を見に行って以来ですかね。(あの時は中村米吉が見たくて。結婚しちゃいましたね、今は米吉ロスで気が沈んでます泣)

話が逸れる前に本題へ行きましょう。

今日はお着物でもマイナー、だけどよーく見られているパーツ、半衿(はんえり)について取り上げます。


そもそも半衿とはなんぞや、と言われる方もいらっしゃるかと思いますので、ちょっと説明を。

お着物で一番汚れやすい場所はどこだと思いますでしょうか?

埃や土をかぶってしまいそうな裾(すそ)?それともお食事などで汚してしまいそうな袖(そで)?

いえ、襟(えり)なんです。

けっこう首から胸にかけての部分、汗が出たり溜まりやすいそうです。それらが襟に付着するとどうなるか。シミがついてしまうんですね。

そうならないためのガード役として江戸時代に考案されたとされるのが、半衿。

半衿は、お着物の一番下に着る「長襦袢(ながじゅばん)」の襟の部分に自分で縫い付けます。そう、自分で縫わないといけないんです。(最近はテープタイプとか、もっと楽ちんなものもあります)

逆に言えば半衿とは、アレンジ可能というわけ。

江戸時代に発明されて以降半衿は進化を続け、明治から戦前にかけては豪華な刺繍や染めを施した半衿が生まれました。

この明治・大正・昭和前期の刺繍半衿とか、すごいんですよね〜。

でも逆にすごすぎて庶民向けでは全然なくて、私としてはあまり参考にならない気が。

当時の写真はモノクロだし、半衿も蒐集家の方がそれだけをコレクションしているので、コーディネートの参考にもしづらい…。

その点、江戸時代は素晴らしいんです。

浮世絵に描かれた女性の着物センスはどれも抜群。絵師たちは一流のファッションコーディネーターでもありました。

詳しいことを知りたい方は和楽webさんの「江戸時代の見せる下着」の特集ページをご参照ください。

今回特集したいのは、「浮世絵に描かれた半衿」です。

面白そうではありませんか?

これが大変興味深いんですよ。

ただ、半衿を見ていく際に注意する点が。

皆が皆半衿をつけているかというと、そうでもないみたいです。

まず、お着物でも夏に着る浴衣。当然地のまま着るので襦袢は用いず、したがって半衿も見られません。

あと、ややこしいのがありまして。

ずばり半衿を使っていない。代わりに長襦袢(下着)の襟を見せているパターン。

お金がなくて半衿なんかつけられないよ〜という庶民に多いです。

一応、私なりの「半衿か、長襦袢の襟か」の見分け方というのを考え出しまして。

まず、着物とは左右に折り重ねて着ていくものですね。でも、半衿の場合それが折り重ならず、二重になって描かれます。

ちゃんと「縫い付けてあるな」というのが分かるのです。

また、袖にも注目。

袖からは下着の長襦袢がたいていちょい見せされていて、それがまたオシャレなんです。その長襦袢の色や文様と、襟の色・文様を見比べてください。

両者が違っていたら、それはおそらく半衿を施していると思われます。(胴と袖で文様の違う長襦袢も多々ありますので一概には言えません)


こういった注意点に留意した上で、実際に浮世絵に描かれた半衿を見ていきましょう。

今回は時代ごとにファッショナブルな浮世絵師3人を選出しました。喜多川歌麿・菊川英山・歌川国芳です。

一応、他にも美人画を描いた鳥居清長・鳥文斎栄之・歌川国貞らも参照しましたが、半衿が見にくい、ほぼ吉原遊女ばかり、美人画が少なすぎるといった理由で除外しました。

①喜多川歌麿(1790年代、寛政年間)

《傘さす男女》

松平定信が老中になり、発展途上の業界に締め付けの厳しくなってきた寛政年間の浮世絵。その中でも東洲斎写楽、鳥文斎栄之、喜多川歌麿の名は外すことができません。

とりわけ歌麿は人物のスタイリッシュさだけでなく、男女のファッションにも大変定評があります。

では、さっそく半衿を拝見して行きましょうか。

ちなみにこの時代の半衿はまだ発展途上。半衿か長襦袢の襟か微妙なものが多々あります、ご了承を。

相合傘をする女性の胸元に注目。なんと鮮やかな朱の襟でしょうか。

文様は七宝に菊かと思われます。

えび茶、縞紋様、朱の着物を重ねて折り込むというラフなスタイル。

かなり着込んでいるみたいですが、半衿(うーん、長襦袢の襟かも)をチラ見せしたいがためにこういう着方をしているんですね。


《婦人相学拾躰 かねつけ》

鹿子絞りの襟です。

先の法則から行くと、袖と襟の文様が違っているので半衿ということになりますが。

ただ、下層の町人がつける「掛け衿(黒の襟)」をしていますので、半衿とも思えませんね。

全体的に渋めの色合い・文様に抑えていて、奥ゆかしさが感じられますね。

《名所腰掛八景 ギヤマン》

ギヤマンでお酒をいただくシャレオツな女性。

着物は矢羽文様。大正女子っぽくてこれまたオシャレ。

襦袢がかなり見えてしまっており、現代的にはアウト過ぎますが、江戸時代は普段着なのでOK。

襦袢の襟と胴は色が違っていますが、半衿なのか長襦袢の一部かは分かりません。

襟に描かれた文様、これもまた未詳、ごめんなさい。自分的には文字絵とか、水仙もしくは百合の文様に見えます。

《五人美人愛敬競 芝住の江》

浮世絵美人には珍しい二重女性。バリエーション好きな歌麿ならではですね。

掛け襟から見える襦袢の襟は大きな鹿子絞りを散らしたもの。

本当に普段着という感じで着ているので、ヨレちゃってますが、そこがまたセクシー。

《高名美人六家撰 辰巳路考》

極渋極乙な女性がご登場。

茶色地の縞模様の下には、また茶色のお着物、そして半衿も茶色。

なのに全くうるささを感じないのは、掛け衿の黒や袖から見える襦袢と帯の抹茶色のおかげでしょう。

実に通好みなコーディネートです。


《納涼美人図》

肉筆で描かれた遊女です。

遊女は多くが白いひらひらした長い襟をつけています。(例外もあり、白い着物の場合は朱の襟になります)

やはり黒いお着物からは肩まで襦袢が見えています。お色気ですね。

この方の襟もやはり白。

白襟は富やステータスの象徴だったのでしょう。

すぐ汚れるけど、すぐ取り替えられるくらいオシャレにかけるお金があるということ。

②菊川英山(1810〜1820年代、文化文政年間)

《御殿女中と芸者》右

やっと半衿の話が堂々とできるかな…多分。

喜多川歌麿の凋落後、一時的に美人画界のトップを掌握したのは、徒っぽくもかわいい女の子が描ける、菊川英山でした。

カラフルな色彩で縦長二枚というワイドな全身女性像を描いた英山の美人画はとっても斬新で、瞬く間に人気を集めました。

それだけに廃れも早かったのですが、晩年は上州藤岡に住んで肉筆画の名品を多く残しています。

まず最初に見ていただくのは肉筆美人画。

遊女の胸元には白地に紫(?)の古式ゆかしい文様が描かれます。有職文様の立涌ですね。

公家由来の格式高い文様ですが、この時代には殿中ならずとも使って良かったんでしょう。

豪奢な遊女のお着物でも、一際アクセントとして用いられています。

《青楼行事八景 見通しの秋の月》

大掃除、張り切っちゃうわよ〜って感じの女性。

青楼は遊郭、すなわち吉原のこと。朱の五重塔は近くの浅草寺ですね。

桐文様の帯が可愛らしい。

紅色が好きな英山ならではの感性、ここでも光っています。

腰に巻いた襷の市松文様、袖から見える長襦袢、浅草寺本堂と五重塔、そして麻の葉文様の半衿、全部ピンクですね。

ただ、半衿だけはピンクというより赤。違いをつけてますね。

《提灯を持つ美人》

今回の半衿企画の白眉というべき逸品です。

一見掛け衿をした庶民女性ですが、半衿が、ご・豪華ー!

これは千鳥文様ですね。青・水色・白と実に細かに描かれていて、目を惹きます。

他は普通で地味なのに、一箇所だけめっちゃオシャレしちゃう江戸庶民、粋ざんしょ。

《文を持つ美人と行燈》

まるで江戸切子のような菱紋の黒いお着物が気になるこちらの女性。

寒そうなのが伝わってきそうな配色とシチュエーションですね。

お着物とオソロなのが、半衿の文様。

同じ菱文様なのですが、こちらは「武田菱」でしょうか。

重た目な鈍色に近い水色は、江戸の冬の空を想わせますね。

《風流酒戯三美人》部分

ワインレッドにも色々とあるのよ?って感じの姐さん。

えび茶色よりもうちょっと紫目を基調にしつつ、そこに朱や早稲田色(もとい、臙脂色)を配色する。通ですな。

半衿は麻の葉文様。チクチクした感じはありますが、遊女の賑やかな雰囲気が伝わっていいですね。

《風流諸国名勝 勢州ニ夕見浦》

かわいらしい青海波の帯に目が入ってしまうこちらの女性。

この帯と対応するかのように、流水文様の半衿を見ることができます。

水のイメージと、二見ヶ浦の情景とがマッチしますね。


《雪中傘をさす芸者》

市松文様のおしゃれな半衿をつけた遊女。

お着物はウグイス色、帯は黒!

かわいらしさと渋さが同居しますね。

③歌川国芳(1830〜1850年代、天保〜安政年間)

《当世三婦苦対 遊女》

時代は下り幕末へ。

この時期は歌川派一色の時代。

歌川派を一大派閥にのし上げた豊国。その三代目を継承した国貞VS個性派一門を率いる国芳という構図が固まっていました。

後者の国芳は水滸伝の義侠たちを描いた連作が大ヒットし、美人画や戯画おもちゃ絵などを手がけて三代目豊国に対抗しました。

国芳の描く美人画は英山以上にファッショナブルでありまして、幕末維新期特有の美しい極彩色にのせて実に見栄えのする女性たちが描かれます。

上の絵の遊女、どこから絵をつけたらいいかわからないくらいド派手です。

我々は半衿を見ていきましょうか。

小槌のような形の雀に竹が描かれていますね。

この雀はお着物の方にも描かれていまして、「吉原雀」というもの。

吉原に通うお客さんを雀に喩えたものです。

千客万来ってとこですかね。


《名酒揃 宮戸川》

粋な姐さん大酔っぱらい!

これまた吉原雀だらけのお着物ははだけて肩まで見えちゃってます。

で、半衿が面白いですね、まるで簾のように透けています。

姐さんが左手に持っている袋に入っているのは銀杏ですかね。

だとすればこれを肴にまだ呑むつもりなのか…。


《江戸自慢程好仕入 しやうぶかは》

きれいな絞りの半衿です!

よくこんな風に板木が彫れるものですね〜。

全体的に黒を基調としていますが、その中で襦袢の朱がとっても映えますね。

ちなみにお着物に描かれる文様、国芳が大好きな猫ちゃんでしょうか。

《今様六夏撰 土用見舞》

かんざしの牡丹と障子の燕が夏を思わせる季節柄。

姐さんの半衿も白に青という軽快な柄ですね。

夏の土用は7月下旬。

これから最も暑い時期になり、浴衣もそろそろという感じでしょうか。

《山海愛度図会 六十七 けむたつたい 丹波 赤かゐる》

瀬戸ものの磁器を手に、釜を煙ったそうに開ける女性です。

半衿は橘。かわいらしくて私が好きな紋です。

ちなみに、「山海愛度図絵」とは、諸国の名産品を紹介した版画シリーズ。

この丹羽の時点で六十七まであり人気シリーズだったのでしょう。

丹羽の赤蛙は丹波の名産となっています。

どうやらカエルを干物にしてお薬として使ったそう…。

左上の絵はカエルを掘り出す作業でしょうか。女性の釜を開ける姿とダブりますね。


江戸の半衿、いかがでしたでしょうか。

時代ごとのファッションを見ながら、その進化と変遷がお分かりになったのではと思います。

私自身勉強不足なところがございまして、浮世絵やお着物、半衿に関して誤った情報が書かれている項もあるかと存じます。

とりわけ歌麿に関しては、まだ庶民にまで半衿が浸透してなかったかと思われますので、ご紹介した多くは半衿ではなく、長襦袢の一部と思われます。

私もこの記事を書いてとっても江戸着物の勉強ができました。コメント欄にて半衿の記事を勧めて下さいましたkumokichiさんにこの場をお借りして感謝申し上げます。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました♪

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