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自己紹介


初めまして、縫製職人のchihiroです。
わたしは着られなくなったベビー服を形に残すリメイクオーダーをしております。

例えば、ロンパースや子供服を
ポーチやドール服にリメイク

世界に一つのオリジナル作品にお仕上げしております。

その他には、私は子育てをしているのですが
友人、ママ友、周りの方からのお直しの依頼で
破れてしまった子供のワンピースからスカートへリメイクしたり
お直しでは裾上げやゴム交換、ドレスのサイズ調整など
お子様の顔を見ながら着られなくなったお洋服を直したり
製作したりしております。

【お客様事例】子供用ワンピース→スカートへ


コロナ禍では子供もマスクをしなければならなくて、
当時、小さかった娘たちにズレにくく、耳に負担がかからないキッズマスクを製作し、一般販売もしておりました。

耳が痛くない!キッズ用プリーツマスク


お客様とはネットでのやり取りが多いので
改めて自己紹介と縫製経歴についてお話しさせていただきます。

長文ではありますが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
また、「頑張れ!」とコメントをいただけると励みになります(^^)お返事させていただきますので、ぜひコメントもしてくださいね!


【自己紹介】

名前    chihiro
肩書き   縫製職人
年齢    32歳
個人事業  himariro工房(2020年1月〜)
資格    和裁技能士3級
出身    東京都出身
育ち    静岡県伊東市

【経歴】

◾️和裁所 3年勤務 
◾️和裁技能士3級 取得
◾️縫製所 半年勤務 
◾️洋服直し 2年勤務 
◾️結婚・出産を機に退職
◾️起業 個人事業/himariro工房(2020年1月〜)
  minne、creema ベビーキッズ用品販売
◾️ベビー服リメイクサービスはじめる

一番長く勤めたのは和裁所でした。
繊細なシルクを扱うので、布の触り方、扱い方はここで覚えました。
アイロンのかけ方で生地をダメにしてしまったり、
糸の調整次第で洗濯しても綺麗さを保てたりするんですよ〜。

わたしの下積み時代は高卒〜出産前までなので6年くらい。
その後、2020年に個人事業でハンドメイド販売をはじめました。
初めは娘に着せていたガーゼのベビー肌着を販売しておりました。
今年に入り、自分の生活環境を考え、ベビー用品のハンドメイド販売からリメイクサービスへ切り替えさせていただきました。

もともとベビー服リメイクはminneで出店しており、
こちらのnoteにも作品投稿をしていたのでお問い合わせがあり少しずつ受けておりました。
そして、今年から本格的にサービスを作ろうと始めているところです。

リメイクしたお品物をお渡しするといつもお客様には
「写真で見るよりずっと素敵!ほっこりするね〜」と
ありがたいお言葉を頂戴しております。

↑ベビー服リメイクのお客様事例

【わたしのストーリー】

和裁所って何?


幼少期から縫うことが好きで、
高卒後に和裁の会社に勤め、
着物を仕立てる仕事につきました。

その和裁の会社は都内の呉服屋さんの下請けで
芸能人や落語家さんなども着られる
高級な着物を仕立てる会社でした。

↑和裁所はこんな感じでした

入社当時は和裁士が4人いて
畳の部屋であぐらをかき、
足で引っ張りながら縫い進めていく関東仕立ての縫製所で
そこで先生(社長)や先輩方に教えていただきながら
3年ほど修行をしてました。

わたしは着物なんて縫ったことがなかったので
そこで運針(縫い方)から習い、
自分の浴衣から仕立てはじめ、
先輩方の厳しいチェックのもと、徐々にお客様の品物を縫わせていただけるようになりました。

給料は出来高制で週6日で7〜8時間勤務で
初任給6万からスタートでしたが
3年勤務し、和裁技能士3級を取得。
縫製では着物の単衣(ひとえ)、袷(あわせ)道行コートなどを仕立てられるようになり、
お給料も15万、社会保険も入らせてもらえる様になりました。

着物の裁断は社長しか出来ないためいつも裁断済みの物を渡されて仕立てておりましたが
自分の浴衣なら裁断できるようになり、反物から仕立てられるまでになりました

3年ほどたったとき、たまにコートや襦袢の紐などでミシンを使う機会があり、
ミシンをやりたいのと、着物の熱量が冷めてきてしまったので転職をしました


縫製所って工場作業なの?


次の転職先は小規模の縫製会社でした。
そもそも、洋裁学校に行けば?と思われるかもしれないのですが、
わたしの家は3人兄弟で、お金があまりなかったので学校に行きたいとも言えず、
働きながら夜間の学校に通うという考えもなく、働くことを考えてました。

服飾学校や工業用ミシンを扱えないとダメと断られたのですが、
どうしてもお願いします!と直談判して見習いとして半年ほど勤務させていただきました。

その会社は大量生産だけではなく
サンプルも作っていたので
違う種類のミシンが20台くらいあり、
ミシンの扱い方、縫製の基本を学ばせていただきました。

服飾学校やお直しやさんでは職業用ミシン、ロックミシンくらいしか使わないみたいなので、

↑わたしのロックミシン


カットソーも縫える機械デニムが縫えるミシン伏せ折やチェーンステッチができるミシンなども使わせていただき、

ミシンの調整やYシャツの綺麗な縫い方なども教えていただきました。
いろいろな生地に対してのミシンの調整はここで身につけることができました。

すごく勉強になり、朝から晩まで、時には終電くらいまでやっていたのですが、
その頃は体力がなく一区切りした時に燃え尽きてしまい、半年で辞めてしまいました。

縫製がやりたいと自分からお願いしておいて
結構ハードで実力不足だと、現実は甘くないと身に染み、
その後はしばらく無気力でした。

そんなある日わたしが母と買い物に行ったとき、
出会ったのが洋服のお直し屋さんでした。
ぼーっと過ごすのももったいないなと
なんとなくの気持ちで
お直し屋さんでパートで働くことにしました

洋服のお直しって裾上げの他にもあるんです。


お直し屋さんって裾上げくらいのイメージしかなかったのですが、
実際に働くとファスナー取り替えや袖丈つめ、
ウエストつめ&出し、穴あき補習、リメイクなどがあり、
洋服って直せるの?!と衝撃を受けました。

【お客様事例】レディースのウエスト詰め


縫製・接客の仕事をし、
スラックス、デニムの裾上げ、ズボンのファスナー取り替え、
スラックスのウエストつめ出しなどができる様になり
店舗スタッフとして馴染める様になってきました。

半年ほどがたち、若さとやる気を買っていただいたのか
パートから社員にしてもらったのです!
しかし社員になる条件は、リメイク企画で新サービスの開発を担当すること。

サービス内容は決まっていたのですが、サービスを細かく作ったりサンプル作ったり、店舗周りをしたりと軌道にのせることは難しかったのですが
全店舗にリメイクの新サービスができるようにしました。

その後、結婚・出産を機に退社。
そして産後、起業しハンドメイド作家を始めるのですが、
こんな感じで、あまり後先考えず突っ走ってきたわたしですが縫製だけは頑張ってきました(笑)

いつもお客様の顔を見ながら喜んでもらえる様に製作してきました。
今後もリメイクするならchihiroさんにお願いしたいと言われる様素敵なサービスを作って参ります。
お客様とご縁があります様に。
最後まで読んでくださり誠にありがとうございました。


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