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土台のきちんとしたタルト

自分の本音をきちんと言えたのはいつぶりだろうと気づいた出来事があった。

昨日、とあるワークショップを受講しに行ったのだが私は少しのモヤモヤを胸に抱きながらの参加となってしまった。

その理由は価値観の違いがワークショップの前から垣間見えていた事と、その登壇者の方の情熱の矛先がワークショップの主旨とは別の矛先を向いているという事がわかってしまったからだった。そしてそこには私が感じたかった情熱というものがなかったのである。

これは誰が悪いというわけではなくて人それぞれの価値観や状況の違いによってすれ違ってしまうものであり、時にはマッチングしない事もあるからそれに関して落ち込んだり憤ったりする事はなかった。

ただ、次は参加しないだろうなあとは思っていた。


その翌日、そのワークショップを仲介してくれた友人から連絡があり、「主催者の方が連絡先知りたがっているけれど、どうしますか?」との一報。

最初私は、今後は参加が難しいからお断りしますと述べてそこで終話するつもりだったのだが、チャットを進めていくうちに、自分の胸のうちにある本音を話してみたくなった。

友人の事も考えると言葉をすごく考えた。けれど、真実をあまりにも曇らせて話してしまうのも腑に落ちなく、、「価値観が違っていた事がわかったからで、人間性を否定しているものではない」という事をきちんと伝わるように、でもドギツくなってしまわないように、伝えた(つもりなのだけど、真相やいかに😅)

友人は多分最初からわかっていたのだとも思う。人生経験も豊富だし、その様な事もあるよねという感じで終話した。


その一連のやり取りを終えて今こうしてこの文章を書いているのだけれど、私は自分の本音をきちんと人に伝えたのは何年ぶりなのだろうと思った。

私はどちらかというと自分の気持ちを話す時に憤っていてもあまりそれを気づかせないようになるべくオブラートに包んで、相手を傷つけない様に、気を使って、、という様な事を瞬時に頭の中で考えてしまう傾向がある。

というのも、遥か昔の若かりし頃は言いたい事を悪気もなくガンガンとはっきり言って多くの人々を切り刻んできた人斬りの様な一面を持っている。それで傷つけたり、自分が傷ついた経験からなるべく優しく伝えてそっと離れていくという事をする様に心がけていた。

でもいつも、自分の思っていることを気持ちよく、でも相手を傷つけないように伝えられるような人になりたいと心から望んでいたし、他者ではなく自分を優先しながら生きたいと心の片隅で思っていた。そう、つまりは自分の本音を押し殺して無かったことにしていたのだ。

もちろん、話さなくて良いこともこの世には山の様にあるから、何でも正直に話すことが良いわけではない。人のことだって傷つけてしまう。

でも自分の本音をもみ消すのはもうやめようよと思った。それに大体のことって、相手が絶対悪!とかそういう事ではなく自分とは違う考えを持っているのだな、という事を認められないからモヤモヤするだけでそれをエアリーに、でも誠実に伝えられれば良いだけなのだ。

気持ちをきちんと伝えるという事についてはまだまだだけれど、今回きちんと伝えた事によって心が軽い。そして聞いてくれた友人にもありがとう、と思った。

こうした人と人同士のやり取りも、食べ物と同様に自分の土台を作っていくものなのだなあと、改めて思う。

きちんとした土台のないタルトの上には色とりどりの層をなすクリームや果物は積み重ならないのだ。

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