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家に帰ってきたら検索してしまうもの

わがままな自分ここに居場所つくりけり。
『飲み会苦手』スマホの通信がWi-Fiに切り替わった瞬間、調べ始めてしまう。自分の今の心情に合うピッタリの文章を個人ブログ界隈から求めて心を落ち着かせる。

 小さい頃、テレビでやっていた忘年会シーズンの街中インタビューを見て、自分はこういう場が苦手だろうなと勝手に思っていたことを思い出してしまう。けれども、誘われたら体調が悪くない限りは行くようにしている。オレンジジュースしか飲まない生粋の下戸人間だとしても。

 自分にとって「飲み会苦手」の理由を集めてみるとともに、自分にとって「悪くなかった」と思える瞬間も集めることができれば面白いかな、と考えている。以前、家でお酒を飲んでみたら、心臓がバクバクし始めて苦しくなり、酔う自分と出会うのが怖くて理性を保つように己との戦いを始めてしまった。家の冷蔵庫にはお酒は一個も入っておらず、親が外食時にも飲むことは全くなかった。親が酔う姿を見たことがないので、お酒というものに馴染みがなく、憧れもなかった。

 自分の知らないことを聞くのは好きだ。その人がどう物事を切り取って見ているのか考えながら聞くのが癖だ。しかし、悲観的すぎたり、文句や過去の英雄伝だと、シラフの自分にはお酒を飲んでいる人とのテンションの違和感に耐えられなくなる。

 飲み会が苦手な理由の1つは、終わる時間が不明確なことだ。飲み会は最初から終了時間を設定するのが基本であってほしい。集合時間は決まっているのに、なぜ解散時間は決まっていないのだろう。日本人は始まる時間には厳しいけど、終わる時間にはルーズすぎると小学生の時から感じている。学校の朝礼時間はチャイムで知らせるが、終わりの会の時間は担任によってまちまちだった。私は習い事の関係で早く家に帰る必要があったが、担任がだらだらと話したり、作業するのが許せなかった。次の予定が迫っているのに、時間を無駄にするのは耐えられなかった。

 飲み会は最長で120分で十分だ。だらだら長引くのはしんどい。終わりが決まっていると、その時間に集中して目の前のことを楽しめる。自分にとって「飲み会苦手」の理由を集めるとともに、「悪くなかった」と思える瞬間も集めることができれば、自分のミッションに取り組める。

 いつ終わるのかと考えながら過ごす時間は、自分で時間の流れを作れていないと感じる。自分で行くと決めた飲み会は、自分の意思でその時間を費やしていると考えたい。心地の良くないダラダラした時間を過ごすのは心の疲弊につながり、夜もなかなか寝付けなくなる。しかし、その時間が長いほど、自分の世界に入り込む時はより深く入り込める気がする。不快感からの解放と残された感情が、新たな疑問や考えを生み出してくれる。

 この経験はまだ浅く、修行中ではあるが、人生即努力、努力即幸福への道中であると考えている。

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