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書きたい理由ってなんだろう
「書きたい」って呪いかもしれない
お久しぶりです、ひま餅です。すっかり寒くなってきました。
とんと更新していなかったnoteですが、何となく思うことがあって更新することにしました。今日は思うままに書いていくので、読みにくいかもしれません。先にお知らせしておきます。
このところ、新しい仕事に就いてバタバタしていたのですが、少し落ち着いて時間を持て余すことも増えてきました。ふむ、何をしようかなとソファに座り腕を組むわけです。
買ったはいいがプレイしていないゲーム、資格の勉強、溜まっている家事や片付けなど、急ぎではないがやらなければならないことはある。
そんな中、私の頭の中に浮かぶ「書きたい」というワード。
はて、何を書きたいのだろう?と戸惑います。
というのも、ここ最近「書きたいもの」がないことに気づいたのです。
学生時代は書きたいことがいっぱいで、登下校中にぐちゃぐちゃの文字をメモに書き、家や学校に着くとノートを文字いっぱいに埋めていました。
今考えるとちょっとおかしい奴だな。
書いていたのはとりとめもない思いつきから、壮大なストーリー、日々の愚痴を晴らすための汚い言葉だったり。とにかく何か書いているのが好きで好きで、たまらない自分でした。
そんな私が、今は何も書きたいことが無くなってしまった。
適当にお題を見つけて、思うことを書いたりはできるけれど……それって自分が書きたいことなのか?
そもそも、私はどういう理由を持って「書きたい」のだろう。
文章を書いて充実していた自分に、戻りたいのだろうか。書くことで時間を埋めて満足したいのだろうか。誰かに見てもらうことで承認欲求を満たしたいのだろうか。少しでも書くことで、何かを遺した気になりたいのだろうか。以前は、ただ書いて自分で満足するだけで十分だったのに。
それって、「書きたい」っていう呪いなんじゃないの?
書かなくても別にいい。それがさみしい理由
10月に入ってから夜は暗く、冷えるようになった。この季節になるといろいろと思い出すこともあるが、それは今回関係ないので割愛。
話は戻るが、「書きたい」が欲求ではなく、呪いだとするなら、書く必要はないのだ。他にやらなければならないことはあるのだから。
けれど「書かなくてもいい」と思うと、さみしさが胸をつくのは何故だろう。もう思うことを書かなくてもいい。自分のこだわる文章を書かなくていい。何も文字にしなくていい。
書くために、自分の考えをまとめなくてもいい。何にも感じなくていい。何も考えなくていい。
は、と口から声が出た。
私は、自分を取り巻くすべてに何かしらの感情を抱いて、それについてひたすら考えに耽りたいのだ。
なんて自分勝手で独りよがりな理由なのだろう。
でも、それを表す手段として、私は文章を書きたいのかもしれない。
そもそも書いていた理由って何だったっけ
幼い頃私は、自分の話したいことを抑え込むきらいがあった。家族は私の話を聞いてくれなかったし、妹がいてしっかりしなくてはいけず、大人にとっては扱いやすい子どもだっただろう。
ふつふつと私の中に溜まったフラストレーションは、文章を書くことで、爆発せずにいたのだ。書くことは、過干渉してくる家族から私を1人にする手段だった。
比べて、現在。結婚し家を離れた私は、よくできた夫のおかげで自分の時間を持てている。夫は、時間は双方のものとして、過干渉してこない。
子どもの頃「書くこと」は必要だったが、今はもう必要ではなくなった。書かなくなった理由はこれが大きいだろう。
大人になった今、子供の頃より物事への感じ方が鈍くなってしまったのかもしれない。「書くこと」以外にもフラストレーションを発散する方法はある。
それ故に「書きたい」という気持ちだけが浮いて留まっているのではないだろうか。
これから書く理由
これから先「書く理由」はあるだろうか。
ひっそりと、私はこれからも生きていくのだろう。仕事して、生活して、裕福じゃなくてもそこそこに幸せに生きていけたらいい。
そうだ、思い出した。
それって、クソほどつまらねえよな、と思って物を書いてたんだ。
自分は特別じゃないということを、人間は割と早い段階で知る。私だってそうだ。何かを書いて、例えば作家になって有名になりたいわけじゃない。
でも、何も書かない、ほどよく幸せで穏やかな人生って楽しいの?
私にとっては、それが何も感じない、考えない人生と一緒なのだろう。
それが書く理由。
私の「書きたい」の原初なのかもしれない。
なんだか、目が覚めた気分だ。
ここに至るまでかなり時間がかかってしまった。なんとも極端な気がするが、つまり私にとって「書かない」ことはありえない。
私が生きて、感情を持ち考えていく限り「書くこと」は必要だ。
そもそも、このnoteは私自身がつよくなるために書いている。
それが分かっただけでも、この文を書いてよかったと思う。
私はひとつ、つよくなれたことだろう。
感情を揺さぶるような何かを探してみるとしよう。
書かない人生はつまらない。
書き続けるために、私の視界を広げていく。考え続けていく。
近頃こんなにワクワクしたことがあっただろうか。
ああ!楽しみだ。
ひま餅
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