見出し画像

片付けの話

 その日、溢れかえった物たちの前で、私は唸っていた。
 ちら、と時計を見ると15時過ぎ。明日には引越し屋さんがやってくる。
 それまでに目の前にある物たちを仕分けし、片付け、梱包までしなくてはいけない。計画的に引越し準備を進めてこなかった私が悪いのだが、今更悔もうと引越しが明日であることは変わらない。

 雑然と部屋にある物を、全てダンボールに詰めてしまえば良いのだろうが、こんなに沢山新居には持って行けない。
 それに、ざっと見たところ古い物や、もう使わない物など、処分した方がいい物も多そうだ。
 考えていても始まらないし、小物が詰まったカゴから手をつけようと、ため息をつき片付け始めた。


 18時過ぎ。3時間近く経っているというのに、物は依然片付かない。

 物が詰まった棚の前から動かない私に、夫は疲れた声で言う。
「物が多いのは僕じゃなくて君だよね?もう少し減らせない?」
 まあ、それはその通りだ。残りは私が片付けるからと言うと、夫は別の部屋を片付けてくると言い出て行った。

 一人になった部屋でもくもくと片付けを進めていく。
 新居でも必要な物。新品だから使えそうな物。何度も読む本。この辺りは持っていくとして、問題は捨てるか持っていくか迷う物だ。
 例えば、昔好きだったアニメのグッズ。嫌いになったわけではないが、この辺りは処分でいい。
 でも、学生時代に絵好きな先生が私のために描いてくれたイラスト。友人がくれた手紙。古い写真。交際中に夫に貰った物。
 こういう物はとかく捨てられない。思い出ほど積み重なっていく物はないというのに。


 ふと、思い出すことがある。
 子どもの頃、私はお小遣いのほとんどを児童文庫につぎ込んだ。町の図書館でも、学校の図書室でも本を借りて読んでいたが、特に好きな作品は手元に置きたがった。

 買った本は、だだっ広い棚へ縦にどんどん積み重ねた。本の保存方法としては良くないのだろうが、ずらっと本が並ぶ様子を眺めるのが好きだった。
 黒魔女さんシリーズ、若おかみシリーズ。らくだい魔女シリーズ。クリスマスプレゼントで貰ったサンタの絵本もあった。
 児童書だけでなく、「ちゃお」や「なかよし」といった少女漫画雑誌も好きだった。でも厚みがあって棚に置けないので、それらは壁沿いに並べて置いておいた。

 2階のその部屋には鍵がかかるようになっていて、学校から帰ってきて鍵を開けたら、自分だけの大好きな空間が広がる。
 コンポもあって、お小遣いのうちいくらかはCDを買うのに充てていた。
 近くのCDショップで、好きなアーティストの中古CDを見つけて買う。コンポで買ったCDを流しながら、お気に入りの本を読むのだ。
 私にとってその部屋そのものが、大事な宝物だった。


 とある日までは。

 もともと、その部屋は引き戸の和室だったので、鍵はついていなかった。
 ある時、洋式のドアに改装して鍵がついたのだ。だから、何を置いていてもよかった。学校で使う必要な物も、大事にしている宝物も。


 その日帰ってくると、ドアが少し開いていた。
 きちんと鍵を閉めておいたのに。
 よく見ると、ドアノブの鍵穴が何かでこじ開けられたように壊れていた。

 ドアを、開けた。


「…………え?」


 部屋にあったのは、コンポや本だけではなかった。
 二段ベッドや、衣装ケースや、勉強机。小さなテレビや古い照明も。私が暮らすうえで、いつも使う物。大事な物。

 それらが、まるでシンデレラの魔法のように、全て無くなっていた。



 さて、ここで私の家族の話をしよう。
 私の祖母には統合失調症という精神疾患があった。端的に言うと、幻覚や妄想を起こす病気だ。
 結論から言うと、部屋の物が全て無くなっていたのは祖母の仕業だった。

 幼い私は病気に詳しくはないものの、祖母がちょっとおかしい人だというのは知っていた。いつも隣人の悪口を言っている。
 1時間に1回は、玄関のドアを開け何かを叫んでいる。常に何かをぶつぶつと話していて、近づきがたい。それでも、穏やかな時はお茶を淹れてくれたり、にこやかに話を聞いてくれる。
 祖母が入院した時は、お見舞いにも行った。確かに変な人だけど、変なこと言っている時は聞き流せばいいし、私は祖母のことが特別嫌いではなかった。


 呆然と部屋を見つめている私に、1階から祖母が声をかけてきた。
「部屋、片付けといたよ。物が多くっていやねえ。それでね、隣の○○さんのことだけどね、あの人がうちに入ってスプーン持って行ったから無くなっててね、ほんと嫌ね。早くしねばいいのに、ね、それで隣の人が……」


 部屋の中は、本当に全て無くなっていた。
 扇風機や、絨毯や、DVDケースや、昔、母の彼氏が置いていったちょっとエッチな雑誌も。大きい衣装箪笥もあったのに。それを、祖母はどうしたというのだろう。一人じゃ何もできないだろうに。
 ぐるぐる回る頭で何も考えられないまま、私は外に飛び出した。
 走った。行先はゴミ捨て場だった。そう遠い場所ではない。ゴミとして捨てているなら、まだ残っているかもしれない。
 着いた。もちろん、そこには何も無かった。
 ゴミ収集車は真面目に私の大事な物たちを回収してくれたようだ。


 今になって考えてみると、祖母ひとりで持ち出せる量じゃないし、業者にでも処分を頼んだのだろう。
 でも幼い私はそんな世の中の仕組みなど知らない。私の大事な物を、祖母は一つ一つゴミとして解体して、少しずつ運んで、ゴミ捨て場に捨てた。そう思っていた。

 祖母が捨ててはいけないものを捨ててしまうことは、以前から時々あった。例えば、家の中で使っている物や、家族宛ての郵便物など。
 他人の物の重要性は、祖母には分からなかった。
 だから、2階の部屋には鍵をかけてあったのだ。

 ゴミ捨て場から家まで、とぼとぼと歩いた。
 頭の中は、ひたすら無くなった物たちを数え続けていた。一番好きな本のことを思い出した時、ひっく、としゃくりあげた声に合わせて涙が溢れてきた。喉も鼻も詰まって、苦しいほど涙が出てくる。

 家に入ると、祖母は自分の部屋に戻っているようだった。
 私は2階に上がって、もう一度空っぽの部屋を見た。何もない。
 部屋には入らずドアを閉め、階段を降りて、祖母の部屋を尋ねた。

「あらあら、どうしたのー」
 泣きじゃくっている私のことを祖母は心配した。それが、自分のせいだとはつゆほども思っていない。
 泣きすぎて、喉が詰まりながら私は祖母に聞いた。
「ばぁちゃん、何で捨てたの?」
「うん?ああ、2階の?だってねえ、要らないでしょ。ゴミばっかりだったよ。ちゃんと、ばぁちゃんが捨てといたからね」
 祖母は、屈託のない顔で笑った。


 まあ、流石にそのことに頭に来た母と祖母が大喧嘩し、その後別居することになったのだが、後日談はさておき。
 あの一件から、私は物に対しての価値観が変わってしまったように思う。
 自分が手にする物は、素敵だと思う物も、大事だと思う物も、本当に必要なのか分からない。
 他人にとっては「要らない物」なのだ。
 なら、私にとっても「要らない物」?それは本当に?
 その判断をつけることが、頭を抱えるほど難しい。

 片付けも終盤、手に取ったのは、ここ数年分の手帳だった。パラパラと捲ると、見に行った映画のチケットやイベントの半券が貼ってある。お気に入りのシールを貼ったり、下手くそなイラストも所々に落書きしていた。
 短い日記もあるが、数日で諦めているようだ。見ながらフフッと笑っていると、部屋に夫が入ってきた。
「何それ、手帳?」
「うん。でも、もう……捨てようかと思って」

 手帳ほど今後不要なものは無いだろう。数年分あるので嵩張るし、これは「要らない物」で良いやとぼんやり判断する。

「いや、取っておきなよ」
「え?だって、要らないし、嵩張るし……」
「だって、大事でしょ」
「いや、でも」
「いいから取っておきなって」

 夫はそう言い、部屋を去っていった。
 放心したまま手元の手帳を見る。これは私にとって「大事な物」。
 「要らない物」ではあるけど、「大事な物」だから、必要なのだ。
 そんなシンプルな気持ちでいいのか。
 私が大事かどうかを、必要不必要の理由にしていいのか。

 数冊の手帳を、新居に持って行くダンボールに詰める。
 その作業は、自分の中で散らばっていた気持ちを整理するようでもあった。バラバラになったおもちゃをケースに直すように。

 鍵付きの部屋にしなくたって、私は私の「大事」を守っていい。
 きっとこれからも。
 「大事な物」を増やしていこうと、私はダンボールの蓋を閉じた。

 ひま餅



この記事が参加している募集

#振り返りnote

86,560件

#この経験に学べ

55,847件

サポートいただけるとやる気が出ます!