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柳宗悦の民芸運動

【民芸運動】
 柳宗悦は、日本独自の民芸運動を創設しました。民芸とは、民衆的工芸の略です。通常、我々の目は、習慣的なものの見方に捕われています。そこから、新しい視点を開かせてくれたのが、柳宗悦の民芸運動です。柳宗悦は、当時を、創造したり使用する時代が過ぎ去った反省と批判をする時代だとしました。民芸運動は、資本主義の時代において、新しいものの見方を示すものだとされています。
 民芸品とは、一般人が日常生活に使っている、実用的な工芸品のことです。それは、誰もが持っている機能的な暮らしの道具でした。民芸品は、日用品です。そのため、特別なものではなく、そこら辺にある質素で頑丈な天然素材から作られています。しかし、そこには素朴な美しさがありました。民芸品は、用「使用すること」のために作られたものです。実際に使うことには、ものを健全にする効果があるとされています。道具は、よく使い込むことで、味が添えられ、自然な生命感が与えられるからです。そのため、人に奉仕し、働くものにこそ健全な美が宿るとされました。

【職人】
 民芸品は、有名な芸術家ではなく、無名の職人の手仕事によって作られています。民芸品とは、無名の職人たちが「繰り返し」同じものを作ったものです。その「繰り返し」という作業には、全ての凡人を達人の領域にまで高める力がありました。ただし、同じ人間が作っていないので、全て同じものではありません。民芸品の技術は、組合という団体「集団」のものです。その組合内では、常に技術が共有されており、誰かがそれを独占することがありませんでした。また、組合の美「価値基準」は、個々の判断より、はるかに大きいものだとされています。

【公共の美】
 民芸品は、無心で作られます。そこに作為はありません。無心で作られたものは、自然に生まれてくるものです。意識しないで作られたものには、普遍的な美があるとされています。個人の表現というものは、民芸の目的ではありません。民芸品は、公共の美であり、一時代一民族のものだとされています。また材料には、その地方独自のものを使っていたので、地域性というものもありました。
 民芸品とは、あらゆる材料を結合させた総合の美です。その総合の美には、自我がありません。それは、仏教の自我を超えた大我のようなものだとされました。民芸は、茶道にも通じるものがあるとされています。茶道とは、禅的なものです。それは、清貧をむねとする美の宗教だとされています。

【貴族的な品】
 民芸品と相反するのが、豪華で貴族的な高級品です。高級品の美は、故意に作られ、加工させられています。それらは、意識的に盛られた装飾的な美です。高級品は、あらゆる高度な技術を使って作られています。そのため、個人の分別心による人為的な作品です。高級品は、市場において、受けるべき以上の高い位置を得ています。そこまで高い地位を得ているのは、国家や金持ちの組織が保護していたからです。そこには、官尊民卑の弊害があるとされています。また、資本主義は、きわめて商業主義的です。その発展と共に、製品は大量生産され、機械的同質になりました。そうした大量生産品も、民芸品とは、相反するものです。

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