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不埒の評論

上り電車と下り電車を間違えたことをドクトルは引きずっていた。次の項の冒頭にこんなことが書いてある。

「暫く東京行きを怠っているらしく思われる一部の読者諸君が、院線電車内において行われたる吾輩の赤毛布式失策を嘲笑することも、矢張り矛盾で、滑稽で、無価値であるんである。といっても、敢てこれを賞賛して戴く事柄でも無い事は勿論である。」

誰がそんなふうに思うだろうかと感じるが電車の行き先を間違えることが一大事な時代だったのだろう、と思うことにしておこう。

さて、予定時刻よりは回り道のせいで遅れたものの、無事夕餉のころに横浜の弟宅に戻り、食事を済ませ、その日の新聞に目を通していると、弟ふたりが何やらゴソゴソと、囁き合いながら何かしている。見れば、弟の敦と止信が、ドクトルが敬愛なる盟友の慶治先生から貰った金時計をいじくっているのであった。電燈の光があたり、金時計は独特の輝きを放っていた。

「おいおい、何をしているんだい」

とドクトルが声をかけると、敦氏がゲラゲラ笑いながら、

「今ね、止信と二人で、占領する方法を相談していた所なんだ」

と言った。

イヤ冗談じゃない。ドクトルは身を乗り出し、

「それは駄目だ駄目だ」と目を見張り

「それは俺が慶治君だと思って持っているんだ。朝夕眺めては慶治君に逢ったような心持ちで、あの男の出世を祈っているんだから」

と言った。弟二人は思いのほか静まり返り、残り惜しげに手首に巻いてみたり、竜頭をひねくりまわして電燈に翳してみたりしながら黙っていた。

心優しいドクトルはその様子を眺めながら思った。とはいえ、弟の止信が所持している銀時計は、都会の大病院に勤めている医師として、事務員や看護婦から「先生」などと呼ばれている立場であるのに、みすぼらしく、同情に値する。金時計ではないほうの、懐中時計をおもむろに外し

「その代り、この懐中時計をお前の時計と換えてやろう」

と言った。止信氏は、あたかも子どもがおだちんを貰った時のようにドクトルの手から懐中時計を受け取った。

止信氏から貰った銀時計をドクトルは「交換物件としてはすこぶる割が悪い」と書いている。一生ものとまでは言わずとも、大した懐中時計を持っていたようである。その銀時計を受け取り、ドクトルは

「これでも、俺が着けていれば、人はプラチナだと思って見てくれるかもしれない」

と言った。

「いや、ニッケルだと思って見るかも知れないぜ」

と敦氏が言った。

「なにそんなことは無いさ、誰が見たって銀メッキ位には見てくれるだろうさ」

と止信氏が言った。

「田舎に居る者は何でもいいさ」

と敦氏が言った。

ドクトルは構わずに再び新聞に目を落とした。「言論の自由を尊重する吾輩は、二人の不埒な評論には頓着せずして、東京朝日の欧州電報に目を通していた。」とのことである。ええかっこしいの兄貴である。

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