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急行のエキサイト

人の目に留まる行動のみならず、頭の中もじっとしておられないドクトルにとって、夢を見ない就寝は非常に稀であった。それを自分でもわかっていて、明日はどんな夢を見て目覚めるのかと、あるときは楽しみにしたり、あるときは怖がったりすることがドクトルの心の中の習慣だったが、くたくたになって眠った明くる朝はさすがに、まったく夢を見ずに目覚めた。日頃から早起きが習慣であったので、西戸部で迎えた朝も、白々と明けてきたばかりの時刻であった。

弟たちの住居は少し小高いところにあり、眺めがよかった。ドクトルは跳ね起き、楊枝を咥え、そのまま表に出て、初見参の光景を眺めた。

水道からお湯が出るようになるのはまだまだ後の時代のこと、ドクトルは、冬の冷水をバケツに汲み入れ、顔を洗い頭にぶっかけてゴシゴシとタオルで擦り、ふぅと息をついた。と、背後に、弟の敦氏が妻のサダ子さんを叱りつける声が聞こえた。

何があったのかとドクトルが聞いてみると、サダ子さんが慣れない石炭瓦斯で米を炊いたところ、加減がよくわからなくて焦がしてしまったとのことであった。ドクトルが泊まっているので頑張ってくれたのだ。ドクトルはそれを察知したかしないか、ともあれ兄の威厳を示そうと、

「つまらぬことにあんまりガミガミ言わんでもいいじゃないか」

と、もっともらしいことを言って弟をたしなめた。

「ほんとに冗談じゃねえ」

敦氏は叱りつけた手前、すぐに撤回することもならずにふてくされた。

「だって、瓦斯の加減がまだ私には、よくわかりませんもの」

とサダ子さんはかわいらしく言った。三人はそして、つい吹き出してしまった。


この朝は月曜日、弟たちは二人とも仕事があったので、ドクトルはまた一人、東京見物に出かけた。昨晩は横浜駅から車夫の引く車に乗せられて弟の家まで到着したが、桜木町の駅まで霜を踏んで歩いてみれば、そう遠くはなかった。停車場のベンチに腰掛けていると、ごうごうとモートルの音を立てて横浜東京を結ぶ急行の電車が停まったので、ドクトルはいそいそと乗り込んだ。

道中、またドクトルがエキサイトする出来事があった。下関と東京の間を走る特急電車が、「砲弾が飛ぶが如き」勢いで爆進してきたのである。横浜東京間の急行もドクトルにとっては満足な速さであったが、当時最大級の特急の勢いにはかなわなかった。珍しいもの好きのドクトルでなくとも、他の乗客にとっても面白みがあったとみえ、多くの乗客は窓から顔を出して特急電車を見守っていた。どちらの電車が勝負に勝つかなどと、子どものようにわくわくして固唾を呑むドクトルを尻目に、特急電車は、残る煙も癪の種、「ざまぁ見やがれ」と言わんばかりにドクトルの乗る電車を追い越していった。

電車は東京湾の近郊に差し掛かった。昨晩は夜であったためによく見えなかったが、朝の景色を見てドクトルは驚きのあまり目を見張った。自分が知る十余年前の海はすっかり姿を変え、埋め立てが進み、煙突が立ち並んでいた。背後で見知らぬ乗客が言った。

「今にですな、品川湾がすっかり埋め立てが出来ますと、台場はなかなか良い公園になりますぞ」

明治から大正への時代の移り変わりとともにと変貌を遂げる東京湾の風景を、半ば浦島太郎になったような心持ちで目に焼き付け、ドクトルは、寂しいような、そしてまた何となく愉快でたまらないような妙な気分になった。

東京湾の激変ぶりに少し感傷的な気持ちになっているうちに、電車は新橋駅に着いた。昨日と同じような場所ではあるが、まずは東京見物はここからと、白煉瓦造りの新橋駅のホームを抜け、ドクトルは銀座通りへ出た。

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