再会
時間を若干巻き戻すと、銀座三越よりかけた電話で、ドクトルと山科医師は次のような会話を交わした。
「おい、どうした豪傑、まだ生きていたかい」
「うん、生きていた。きみはまだ雪の中で蠢いていたと思ったら生意気に出かけてきたな」
「今日は是非、君の所へ行ってみるつもりなんだが居るかい」
「うん居る居る、五時ごろには帰って来るから、その時分に来い」
「よし、せいぜい御馳走用意して待っていたまえ」
「いくらでも御馳走してやるから田舎者は、眼をまわさんように用心して来い」
「一体どのへんなんだい」
「中央大学の通りだ」
「そうか、いずれ後程。サンキュー、ベリーリットル」
「ウン、ベリー、リットル」
その会話をたよりに中央大学近郊に到着したドクトルは、あたりを探してみた。しかし山科医師宅が見つからない。そこで手近にあった煎餅屋に入って尋ねることにした。
「いらっしゃい。いかほど差し上げましょうか」
「いや、煎餅はいまほしくないんだが、このへんに医者はいますか」
「ただお医者じゃわかりませんな。何て方ですか」
「山科ってんです、なかなか男振りのいい人ですよ」
「わかりませんな、何しろこの番地にしても、どっさり医者がいらっしゃいますからね」
「そんなに沢山いますか」
「ええ。なんでも、十三、四人はいますよ」
「そいつは驚いたな」
要するに煎餅を買わないものだからつれなくあしらわれたんだな、とドクトルがまたふらりと表通りに出てふらりふらりと歩くうち、見つかった。そこへ脱兎のごとく駆け寄ると、書生が戸を開けた。
「貴方はどなた様ですか」
「越後の雪坊主です」
「ああ、貴方ですか。先生はもうお待ちかねでございます」
と、書生の案内で応接間に向かうと、山科医師が中から出て来た。ドクトルが握手を求めると山科医師は痺れんばかりの力で握り返し、言った。
「相変わらず罪の無い顔をしてるな」
「君だってちっとも変わらんぞ。志那ではひどい目にあっただろう」
「うん、ひどい目にあった」
「子どもは皆達者かい」
「うん、一人天津で死んだよ」
「そうか、革命騒ぎでかい」
「まあそんなもんだ。きみは幾人」
「四人になったよ」
「粗製乱造のほうだろう」
と会話が始まる。人の生死の話が軽妙な会話に紛れているところに曾孫は時代の隔たりを感じる。
ドクトルとは医学校時代に仲良くなった山科医師は、もともと広島の、裕福な武士の家系出身で、自由闊達な性格であった。一方その奥様はヴァイオリニスト、まだ家庭のことは女性が一手にやるのが当たり前の時代、多忙な家事をこなしながら神田の音楽学校で講師もつとめ家計も助ける才色兼備な女性なのであった。
その器用な奥様が腕を振るった御馳走がところせましと並び、「田舎者は目をまわさんように」と先に山科医師が言ったことは本当だとドクトルは舌を巻いた。盃を交わし、懐かし話に花をさかせ、食後の腹ごなしに山科医師と連れ立って散歩をし、通りすがりの汁粉屋に寄り、賑やかで楽しいひとときを過ごしたドクトルは、その晩はそのまま山科医師の家に泊まることにした。
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