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東株座の春狂言

鰻飯にて満腹になったドクトルは陽気な気持ちになった。「胃の腑という人間のガソリンタンクへ、鰻飯という活動エネルギーに極めて豊富なガソリンをしこたま詰め込んだので、いかなる長距離飛行にも耐え得るようになったノンキー式第一号機を操縦する使命を帯びた吾輩は、借り着の飛行外套をフワリと羽織り」…と、意気揚々である。東京の興奮を伝えるための器具に不備はないか。手帳よし、萬年筆よし、と点検すると、ドクトルはまた電車に乗った。向かう先は、兜町の東京株式取引所であった。明治11年に設立された、東京証券取引所の前身である。

ドクトルは田舎においては自称インテリの、働き者なのであったが、儲けることには別段長けたほうではなかった。が、折角経済の中心地東京に来たのであるから一攫千金を夢見るべく、立ち会いの様子を見学しておかねばと思ったのだ。当時、場内にはフラリと立ち入り自由に見学することができた。この頃はもうピークは少し過ぎていたが、日露戦争を背景に工業株や紡績株が高騰し、株取引は大変盛んであった。

ドクトルによる、「なんのかんのいっても世の中カネだ」というような所感が、原文には結構長く綴られている。「哲学だ、宗教だ、文学だ、芸術だなどと澄ましていたって、カネのほしくない者がこの世にあるものか」などと、誰に聞かれてもいないのに勝手に開き直るドクトルは根がピュアな人であった。

どっしりと構えた株式取引所の建物に、「人間社会における唯一無二の希望を最も露骨に写し出した欲張り劇」を観覧するのだと、ドクトルはずかずかと入った。広々とした場内の、昼でも薄暗い天井に、タングステンの灯りが鈴なりに吊るされていた。場が開く一時半まではあと二十分ほどあったが、既に観客が密集しており、厳寒の時期であったのにムッとする熱気には、少し息がつまるようにドクトルは感じた。

定刻になると、正面の高くなっている位置に取引所理事がつかつかとやってきて泰然と腰をおろした。そのまわりには書記やら添え役やらの、ドクトルの言い方によれば「ペイペイ役者」が所々ずらっと並び、物々しい雰囲気が醸し出された。劇場の拍子木の音は成らねども、「幕が開いた」と、ドクトルは萬年筆を握りしめて固唾を飲んだ。

場内は鉄柵で囲まれ、中に仲買人がひしめいており、さながらモルモットの群れのようであった。一段高いところに、株券の名前を書いたペンキ塗りの掛札が次々とかけられ、場が開くとモルモットの群れたちはざわめき出し、目をいからせて大声を張り上げ出した。

場内が怒号で熱狂する中、引け値が定まると、敏腕な取引所理事は右手に板を持ち、割れんばかりに打ち鳴らす。喧々ごうごうたる場内で、次から次へと値決めが行われていく様は圧巻の狂言であった。

が、三十分も見ているとドクトルの飽き性が首をもたげた。「一本の株式も所持せず、また当分持てそうもない吾輩には、いつまで見ていても、一攫千金の機運が向いて来そうもない」と、午前中に三越呉服店に入っても何も買わなかったのと変わらない、しらばっくれた表情で、白熱する場内を後にした。

表に出て深呼吸すると、冬の澄んだ空気がうまかった。

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