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外観美の宗教

東京徒然旅は四日目に入って、今日は水曜日。ドクトルの気持ちは幾分引き締まっている。母校の慈恵会医院に出向き、知り合いの樋口医師のオペラチオン(手術)を見学することになっているのだ。

横浜の家の、敦氏夫妻と止信氏に、

「今夜もまた、すこしくらい遅くなっても、きっとお帰りなさい」

という温かい言葉で見送られ、ビシッとチョビ髭を整えたドクトルは、揚々と電車に乗り込んだ。そして、田町駅で下車し、しばし三田の通りを散策した。その時分より遡ること十数年前、ドクトルがまだ学生で勉強に勤しんでいた或る秋の夜、隣の飯屋から火事が出て、命からがら逃げだしたことなどを思い出していた。

三田の町も当時の東京の発展ぶりにたがわず、建築物も店頭の装飾も十数年前とはすっかり変わっていた。感心しながらドクトルは芝公園に足を踏み入れた。公園内の杉の並木は若干栄養不良のようだ、などと思いながら、白い弧線を描く公園通りをフラリと通り抜け、増上寺の境内に入った。

威風堂々と構える大本山を見ながらまたドクトルの少し余計なことを考える癖が現れた。「仏教の真髄を欺きたるに似たる、外観美を主とせる大建築を竣成せんが為に、当山の当事者は、すこぶる同情すべき苦心を為して居るらしかった。」と記述されている。

増上寺は徳川家とのゆかり深く、そのことに触れてドクトルは書いている。「いやしくも大本山の外観的対面を傷つけず、栄華を誇りたりし徳川時代の増上寺程には行かずともせめては、芝山内増上寺有りと云ったような大伽藍を建立せんとするには、よほどの大決心と大覚悟が必要であろう」と前置きして、現代でも見る寄付金の札についてこんなことを言っている。

「建築事務所に宛てられていた、バラックの付近に、隙間なく建てられたる、金千円也何某殿、金何百円也、何某殿、などと特筆大書せられたる高札の寄付思想挑発的なる、或は当山建築の爲に特製せられたるらしき大屋根瓦を積み重ねた所へ、此の瓦一枚十八銭也と特記して、寄付者の府県郡村氏名をチョークで記載したるを仰々しく押し並べ、此の瓦代を寄付したる者は、其の氏名を瓦に明記されて、尊厳なる当山の大屋根に上げられる光栄に浴するぞ、と云わぬばかりの仕打ちには、当事者の無理算段から割り出された、多大の矛盾と、滑稽と、宗教界通有の乞食根性とが、遺憾なく暴露されていた。」

ドクトルは多くの人がそうであったように、特別に宗教を信じるわけでもないものの、仏教信者の家庭に育ち、他の宗教との接点も特になく、そのため、自称では、「世界に於ける各種の宗教の中では、最も多く仏教に好意を有する者」であった。仏教徒ですとは言わぬところがドクトルらしい。

いずれにせよ仏教に親しみがあるゆえ、世間の人々が、たとえ子の要求にも親の病気にも時には出し惜しみすることがあるような金銭を、宗教の前には差し出すような現象を目の当たりにすることがあっても、特別に眉をしかめるようなこともないのであったが、この項の結びの文は

「吾輩は、何と無く財布の口を開く気には成れなかった」

ということで、要は、多額の寄付をした者が名を連ねるのを見ながら寄付する気にならなかった自分を多少後ろめたく感じたということなのだろう。なんだかんだ真面目なドクトルである。

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