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書いてる人の癖。

 小説やエッセイを読んでいると、どうしても書き手の思想や価値観、哲学のようなものが透けて見える時がある。

 特にnoteは、それが顕著な気がする。

 大衆小説やブログ発の商業化された本は、大衆受けを狙うためにそうした書き手の個性を削ることがあると思うし、アマチュアでも例えば「なろう小説」には、ある程度基本パターンがある。
 異世界転生とか、悪役令嬢とか……。アクセス数が欲しいなら、それらを意識する必要がある。

 noteを使い始めてまだそんなに長くはないが、noteは書き手が各々の用途で利用していると感じる。
 料理を紹介している人、小説をアップしている人、ダイビングや仮想通貨みたいな、特殊なスキル・知識を紹介している人……etc。noteには他ほどセオリーがない気がする。だから、よりその人の価値観が透けて見えるのだろう。

 そしてそれが、きっとnoteの魅力なのだと思う。

 かつて夏目漱石は、ある小説を読んでその書き手が妻帯者であることをピタリと言い当てたらしい。

 俺にはそこまでのことはできないが……高校生か大学生のころにそれを知ってから、本を読んだ後、作者の人間性について考えることがある。

 例えば漫画だと、進撃の巨人やチェンソーマンの作者は、色々と変わってることで有名だ。
 小説だと……時代は古いが、太宰治とか有名だろうか? 主に悪い方でだが個性的だ。

 そこまでいかなくとも、例えば男同士・女同士のリアルな会話や、結婚や出産に対しての心理描写は、作者の性別や価値観、経験がモロに出ると思うし、年配の人が描く『若者』と、今まさに若い人の描く『若者』には大きな差がある。

 個人的に昔なるほどな、と思ったのは「泥だらけの自転車」だ。

 「泥だらけの自転車に乗る自分」を、昔読んだある小説の主人公は「惨めな自分」と表現した。
 俺にはそれが引っかかった。「どうでもよくないか?」と。
 その小説の主人公は幼い女の子で、作者も女性だった。
 だからなのだろうか?

 自分が同じ年のころ、田舎道を走り泥だらけになった自転車に対して、「惨めさ」を感じたことは一度もなかった。

 性別の違い? 都会育ちと田舎育ちの違い? 世代? 単に俺と作者の価値観の違い?

 そこが面白いと思った。
 noteを見ていると、そうした作者のちょっとした「価値観の差」を小説でもエッセイでも強く感じることがある。

 こうした違いについて考えを巡らせるのも、たまには面白いのかもしれない。

 ……ちなみに自分の文を読むと、面倒くさがり・行き当たりばったり・気分屋でちょっと気取ったところがある気がするが……どうなんだろう?

 この辺、ちょっと、いや結構気になるな……。


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