HSPゆえの宝物
私は小さい頃から、人の感情や機嫌を感知するセンサーが鋭敏だった。
また、音や匂い、光など外からの刺激にも敏感で、疲れやすい。
このような特性を持つ人の事を“HSP”と呼ぶらしい。
これはHighly Sensitive Personの略であり、日本語では「繊細さん」と訳されていたりもする。
心理学者のエレイン・N・アーロン博士によってつけられた名称で、「人の気質」を表すものだそうだ。
つまり、HSPとは病気や障がいなどではなく、あくまでも人のもつ特性のことのようだ。
(私は精神科に通院しているのでHSPでもあり、かつ精神疾患持ちでもあるわけだが。)
わたしはこのせいでこれまで(精神疾患と診断される前から)かなりの生きづらさを感じてきた。
人の顔色を伺いながら生きるのが普通だと思っていたし、人混みに行くと、あらゆるところから聞こえる声、音、匂いのストレスから、すぐに具合が悪くなる。
なんなら、人混みの中にいなくても、都会の電車のホームなど、人の流れを見ているだけで目が回るような気持ちになる。
ゲームセンターやパチンコ店なども苦手の塊のような場所で、避けて生きてきた。
こういったものは生まれつき持った特性であり、病気でもないわけで、「治る」とかいうものでもない。
ただ、自分なりに長所だと思っているところもある。
繊細さんの特徴として、感受性や、想像性が豊かな事が挙げられる。
これは、人の気持ちを感じ取りやすい故に考えすぎてしまったり、悪い方に想像が膨らんで自己肯定感が低くなったりと、悪い面もある。
しかし、季節による自然の変化を察知したり、芸術に触れた時に受け取ったりする感覚は人より鋭い。
同じ生活をしていても人より心を動かされる機会が多いということではなかろうか。
私の人生は、日々受け取る感動によって色がついている。
私はこの鋭敏すぎるほどの自分の感性を 宝物 だと思っている。
小さい頃は、季節で変わる空の色の話や、雨が降る前の空気の話など、感覚的な話をしては先生や友達に不思議ちゃんだとからかわれたこともあったし、自分が怒られているわけじゃなくても先生の怒鳴り声が頭と心に刺さってきて、関係ないのに泣いてしまって変だと笑われたこともあった。
当時は何で分かってくれないのか逆に不思議だったし、私がおかしいのだろうと思い込んでいたが、今はなるべく「私は気づけてラッキー♪」くらいに思うようにしている。
自己肯定感が低すぎると周りに言われる私が、唯一愛せる自分の特性だ。
今、“HSP”という言葉がかなり市民権を得つつあるように思える。
この言葉が世間にもっともっと浸透して、過去の私のような思いをする人達が減るといいなと心から思う。
HSPゆえにつらいことも嫌なこともたくさんある。
でも、HSPゆえの宝物も、たくさんあるのだ。
私はこれを大切に抱きしめて生きていきたい。
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