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「寂しい」感情からいろんな考えが出てきた

 先日、母が家に来てくれた。一緒にランチしてお話して。2人でゆっくり話すなんてなかなかなかったから嬉しかった。小さい頃から、母はずっと仕事をして妹や弟もいたからあまり構ってもらえなかった。その頃は何も思わなかったけど、大人になった今寂しかったんだなっていう感情が出てきた。あまえたかったんだなって感情が出てきた。
 高校生や大学生、社会人になってから自分の気持ちをちょっとした時間に、思ったまま母に話していたんだけど、それがわたしにとっては嬉しかった。受け入れてくれたり、ただ聞いてくれたり、時には口喧嘩する事もあった。それがよかったんだなって。その当時は分からなかったけど、今はすごくそう思う。

 結婚して、こどもができて毎日が忙しくすぎていた。パートをしたらしたらでさらに忙しくなって。旦那さんは仕事が忙しい。わたしが思ったままに話すと、うるさいのかあまり聞いてくれない。そうすると余計なんで聞いてくれないの?もっと気持ちを聞いてほしい、この人分かってくれないってなる。でも反対にご飯作っていたり、家事していたりする時に話しかけられてもなかなか頭に入ってこない時がある。話したのになんで覚えてないの?って言われる。ずっと家の事したり、人の事をしてると、今度は1人の時間やゆったりした時間を持ちたいっていう時もある。
 お互いさまなんだけど。わたしも話しかけられたら手を止めて、聞いてあげればいいんだね。そしたら、相手も聞いてくれてよかったってなるんだ。と今気づいた。そのためには、自分がゆったりした気持ちでいる必要があるなぁ。あれやって、これやってといろいろやる事を増やすと話を聞く余裕がなくなってしまうから。

 話を聞いてほしくて寂しいけど、1人の時間も必要。忙しすぎると余裕がなくなる。バランスが難しい。身近な人に自分の事を話して聞いてほしいって思っていたけど、寂しいなら求めるんじゃなくて自分が好きな事をして満たせばいい。これが自己満足という事か。

 書いていて分かってきたけど、たま〜に独身時代のように話聞いて〜って出てきてしまう自分がいると気づいた。悪い事ではないと思うんだけど、いきすぎると相手はひいてしまう。相手にもよるのかもだけど。

 「寂しい」という感情からいろんな考えがわたしの中から出てきた。

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