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わたしのこと

アラフォーになってから、友人との会話が変わったことをはっきりと自覚する。
いつも自分のことばかりだった会話の内容は親の話や子供の話になって、旅行の計画をたてるときにも家族の予定を確認することが優先されるようになった。

人生80年、100年時代。
私なんてまだまだ人生の折り返しに来たところ。
でも、人生は長いけれど、自分が自由に生きることができる時間って実は本当に短いって最近よく思う。
いつまでも元気でいるように感じた親はいつの間にか還暦もすぎ、70歳に近くなっている。最近は体の調子が悪いことも増えてきた。
例え私が元気だったとしても、親が元気じゃなかったら、私は元気じゃない親をおいて旅行に行くことはできないと思う。そんなこと気にならないって人もいるかもしれないけれど、少なくとも私には無理だと思う。
そう思うと私に残された自由な時間って、思っているよりずっと短い。
そんなことに気づいたとき、行きたい場所に行くにはいましかない、って気持ちがどんどん強くなってきた。

旅じゃなくてもそうだと思う。
「いつかやりたい」って思って、先延ばしにしてきたこと。
その「いつか」っていつなんだろう。
タイミングなんて自分にしか決められないことなのに。
昔、老後のために貯金してるんだ、って言った私に職場の先輩がこう言った。
「老後の心配をすることも大切だけど、老後のためにいまやりたいことを諦めたら、それってもう老後を生きているってことじゃない?」って。
なんか妙に納得して、私はそれから行きたい場所には行くし、やりたいことはできるだけ実行するようにしてる。
やりたいと思ったその時が、自分にとってのベストタイミングなんだと思って。

今回の旅で、知らなかった自分にも気づいた。
私は場所も音楽も本も、なんでも自分が気に入ったものだけを満足するまでずっとリピートする性格で、それ以外はいらないってなってしまう極端なところがある。私には「好き」か「嫌い」、「興味がある」か「興味がない」しかなくて、100か0の世界。
韓国語を勉強し始めて海外旅行に行くようになったので、旅行が好きと言いながら行ったことがある国が偏ってるのもそんな性格から。
(それまでは世界で一番好きな場所が東京で海外には興味が0だった・笑)
でも、今回タイに行って、何事も体験してみるってことも面白いって気づけた。たとえ関心がなくても、やってみたら思った以上に自分にしっくりくる、そんなこともあるんだって。やって面白かったらラッキーだし、面白くなかったらそれで終わればいい。
だから、これからもっといろんな国に行ってみたいって、いう夢もできた。
小さなこだわりで自分を縛ってたのは自分自身だった。

それに、私は自分のことを「キラキラした近代的なものが好きで、何事にも効率を一番に考える人間。」だって思ってたけど、そうじゃない一面があるんだなってタイに行って気づいた。
目的のない旅とか、必要のない回り道とか、懐かしい風景とか、そんなものを楽しいと思って感動できる自分がいるって気が付いた。

もっと早くいろんなことに気づくことができたら、もっとたくさんの国に行って、もっといろんな体験ができてたかな。
でも、いまだったから受け入れられたのかもしれないな。
歳をとるたび、自分が自由に、柔軟になっていく気がする。
いろんな経験がいまの自分を作ってるって思う。

私の周囲は私以外誰ひとりパスポートを持っていないような家族、親戚ばかりだけど、私が海外に行くことを止められたことは1度もない。
今回22日間(国内移動も合わせたら23日間)という長い旅に快く送り出してくれた家族に感謝。
…叔母は突然タイに22日間行ってくると言い出した無鉄砲な姪が心配すぎて、毎日神と仏に祈り続けてたらしい(笑)
家族あっての私だから、やっぱり家族みんなが元気なことが私の旅の最重要項目かな。

本当に本当に楽しくて学びか多くて幸せな時間だった。
まぁ、途中1回絶望したけど(笑)
でも、それがまた私の経験値を上げて強くしたと思って。

次の旅が楽しみ。
いつも何かにドキドキわくわくできる人生でありますように。

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