デジタル/写真/表現 すること
はじめましての方ははじめまして。また読んでくれた方はありがとうございます。hiloaki.kと申します。今回は短期スパンで更新したいと思い、頑張って書いてみましたが、結局出したのは物凄い後になってしまいました。
今日はSNSの話からは少し離れて、具体的な写真について話してみたいと思います。
1. デジタル写真の表現をすること
僕が持っているカメラはnikon D7000とz6というカメラです。あと強いて言えばトイカメラのyashicaの安物があります。
あ、最近Rolleicordを買いました。無事ふぃるむでびゅー予定です。
が、メインはやっぱりデジタル。
僕がデジタルで写真を撮る理由はいくつかあります。経済的側面、繰り返しの耐久性、現像のスピード、撮影時の確認可否。
今回は「現像」に絞って書いていきたいと思います。
現像、つまりRAWデータをみんなが見れるようなjpegやpngデータに起こすこと中で僕は写っているモノに自分の表現を加味してデジタル写真としています。
撮影時にある程度の完成図を持って現像を行っていくことがほとんどですが、たまたま撮れた写真や過去の写真に対しては画面越しにうーんと唸りながら50くらいあるプリセットを当てていきます。
大概そういう写真たちは直前に見た映画や絵画、小説や写真に大きく影響されて今日と明日では違うものに仕上がっていきます。
以前のnoteでも書きましたが、そういう偶然性を常に求めるためにあえてデジタル写真を撮り、それを表現しているのだと思います。
もちろん、フィルムの現像だと現像屋さんのスタイルだったり自分の浸けおき時間その他で様々表現は変わりますがそれ以上に即時的に感情をぶつけられるという意味で、デジタル写真の表現をすることは僕にとっては非常に重要なのかな、と思ってます。
2. デジタルの写真を表現すること
さて、この章の題名は前章の題名に比べて似ていますが全く違う意味合いです。
今度は「デジタルの写真たち」をどのように「表現するのか」。
今度は写真発信者側ではなく、受け手側的な視点です。
僕がよく使うのは、写真の持つ視覚以外の部分への言及です。
難しい言い方をするならば、共感覚的なところから表現を引っ張ってきます。
写真が持つ、湿度(触覚)・匂い(嗅覚)・音(聴覚)などです。
特に湿度については自分でも意識するテーマなのでかなり意識的にそれを表現として使うようにしています。
仲良くさせていただいている方をあげるならば、TAKABAさん、それからNayuta Yamaryoさん、D'さん。
定量的・分析的に言うならば御三方はかなり意図的に濃紺色と暖色の濃度を使い分けているような気がします。そうした色の調和やある種偏った色度の見方をすることで自分の写真へフィードバックすることはできます
ただ、それらが総体としてその場所の空気感、触り心地、アスファルトに反射する特有の雨の匂いを閉じ込めているような気がするのです。
それは言葉で「色が云々」というものではなく総体に対する感覚で、写真鑑賞というよりむしろ世界に引き込まれているという感覚に近いかもしれません。
だから表現するときに「濃紺色の使い方がうまい!」というよりむしろ「この写真の湿度感が心地よい…」というほうが僕的にはしっくりくるんです。
写真はあくまで存在するリアルからの切り出しで、視覚だけじゃない要素を持っているだろうと思っていますし、それを信じているからです。
発信者側がリアルから抽出したものを、受信者は写真からリアルを生み出していく作業が求められているような気がしています。
視覚以外の要素からその写真を表現していくことで、いざ自分が写真を撮り現像する(1章の内容)時にその臨場感や空気感がフィードバックされ感覚的なシャッターの切り方ができるようになっていると思います。
3. デジタルな写真表現をすること
三つ目です。
今度はいかにも「デジタル」な写真表現をすることです。
今回の対義語は「アナログ」です。
最近、某有名写真家の方が「フィルムをデジタルで再現する」と仰っていましたが僕にとっては少し違和感が残りました。フィルムを再現…?
(※あくまで僕にとっての話です。)
主にデジタル写真はLightroomはじめ現像ソフトや画像処理ソフトによってjpegデータとしてこの世に誕生します。
パラメータを弄り続けていく作業が主になります。そうして数字との相談をし続けたうえで生まれる写真が「デジタル」な写真です。
そしてその作業から生まれるフィルムのような写真、つまり「アナログ」っぽい写真表現てなんなのでしょう。
よく僕が見るのは、粒子を乗せた写真/色温度を転ばせた写真/青がやや緑がかっている写真。
これは往々にして僕は過去の技術に対する偏見からきている物が多くあると感じることがあります。古いものはざらついていて、黄ばんでいて、色が抜け始めている。ような。
実際、僕が見てきたフィルムで撮られた素晴らしい写真はざらつきもないし黄ばんでも色が抜けていたわけでもありません。デジタルとはなんとなく違うなあというくらいで僕は終わってしまいました。
「フィルムっぽい写真の再現」はフィルムカメラがある意味過去の物になったからこそこのように感じていると思っています。
「デジタルが当たり前」の時代だから比較して「アナログはこうでしょ?」的な押しつけがましさも時に感じてしまうのです。
(※何度も言いますがこれは私見です。)
だからこれは「アナログ」っぽい写真というより、むしろ「デジタル」で撮っているからこそそのような仕上を目指している「デジタル」な表現だと思っています。
ちなみに僕自身は上で挙げた「ざらついて、黄ばんで、色が抜けている」写真は大好きです。カラーの表現として特に。青色のスライダーをいじらないときはないですし。
でもそれは決してアナログっぽいものを目指しているのではなく、デジタルだからこそ目指しているものでもあります。
これに意識的にならないと、自分がデジタルカメラで写真を撮る意味を僕が見失ってしまいそうだから書き残しておきました。
4.おわりに
さて、このややこしい文章はまとめてみたもののオチはあんまりありません。
最近Rolleicord Vbを購入しました。
この先アナログで撮ることもある中でどのように自分の考え方が変わっていくのか楽しみです。
では。