教科を研究する① 国語編
こんにちは。スクールディレクターの蓑手です。今回は、私たちが今行っている取り組みについてご紹介していこうと思います。
私たちのスクールは、アカデミック、いわゆる公教育で積み上げられてきた教科教育に関しても、積極的に取り入れていこうと思っています。「一条校じゃないのに教科教育?」と思われる方もいるかも知れませんが、基盤となる確かな知は、自由になるためにも大切な力だと考えています。
何より、本来アカデミックというものは、楽しいもののはずなのです。12年掘り続けても耐えうる深淵性、これまでの先人たちの知の凝縮性、身に付けることで感じられる心身の拡張性、自然摂理の美。そんなアカデミックのワクワクが忘れられつつある今だからこそ、もう一度学びの在り方を整えたいと思っています。
国語について、文部科学省から出されている公教育の道しるべ「学習指導要領」を参考に、小学校1年から中学校3年までに身に付けさせたい力を改めて系統的にまとめてディスカッションしました。
私は大学時代から国語を専門に研究してきていますが、学校現場の先生たちにとって最も授業するのが難しいと言われるのが国語です。私も教育実習の時に国語で研究授業をしましたが、協議会の冒頭で管理職の先生に「国語を選んだというところは素晴らしい」と言われたことを覚えています。たとえば「たんぽぽのちえ」という説明文がありますが、たんぽぽという植物の生態をとらえさせるならそれは理科ですし、「ごんぎつね」で誠実さをとらえさせようとすれば、それは道徳ですよね。扱う題材と獲得させたい力のズレが大きい教科ともいえるわけです。
子どもたちにとっても、国語嫌いな子はとても多くいます。簡単すぎるという子から、心情なんてわからない、という子まで、理由は多種多様です。しかし多くの子に共通するのは「自分の力が伸びている実感が無い」ことではないでしょうか。
私たちのスクールは、教科書はもちろん、学習指導要領に沿う必要もありません。だからこそ、身に付けるに値する力を洗い出し、焦点化する必要があると考えています。教科書や学習指導要領はよくできています。知が発達段階を元に系統的に並べられています。私たちが実践したいと思っていることは、これらの基礎的な力の系統性を共有した上で、その子にあった段階を年齢にとらわれずに見極めたり、組み替えたり、行きつ戻りつできる柔軟性ある地図として運用していくことです。「自分の力が伸びている実感が無い」ことの最たる原因は、先生でも教科書でもなく、その子にベストフィットできない学校システムの問題だと考えています。
「力の伸びはテストで測ればいいじゃないか」という意見もあると思います。しかし、国語の力というのはペーパーテストでは測りづらい、というのが私たちの考えです。読解のテストはその性質上、スキルやテクニックである程度とれてしまいます。では、テストの点数が高い人が読解力が高いかというと、そう言い切れないのが現実です。話す力、聞く力、書く力に関しても、一定数評価者の主観が入ってしまいますよね。これらの4技能(話す、聞く、書く、読む)と呼ばれる領域は、ある種アートに近いと感じています。状況や目的、届けたい相手によって価値が変動するもの。だからこそ、真正の社会的評価だったり自分の納得解だったりが大切で、自分の理想に近づけているかどうかが重要になってくるわけです。そして、理想に近付いているという実感は本能的な楽しさ。知ることの楽しさを感じて欲しいのです。
アートという意味では、鑑賞にも力を入れたいと思っています。物語や詩や古典を全身で味わう。よいもの、美しいものに触れる体験。それが、理想をぐっと引き上げてくれます。ストーリーは、時に人の心を大きく揺り動かし、また揺らぎそうな自分を支えてくれます。何より、インプットやアウトプットが多様であることこそ、生の現実と喜び。そんな学びを実現したいのです。
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