【日記】ハイボール


 酒は元より好きであったが、最近は日々の憂鬱や絶望感を誤魔化すために、毎晩それを飲まずにはいられなくなってきている。大抵はサントリーの角瓶を炭酸水で割り、ハイボールを嗜んでいる。別段角瓶でなければならないということもないが、アルバイト漬けの生活のせいで、以前よりはお金に余裕がある為、多少値が張るのは気にせずに角瓶を選択している。本当かどうかは分からないが、安いウイスキー(トリスやブラックニッカ)は悪酔いすると、現在二つ掛け持ちしているアルバイト先の片方、釣具屋さんの飲兵衛社員さんが教えてくれたので、なおさら無難に角瓶を選んでいる。ハイボールを美味いとも不味いとも思わないが、甘くもなく、辛くもないため、料理にも全般合うし、煙草にも当然合う。そして糖質も低いため太りにくいとくれば、尚更ハイボールを飲まない理由はない。アルコールを摂取すると、一般的に人間は楽しい気分になるという。以前までの自分もそうであった。一人で飲んでいようとも、音楽を聴きながら、もしくは映画を見ながら、あるいは小説を読みながら、悲喜交々感情を顕にしたり、突然アパートを訪ねてきた友人と合流してそのまま一緒に飲んだり、友人は飲まずとも、ほろ酔い(時にベロ酔い)で彼に絡んだりと、それなりに楽しい晩酌をしていた。今となっては、そのような楽しい晩酌は遠い昔の話である。
 現在もこの駄文の推敲を、購入してから四年目を迎え、だいぶガタが来ているパソコンで、YouTubeで最近公開されたサカナクションのライブ映像を流しながら行っているが、何ら楽しいという情は湧いてこない。ただ、かつて僕の暮らすアパートの自室を、頻繁に訪ねてきた人々は、もう僕の周りから離れていったことを憂い、胸に去来する寂寥の感に耐えかねて、絶望故に杯を仰ぐのみである。今年に入ってから育て始めた多肉植物も、飼育している熱帯魚も、話しかけても返事はしてくれない。
 否、僕は日々の憂鬱や絶望感を誤魔化すために酒を飲んでいると前述したが、最早酒を飲むだけでは、それらは誤魔化しきれなくなっている。人間関係の再構築や、己の精神の鍛錬など、抜本的な対策が、僕の現在の生活に必要であるのは、深淵の深さ程に理解は出来ているのであるが、如何せん今の僕はアパシーに苛まれており、それらを行えずにいる。
 皮肉にも、かつて、僕の部屋に頻繁に飲みに来ていた女性の為に百円均一で買ったグラスから、ウイスキー2に対して、8の割合で注いだ炭酸水の気泡が立ち上り、弾けて、暖房の生温い風の漂う部屋の空気と混じりあって消える。

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