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円とはどんなお金だろう/自由貨幣が見せる世界


Q 経済はなんで成長し続けなければならないのかな?

経済に対する上のような疑問を持っていて、10年くらい前からお金とか経済環境を福祉的な視点から少しずつ調べていて、ようやく最近になってバラバラだったものが繋がってきた。

今年は身近な方と通貨の話を何度かする機会があったのだけど、私の理解が浅く上手く対話ができず、悔しい思いをしたので、ここで一回書くことで理解が深まったり、新しい発見があれば嬉しい。

ここから僕が面白いと思うお金の話をするために、まずは円通貨の仕組みについて書きたいのだけれど、この仕組は他方で「金融モラル」と言われるものを私達に植え付けているので、それについて触れておきたい。

金融モラル

「金融モラル」というのは勤勉でないものは地獄に落ちても仕方がないといったたぐいのもの。

10年くらい前に長野市でバス通勤をしていたとき、隣にいた女子高生3人組の中の1人がバスの外を歩くホームレスに対して「何か考え過ぎちゃってる系?(笑)」と辛辣に揶揄して笑っていた。恐ろしいこと言うなと思って驚いたことがある。

このホームレスへの侮蔑の目線が金融モラルを表している。

金融モラルという言葉はデヴィッド・グレーバーという人類学者の「負債論」という本に出てくる言葉で、彼はそれについて以下のように書いている。

金融モラルは、すくなくとも年間5%づつ生産高を高めていくことが人類の種としての成功の尺度であるという、巨大負債機械によって生み出され、過去500年をかけて世界中ほとんどの人に植え付けられ、それらの人を世界を金になるものとしてしか見ない略奪者のあり方とそれほど変わらないものへと還元している。

確かに私も女子高生の言うことが理解できてしまうし、その目線を向けられたくないという恐れもある。

幸い私が最近親しくさせてもらっているワークテラス佐久というコワーキングスペースはこのモラルからわりと自由な環境に感じる。「この部屋では仕事は20%くらいにして他人の話に耳をすましてくれ」とか「暇な時間を増やしたい」と言う方がいたり、農に関わったり音楽をしたり多彩な活動がワークテラスという名前で行われている。

市場経済に対して人間経済という言葉が上の本には出てくる。それはお金が増えていくことが目的ではなく、人間が豊かに再生産されることを目的にした経済の事を指している。

ワークテラスで行われているワークは人間経済の性格が強いワークが複数、行われていて、それがこの施設を魅力的に見せていると思う。来年もそれがもっと発展していけばいいなと思う。

少し脱線したけれど、まずはこの市場経済の金融モラルがどんな仕組みで体現されているかっていう話を下に書こうと思う。 

信用創造について

経済は難しいと言われるけれど、人が作った仕組みが難しいってことあるかしら?と疑問があったが、やはりそのモデルは簡単に理解できるものだと思う。

その理解を妨げているのは銀行の働きがわかりにくく説明されていたという指摘がある。

ここで質問ですが、経済は日々成長をしているのだから、当然お金の総量は増えているはずです。誰が増やしているのかご存知でしょうか?

答えは、国ではなくて民間銀行のようです。

ポイントは信用創造という仕組み。

この信用創造というものはお金の融資に関することで、これが上手く説明されていないため、誤解を生み、多くの人は銀行をただの金融仲介業者だと認識している。

金融仲介業とはお金を集めて、それを貸し出しているということだが、実際はそうではなくて、銀行は預金の量に関わらず、お金を創って貸し出すことを許された機関のようだ。

その機能を信用創造という。

上記についてイギリスの中央銀行が2014年にそれを公式にも表明している。(https://www.fukurou.win/https-www-fukurou-win-bank-of-england-quarterly-bulletin2014-money-creation-in-the-modern-economy1/

今日、貨幣が創造される現実の仕組みは、経済学の教科書に見受けられる記述と齟齬がある。
銀行は、家計が預けた時に受け取った預金を貸し出すのではなく、銀行の貸出が預金を創造する。

ここを間違えて理解してしまうと経済の仕組みが捉えられなくなるように思う。

銀行をただの金融仲介業だと捉えると、ただお金を集めてそれを貸し出すバッファのように銀行をイメージしてしまうことになり、お金の出入り口がわからなくなってしまう。

信用創造の理解によってわかることは経済環境のお金の増減は民間銀行が行っているということ。その他のプレイヤーである国や事業者や投資家はお金を移動させているだけということ。

(以前に銀行に勤めていた方二人と話す機会があり信用創造について聞いてみたけれど二人共、誤解されていた。そのうち一人は日銀にお勤めの方だった。最も2014年の公式発表がある前にも論争のポイントではあった話のようだけれど。)

利子付きのお金

そうすると経済環境がよく見えてくるように思う。銀行だけが融資として経済環境にお金を創って増やし、その創り出されたお金にはすべて利子が付いていたことになる。

それを「ご飯を銀行からしかもらえない人」に例えてみる

ご飯を銀行からしかもらえない人

銀行からご飯をもらって、うんちを利子付きで返済しなければならないって考えてみる。もらったご飯から出てくるはずのうんちの量よりも利子をつけて少し多めのうんちを返済しなければならないとする。(変な例えですが、今はこれよりいい例えが思いつかないのです。)そうするとその人は他人が銀行からご飯をもらってしたうんちをどうにか手に入れて、少し多めのうんちを返さななければならない。そのうんちを分け与えた人もまた他人のうんちを手にして返済しないとならない。そうなるとうんちが不足する心配があるけれど、人が増えるか、体を大きくすればその環境でうんちの総量を増やすことができるので大丈夫。その連鎖が結果的にその環境で人が体を大きくしたり人口を増やす(=経済成長)につながる。そうやって、その環境では成長(体を大きくするか、人が増えるか)をしなければならない。常にもらった御飯の総量より多くのうんちが要求されていて、そのうんちはその環境にはまだない。その環境はうんちを多めにつくりだすために成長をしなければならなくなる。

そして銀行もまた、ウンチを回収できないと破綻してしまうので、融資をし続ける動力は銀行が持っている。


なぜ経済は成長しなくてはならないのか?


これで、最初の質問に答えられると思う。なぜ経済は成長しなければならないかといえば、融資をされた時に、利子分のお金は経済環境にはないので次の融資をしないと事業者→銀行の順でそれぞれが破綻してしまうから、融資をして経済成長させる必要が銀行にあるから。

融資の利子が利子分以上の利益を生む事業を要求し、融資を受けた事業者によってそれは果たされる。そうして経済成長をしていくと言える。

この仕組を理解すると「環境問題は私達の欲望が問題だ」という論調に疑問を覚える。お金の仕組み自体にも成長(環境にとっては暴走)をし続けるような要素が設計されているに見えるからだ。

お金のデザイン

お金の出入り口とそのお金の性格が、わかったので、お金のデザインの要素が見えてくる。

それは誰が、どんな人に、どんなお金を創るのか?という問いで表せると思う。

今の法定通貨の円は民間銀行が、事業者に、複利の付いたお金を創っている。

この3つの要素は地域通貨の文脈で多くの検討がされていて、その可能性を見ることができる。

誰が?

これは銀行がすることが普通と思うかもしれないが、「本来、信用は森のように共有の資源(コモンズ)であって、それが銀行に不当に占拠されている」という学者もいる。そもそも私達は自分たちでお金を創ることができる。例えば何かの紙をお金であるとして、それに他者が合意すれば、それがお金になる。

そのようなものがどうして銀行から利子付きで貸し出されなければならないのだろうか。

その意味から見ると地域通貨・並行通貨は銀行に占拠された信用を奪還しているという意味で、どれだけ小さな通貨であってもその革命的な姿勢を評価することができる。

この自主的な通貨について、例えば地方の行政機関は自身の信用を元に自ら通貨を発行できるはずだ。国や銀行にお金を借りずとも、何も元手はかけずに円ではないお金ならば創ることができる。行政が市民の理解を得て、その新しいお金を税として受け取ると言えば多分流通させられると思う。特に円のバックボーンがなくて良いというのがポイントで、円に上乗せしてその地方のお金を増やすことができると思う。

もしくは円をバックボーンに、並行通貨を発行するのかな。そうすると、円と交換の要求が来るまでは、通貨を増やすことがができる。 交換にほとんど来ないとしたら、お金が増えた状況を続けてられるのかもしれない。

どんな人に?

ここは例えばベーシックインカムという仕組みは通貨を創る先を事業者ではなくて、一人ひとりの国民に対して創っていると言える。それはどのような意味があるのだろう。よくわからないが、憲法13条のような人権を経済面から保証する形として調度良いのかな。

どんなお金を?

ここにも面白い提案がある。シルビオ・ゲゼルの自由貨幣/腐るお金/錆びるお金というアイディアである。このビジョンは現在の通貨の問題点を浮き彫りにすると同時に新たな経済環境を提示しているように見える。

それは年間5%貨幣の価値が目減りするという貨幣のこと。

これは過去数回、法定通貨的に流通したらしい。それが流通した時代は豊かな経済が栄え、観光資源になるようなものがたくさん作られたという記録があるようだ。

この理論的な背景がまた面白い。

ゲゼルの自由貨幣の理論

シルビオ・ゲゼルは彼の提案した年間5%目減りする自由貨幣で取引した時でなければ正当な価格の取引ではないと主張する。

通常のお金で取引した場合は売り主に対して買い手は不当に安く買い叩いているというのだ。

それはお金が時間や空間の制限を受けないからだという。

売り手に目を向けると、彼の商品は場所を取るし、時間が来れば野菜ならば腐るし、鍋なら錆びてしまう。

お金を持つ側は取引を引きのばす選択肢があるので、その分商品の価格が安くなっているというのだ。

5%目減りする貨幣の場合は取引を引き伸ばすと野菜と同じように貨幣も目減りしてしまうというわけ。

このように通常のお金で取引をした場合お金を持つ側に優位性が生まれているという。

ここで更に面白いのは、その優位性が金融経済を生み出しているという話だ。

自由貨幣と金融経済

その優位性によってお金持ちはお金を運用して金融所得(これも年間5%とかそういう金額)を不労所得として得ているという。

自由貨幣は不労所得を生み出さない。
今は金融経済は実体経済の10倍と言われていて、その不労所得は明らかに経済環境の癌であると思う。それが無くなって、ゲゼルは労働者の賃金は現在の2倍になると言っている。

お金がお金を生むこともなく、格差も時間とともに是正されていくという、今までの格差が拡大していく通貨とは逆のベクトルに向かうのが自由貨幣。格差のための再配分も必要がなくなる方向性だ。

他方で現在の法定通貨が金融経済を生み出したのは通貨デザインの必然だとも思う。減価しない優位性を持った貨幣は格差を拡大し、それを転がして不労所得者を生み、それが実体経済の10倍にもなっているというこのデザインを受け入れらるだろうか・・・。法定通貨一つしか持っていない僕は受け入れるしかないのだけど、それは不幸としか言いようがない。

市場経済という言葉はお金を増やすことを目的としているので、金融経済も受け入れてしまうわけだけど、人間経済という概念は人の豊かな再生産に目を向けているので、金融経済を否定するだろう。だから人間経済やこれに似た概念装置と、それを体現する通貨が流通するべきだろうと思う。理想は法定通貨こそそれを体現してほしい。

(ゲゼルは土地は国有にするという自由地ということも同時に訴えていた。それは、お金を資産化しようとした時にそのお金が土地に流れることを防ぐためだと思われる)


またその優位性は利子を生み出すもとになっているという。それが無くなることで自由貨幣は事業の性格にも影響を与える。

自由貨幣による事業の変化

現在の円のように複利の付いた融資で事業をする場合、より短期に利益を回収できる事業に旨味がある。

またある一定以上の期間で利益が出ない事業は不可能になる。複利の返済額は時間とともに2次曲線を描くから、その線の外側にある利益を生むのに時間がかかる事業は不可能となる。

自由貨幣は利子が無いとすれば返済額は平らな直線になる。長期間かけて利益がでるような事業も可能。さらに事業の性格が正反対に変わるようにも見える。同じ儲けを生み出すとした場合、長期的に儲けが出たほうが価値を生む。すぐにお金に変わってしまうと5%ずつ少なくなっていってしまうので、同じ儲けであれば分散して長い期間をかけてお金を生み出す事業に価値を見る人もいるだろう。

また自由貨幣で事業者が市中からお金を集める(投資を受ける)場合にマイナス利子でお金を集められるんじゃないだろうか。投資家が持つお金も5%ずつ減ってしまうので、例えば3%減くらいですむなら投資したほうが良くなる。だから事業者は借りたお金より返済額が少なくて済むようなマイナス利子でお金を集めて小さな利益を生むビジネスも可能になるはず。

自由貨幣の環境で行われる事業

私が素晴らしいなと思うイメージは、自由貨幣の融資を受けた事業者が短期的でなく長期的な視野を持って長い時間をかけてゆっくり富を生む事業を行ったり、現在小さな利益しか産まないような事業もお金を集めて可能になるとすれば、未来/環境に対して負荷が無くなり、将来の人々のための経済が作られるところ。
例えば林業は育つのに時間がかかるから複利を抱えながら事業はできないだろうが、自由貨幣ならできるのかも。

また自由貨幣の世界ではプレイヤーがゲームの勝利(金儲け)を目指しているだけで、環境への配慮が同時に行われるならば素晴らしい。環境問題をプレイヤーのリテラシーや良心に頼る必要がない。自然環境とエコロジカルに無理のない速度で進む経済が作れるのかもしれない。

(もしかして、お金は無くなっていくものになるから、そもそも事業者も金儲けを目指さなくなるのかな・・・?そこまで極端ではなさそうだけど、そういう方向性ではあるはず)

自由貨幣の消費者の変化

自由貨幣の下では消費者は時間とともにお金は減っていく意識になるので今より多くお金を使うだろう。
貯蓄の意味が弱まり、お金よりも関係性という価値観に移行していく。
今のお金は優位性によって貯蓄の意識を強め循環を妨げていると見ることもできる。

金融モラルの無いフラットな経済環境

自由貨幣は最初に書いた「金融モラル」も生み出さないだろう。年5%の成長は融資の利子が要求していた成長速度だから。

取引の際の上下関係も生み出さない。お客様は神様とか、お金を持つ側の立場の強さというのもたぶん、その背景にはお金の優位性があるのじゃないか。その優位性が無くなることで上から滴り落ちて来るような経済環境ではなくてフラットな環境が生まれるように思う。

そこで行われる日常の取引はたぶん今と全然違う感覚なんじゃないかと思う。

私はいつかそういう環境に住んでみたい。

実際ドイツにはキームガウアー(Chiemgauer)という名の、この夢の貨幣が法定通貨ではないとしても流通しているのだから希望がない訳ではない。

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