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今夜は内藤「「無垢な少女」をめぐって ──白いワンピースの少女って、どこがそんなに良いわけ?」(エッセイ)

今回の記事は、自分が過去に企画した同人誌『共感性致命傷説集 vol.1』に掲載した架空のインタビュー原稿です。

頒布したのももう2年前ですし、boothの在庫も既にないのでここに再掲します。

今後も、過去原稿をいくつか載せようと思っています。(当然ですが、自分で執筆したものに限ります!!!)

それではどうぞ。


1.「少女」ってそもそも誰?

タイトルからわかる通り、僕はぶっちゃけ「白いワンピースの少女」にあまり興味がありません。ただ僕が気になるのは、何故皆がそれほどまでに「白いワンピースの少女」に惹かれているのか、ということです。「ひまわり畑」や「夏休みに訪れた青い空の田舎」や「高原のサナトリウム」というようなシチュエーションで儚げに微笑む彼女に、どんな魅力があるのか。……いや、僕もまったく憧れないってことはないんですが……やっぱり、なんでそこまで皆がそういった少女を描いたイラストや小説にこだわったりするのかよくわからん、というのが正直なところであって。個人的な趣味としては「白いワンピースの少女」より「白いルーズソックスの少女」の方が好きなんですよね。これは、ゼロ年代より90年代が好きだ!という単なる僕の趣味嗜好の問題なんでしょうか……でも、断然感傷的なのもそっちじゃないですか?

まぁ、それはともかくですね、今回は「白いルーズソックスの少女」派として、「白いワンピースの少女」派の皆が何故そこまで彼女に惹かれるのか、というのを理解していきたいわけです。そんなに良いかなぁ……「白いワンピースの少女」って……しかしまぁ、このエッセイが載るのは感傷マゾ同好会の会誌です。なんなら「白いワンピースの少女」が表紙を飾っていたりするかもしれないですし、滅多なことは言えないですね。でもなんかなぁ……ゼロ年代のエロゲとか好きな世代がそういうのに惹かれるってのはわかるんですけどね。別にそうではない、もっと下の世代にまでそこまで響くのは何故なのか……10年代の作品にもそういうフェチを刺激する作品はあるから~(あの花とか?)、って言われればまぁ、そうなんでしょうが。あんまピンと来ないんですよね。

というわけで、今回は「白いワンピースの少女」の魅力を全然わかってない僕が彼女を理解するための助走として書かれたエッセイです。その助走は主に、彼女を構成する無垢、清純、聖性。非存在感すらある透明感といったイメージ……そのなかでもとりわけ「無垢」や「清純」といったものに注目することで進めていきたいと思っています。彼女がそういった属性を持っている……という理解は、間違っていないですよね?多分。

ただ、この「無垢」という性質を持つ若い女性──「少女」への憧憬は決して「白いワンピースの少女」に対してだけではなく、日本文化の中で実に様々な対象に向けられてきたものです。また、この「少女」は、純潔を保っている10代の女性、と言い換えても良いであろうと思われます。これについては後述する「少女」の起源に関するくだりで詳しく書きますが、「無垢」という言葉が女性表象に対して使われる場合、往々にして処女性というものが含意されていますし、この会誌のテーマである「感傷マゾ」にまつわる作品群の中にも、ヒロインにあたる女性が主人公ではない他の誰かと恋人になること、また性的交渉を結ぶ(あるいはそれがうかがえる)ことによって、主人公にとって非ヒロイン化する例が度々あるように思います。

何故主人公にとって、「少女」は無垢でなければならないのでしょうか。そもそも、そのような「少女」が誕生したのは、いつなのでしょうか。そのヒントとなるキーワードは先ほど「無垢」とセットと並んで挙げた「純潔」でしょう。というのも、「無垢」という性質を極めてシンプルに説明すると、それは「社会の中で成熟ではなく未熟の方へ向かっていくという様」であり、だからこそ幼児なんかはわかりやすく「無垢」な存在といえるわけです。大人という状態からの距離こそ無垢さの表れであり、それゆえ子供を産むという半ば自動的に「大人」となるような営為は「無垢」とは相容れないものとみなされます。ただし、「少女」はそういった営為が全く不可能であることによって「無垢」とみなされているのではなく、「可能であるが、為されていない」というところに根拠があるのでしょう。

そして、そのような「少女」への所有願望──要するに、その「無垢」の蹂躙を独占する欲求──や、いつその「無垢」が喪われるか、そしてその喪失を自分が認知できるかどうか定かではないという不確かさへの期待と不安というグロテスクな視線も「少女」をこれまで支えてきた大きな要素ではないかと思われます。また、「少女」のなりたちを考える上でも、そこにヒントがあります。というのも、「少女」なるものの起源には、日本の近代化に伴う結婚文化の変容が大きく関係しているからです。

2.「少女」の起源

時は明治時代の始めまで遡ります。当時、政府が進めていた近代化政策の一環として女子教育の制度化が進み、1870年代から官立(国立)女学校が設立されていきました。それらの教育機関には、小学校を卒業した14歳から17歳──まさしく「少女」と呼ばれる年齢の女性に入学資格が与えられていました。また、官立女学校の他にもミッション系の私立女学校が多数設立されており、そこでのキリスト教的な純潔規範も「少女」概念を支えたように思います。それらの女学校に入学した女性たちは、近代以前は第二次性徴期が訪れ、結婚可能と見做されるに従いどこかの家庭に嫁ぐことが推奨されていたような上流・中流家庭の生まれです。明治になり、女学校へ入るようになった彼女たちは来る日に良妻賢母として嫁げるようになるための女子教育を受けることになり、当然在学中は「貞操を守る」ということが規範として求められるようになりました。それが「少女」の起源です。女学校という箱庭で家庭からも社会からも一定程度隔離され、学園生活を送る「無垢≒純潔であることを求められる少女」、その在り方を保持し促進するような女子教育にはジェンダーロールの固定という悪しき側面も当然あるものの、「少女」を主題とした新たな想像力を生み、そこから創られた豊潤な文化は時代に応じて変遷しつつ、現在にまで引き継がれてゆくことになります。

そのような文化を語る上でまず触れなければならないのは、北村透谷でしょう。透谷は10代半ばから当時盛り上がっていた自由民権運動に参加しますが、1885年に活動資金を目的とした強盗計画に勧誘されたことをきっかけに運動から離れることになります。その挫折から透谷は日本において恋愛至上主義の魁となり、1892年に随筆・『厭世詩家と女性』を発表、「恋愛は人生の秘鑰なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ」という冒頭で世間に衝撃を与えます。これについて、絓秀実は「「少女」とは誰か?──吉本隆明小論」で、運動からの挫折→恋愛の発見という透谷の歩んだ道筋こそ「近代文学における「少女」的なものの発見=発明」を準備したと書いています。また、そのような「少女」を扱った文化は、純文学のようなハイカルのみならず、それこそ若い女性たち自身が夢中になったポピュラーカルチャーにこそ花開きました。その嚆矢となったのが1902年に創刊された雑誌『少女界』であり、その後も『少女世界』、『少女小説』などが次々と創刊されていきます。また、その波は専門誌だけに留まらず、翌1903年には読売新聞に小杉天外の『魔風恋風』が連載されて人気を博しました。

さて、それらの少女文化が隆盛した背景には、もちろん読者である少女たちの熱烈な支持があったというのも当然ながら、同時にそれを提供する製作者や保護者といった人々による、それらを通して彼女たちにどうあるべきかという規範を内面化させたいという思惑もあったのでしょう。それと関連して、先ほど紹介した『魔風恋風』から見える当時の女学生観というのは興味深くあります。というのも、この作品の主人公である萩原初野は作中で「女子が勉強してどうなるんだ、どうせ男のことしか考えていないのだからやめておけばいいのに」というような趣旨の発言を投げかけられるのですが、これは当時の流行であった「堕落女学生」観とでもいうべきものを反映しているのですね。当時、巷では「立派な女学生になるべく上京してきた少女たちが異性関係で堕落する!」というようなことがセンセーショナルな話題を呼んでおり、女学生たちがどのような立場におかれていたかということが垣間見えます。

つまり、政府は彼女たちに貞操を守らせ、良妻賢母予備軍として教育すべく女学校で学ばせるわけですが、世間は「そんな清純な少女たちが性に溺れて堕落する」という物語に惹かれ、盛んに消費していくわけです。後の援助交際ブームと構造が似ているような気がしますが、その話は後にしましょう。また、「堕落女学生」といえば、それを扱った最も有名な小説は田山花袋の『蒲団』でしょう。再び絓秀実の「「少女」とは誰か?」を引用すると、「すでに「少女病」と揶揄され自認してもいた花袋こそ、モダンでイノセントな存在としての「少女」の表象を、はじめて描きえた作家にほかならなかった」とあります。

3・「少女」と演劇、そして天皇

また、絓は唐十郎の『少女仮面』、『少女都市』を挙げて60年代アングラ演劇が「少女」を主題として掲げていることを指摘し、また、主に大塚英志なんかが語る「少女」と天皇の関係について、「「少女」的な無垢性が、昭和天皇の死によって表現された現代の天皇制とも親和的であること」と的確にまとめています。
その二つを関連づけ、「「少女」と天皇と演劇」を考える上で、僕が注目すべきだと考えるのは唐……ではなく、高校卒業後に唐の「状況劇場」に参加し、のちに劇団・東京グランギニョル(以下G・G)を旗揚げした飴屋法水です。同劇団で最も有名だと思われる舞台『ライチ光クラブ』(作/鏨汽鏡 演出/飴屋法水)には、「マリン」という名の少女が登場します。彼女は主要人物の少年たちが操るロボット・ライチにさらわれ、やがて機械に改造されることになってしまいますが、ライチとマリンはやがて仲を深めていき、「君(ライチ)は私が機械になったら嬉しい?だって私がおばあさんになったら君はもう花をくれなくなるに決まってる」と、自ら機械化を提案します。

そして、その前作である『ガラチア  帝都物語』に登場するモンゴロイド(ダウン症)の少女、ミハルもまたカノンと同じく、ヒトとしての身体が確かなものでないことをほのめかされている存在です。少し長いですが、引用してみましょう。

カトー「妹さん、……モンゴロイドですね。」
平田「……おわかりでしたか。……ミハルの場合、軽い部類なんですが、……確かに、モンゴロイドです。」
博士「ほう……私は気づきませんでした。いや、カトーさん、博学ですな。」
カトー「モンゴロイド、つまりダウン症。あまりに不思議な奇形児です。妊娠三ヵ月、つまり胎児への器官形成過程での、母体へのショック、あるいは感染病による異変などが原因とされているが、世界各地、母体の種族に関わらず、生まれてくる子供は、皆、一様にモンゴル民族そっくりの顔をしている。脳に何の障害も認められないにもかかわらず、知力は著しく劣り、自分の性別をもつかず、自意識などという、人間くさい感情を、いっさい持ち合わせていない!」
博士「……そこらにころがっている、マネキンみたいなもんですな。」
平田「(激怒して)何を言う!ミハルはちゃんとした人間だ!!」
博士「……失礼。」
カトー「……しかし、確かに、モンゴロイドのことを思うと……私の頭の中で、物と、人間との境界線が、急にボヤけてくるんです……。」

BD&飴屋法水「ガラチア 帝都物語」(東京おとなクラブ『丸尾末広 ONLY・YOU』、河出書房新社)

マリンもミハルも、共に「少女」であり尚且つ「物と人間の境界線がボヤけている」存在です。死体みたいなもんでしょうか。確かに「白いワンピースの少女」も……というか、無垢な存在は度々幽霊や亡霊といった形を取って現れますし、死体というのもそんなに間違ってはいないのかもしれません。それはともかく、飴屋は「物と人間の境界線がボヤけている」存在として少女を描いている……わけですが、飴屋は同様のイメージを天皇、特に昭和天皇にも重ねているのですね。飴屋がG・G解散後に結成した「M・M・M」の舞台『SKIN』シリーズでは、チューブや人工臓器といった医療テクノロジーなどの「機械」と「生身の身体」の関係を主題として描いているのですが、飴屋は91年に出た大橋二郎との共著で、昭和の終わりについてこう語っています。

「おそらく、メディアテクノロジーの最先端を極めた生命維持装置群とチューブでつながり、他者の血液を取り込むことによって生き延びている昭和天皇のボディ……。(中略)そして、その生物としての肉体のテクノロジカルな延命と共に延ばされていった、昭和と自粛。まさにサイバー昭和とでも呼ぶしかなかった、あの時間……。」

飴屋法水、大橋二郎『『SKIN6 PAPERBACK─スキン全記録』、演劇ぶっく社

その後も飴屋の天皇と天皇制への関心は持続します。彼はその後演劇から離れ、現代美術家としての活動を精力的に始めるわけですが、その作品の一つである「ダッチライフvol.1/コンタミネイテッド」は……これ、実際に観たわけじゃないのでちゃんとはわからないのですが、「顔型の寒天培地に観客の呼吸や会場のトイレから尿を送り込み日々雑菌を繁殖させる」「昭和天皇の声を発しながら動くロボット」なのです。そしてこの作品を制作した動機は「天皇制のカナメはさ、それが議会制のようなシステムで決定されるのではなく、身体の純血性と身体の死亡を決定づけているのは延命テクノロジーじゃん(略)その時、身体性って何なんだ?」という疑問だったといいます。

飴屋のなかで「少女」と「天皇」は共に「物と人間の境界線がボヤけている」異形の存在、ということになるわけです。ただ、僕はマリンやミハルが天皇をイメージして演出されたキャラクターだ、とは考えません。飴屋には唐世代の演劇人ほどの露骨な反権力志向やイデオロギッシュな性格はありません。しかし、それは世代間の断絶を示しているわけではなく、飴屋は唐世代とは違う形で「「少女」と天皇」という問題意識を60年代から引き継ぎ、別のフィールドに接続していきました。

また、「人間とそうでないものを行き来する無垢な存在」を扱った同時代の演劇として、劇団夢の遊眠社の『半神』を忘れてはいけないでしょう。……ただ、ちょっと長くなりそうなので、今回は書きません。どうでもいいですが、『半神』は、個人的に『新世紀エヴァンゲリオン』に大きく影響を与えた作品ではないかと思っています。『半神』が再演された際のパンフレットに載っている野田と庵野秀明の対談では、庵野がビデオで観たもっとも好きな舞台として『半神』を挙げているし、同舞台では「第九」がキーワードとなり、もちろん第九交響曲も流れ、ついでに天地真理の「ひとりじゃないの」も流れ、知恵を持つが愛を満足に得られない(他者との関係に苦しむ)存在と知恵は無いが愛を十分に得られる(人との関係に苦しまない)存在のどちらが生き残るか、という物語であり、何より主人公の双子がレイとアスカの元ネタに見えて仕方ないんですよね。

4.「少女」とアイドル

80年代、雑誌の表紙グラビアやTVコマーシャルをきっかけに始まった女子大生ブームによって、メディアによるしっかりとした戦略さえあればたとえ歌唱力等のスキルがなくとも「少女」をアイドルとして世に出すことが出来るということがわかっていきました。その集大成として85年に現れるのがフジテレビの夕方番組「夕焼けニャンニャン」のオーディションコーナー発のアイドルグループ・おニャン子クラブです。これを手掛けた中心人物が、当時27歳だった秋元康ですね。若い世代にはあまり知られていないかもしれませんが、彼が「素人志向」「身近さ」を武器としたアイドルを世に送り出すのはAKB48が初めてではなかったのです。しかし、おニャン子クラブは意外と短命に終わり、そこから90年代、俗に言う「アイドル冬の時代」に突入してしまいます。女性アーティストに対する本格志向が高まり、応援したくなるような未熟さを1つ魅力の軸とするアイドルという在り方は支持を集めなくなった、と言われますが実際どうなのでしょうか。

それも一つの見方ではありますが、それは素人志向の需要が薄れた、ということを意味するのではなく、単にテレビから更にアンダーグラウンドな場に降りて行った、ということだったのだと思います。96年をピークとする援助交際ブームのことですね。女子高校生を中心に、テレクラなどを使って盛んに行われた援助交際でしたが、ブームの拡大は彼女たちが自分たち──というより、「少女」の商品価値を認識したことが大きな要因だったように思います。つまり、「私のような、女子高生の制服を着た「少女」に清純さや無垢といったイメージを抱き、それを消費したがる大人が社会には大勢いるのだ」ということを彼女たち自身が広く自覚したのです。また、「少女」のなりたちを思い返せばわかる通り、この現象には制服が長年「少女」の象徴としてあり続けたことが大きく関係しています。それを着る彼女たちの「少女」性を援助交際という直接的なやり方で消費できることにこそ需要が生まれていたわけですが、ブームになりその市場が拡大するにつれて「少女」という象徴から無垢さや清純さといった要素が損なわれてゆくことで需要が供給を下回ってゆき、やがてブームも下火に。彼女たちもそれに伴って撤退し、中には「ヤマンバメイク」のような、逆に男性からの視線を遮断し、拒否するスタンスに180度転換する存在も現れます。また、それと時を同じくして、アイドルの波がまた盛り上がっていくんですね。90年代的な本格志向と、その時代には(メインストリームでは)興味を持たれなくなっていた素人志向、その二つを上手くハイブリッドしたグループ、つんく♂がプロデュースするモーニング娘。の登場(1998年)です。この後、彼女たちは徐々に人気を博していき、かつてのおニャン子クラブを凌駕するほどの目覚ましい活躍を見せます。

しかし、御存じの通りゼロ年代~10年代にかけてアイドルシーンを席巻したのは彼女らが属する「ハロプロ」ではなく「AKBグループ」です。一時代を築いたAKB48をプロデュースする上で秋元康が武器としたのはおニャン子のときと同じく「素人」性、身近さでした。AKB48というプロジェクトは、秋元が価値を発掘した「素人」志向の延長線上に生まれた援助交際ブームのあまりの拡大によって一度失われかけた「(無垢で清純な)少女」という表象を、よりクリーンな形で再興せんとする試みでもあったのでは無いでしょうか。それを端的に表すのが「恋愛禁止」です。

AKB48において暗黙のルールとされた「恋愛禁止」。決して明文化されているわけではないにも関わらず、このルールは過剰に思えるほど徹底して厳守しなければならないものとされていました。それを象徴するのが、先日結婚した峯岸みなみの丸刈り事件です。2013年の初め、週刊文春によってお泊まり報道がスクープされ、彼女は自身へのペナルティとして髪を痛々しい坊主頭に刈り、公式YOUTUBEチャンネルにて謝罪動画を上げました。当時僕は小学生でしたが、正直ドン引きしたのを覚えていますし、世間はもちろん、芸能界も大体似たような反応だったように思います。

しかし、何故「恋愛禁止」を破ったメンバーがあそこまで酷いペナルティを自身に課さなければならなかったのか。「恋愛禁止」は何故それほどまでに絶対的だったのか。それはAKB48が「(無垢で清純な)少女」の再興という使命を帯び、またそれを実現させたことによってあれほどの存在感を占めたという側面があったからではないかという気がします。

また、秋元康vsつんく♂という構図についてもう一度触れると、秋元康がAKB48のプロデュースを開始する2005年、その3年前の2002年に、つんく♂もまた「無垢」を鍵とするアイドルプロデュースを試みています。「ハロー!プロジェクト・キッズ オーディション」です。応募資格は、芸能事務所と契約をしていない、都内に通える「小学1年生から小学6年生の女性」。応募総数は27,658名。最終合格者15名の中で、世間的によく知られているのは10年代前半、ぶりっ子キャラでバラエティを中心にブレイクした「ももち」こと嗣永桃子、また、最近では鈴木雅之とデュエットで歌った『かぐや様は告らせたい』のOPをきっかけにアニソン界でも活躍の幅を広げている鈴木愛理なんかでしょうか。ただ、「さすがに小学生はちょっと……」と、当時は引いてしまうファンが多かったようです。ちなみに、峯岸みなみはこのハロプロキッズオーディションに落選し、3年後に「AKB48オープニングメンバーオーディション」に合格したという経歴を持っています。

平成のアイドルシーンは、秋元康が80年代に「素人」を武器にスタートさせ、つんく♂が「本格と素人のハイブリッド」でアイドル冬の時代に雪解けをもたらし、その二人がゼロ年代初頭で競り合った結果、やや出遅れた秋元が勝利し時代を手にした……という見方ができるようにも思います。


5.「少女」を囲むユートピア

しかし、そもそもアイドルのような「少女」を囲む文化は何が楽しいのでしょうか。一見、アイドルのファンコミュニティはリアルでもネットでもホモソーシャルな空間に見えます。が、同時に彼らがいわゆる「体育会系」的なホモソーシャルノリに対して拒否感を持っていることも事実です。では、それは単に大きなコミュニティでは支配層に馴染みきれなかった個同士が小さなコミュニティで、同じ構図を再生産しているという話なのでしょうか。いや、そう単純でも無いでしょう。

教室的な大きいホモソーシャル空間とアイドルファンコミュニティ的な小さいホモソーシャル空間を比較した時、後者には競争が存在しないという大きな違いがあるからです。「恋愛禁止」というルールがアイドル界全体に広く浸透したことによって、そこでは鍵となる「少女」が誰のものにもならない(ことになっている)。誰のものにもならないなら、そこでは安心して少女の質を品評し、彼女が何者かを語り、創作活動や自慰のネタとして消費することが可能になります。「恋愛禁止」によって守られる、競争なき「少女」フェチユートピアは、その中心にいる少女が「誰にも手に入らない」ことで成立しているのです。

もっと詳しく言えば、そのユートピアは「本当は手に入れたい、しかしその競争に挑んで自分が負け、誰かが勝つのは嫌だ。だが競争しなければ、決して手に入らない。だったら、最初から誰にも手に入らなければ良い」というニーズへの応答になっています。そして、競争なきユートピアの安寧が揺るがされたとき、それまで恩恵を受けてきた人々が過剰な暴力性をもって、彼女たちに「無垢」への抑圧に抵抗した罰として「少女」性を剥奪すべく、「髪を刈る」という手段を肯定することは大変興味深くはないでしょうか。

「少女」の誕生当時、明治初頭においては国が彼女たちを女学校という場に囲い込むことで、外から文化を通してそれを消費し、同時に規範を内面化させることができていました。そして、長い年月を経るなかで、文化そのものが囲い込みの性質を持つようになったのです。「恋愛禁止」がルールとなっているアイドルの現場はかつての女学校の系譜にある……とまでは言わないですが、同種の性質を引き継いでいることは確かでしょう。そうして「少女」は近代から現代まで、文化の中で「少女」たり続けてきたのです。

では、10年代、20年代ではどうでしょう。未だにそのような「少女」が求められ続けているのか……といえば、そうでは無いように思います。面白いことに、かつて「少女」を再興したかに思えたAKB48の後続グループによって、再び「少女」が揺るがされているように見えるのです。

6.「少女」の現在

欅坂46(現・櫻坂46)が2016年に発表した楽曲「サイレントマジョリティー」(以下、サイマジョ)は、これまでの秋元康プロデュース曲の中で異質な存在感を放っていました。有名な曲なので知っている方も多かろうとは思いますが、サイマジョは明確に社会や大人への抵抗というメッセージを打ち出しています。「君は君らしく生きてゆくんだ 大人たちに支配されるな」と歌い、その手段として「夢を見ること」を提示するのがこの曲です。これは彼女たちのデビュー曲ですが、歌詞で語られ ているストーリーには前日譚が存在します。それが翌年に発表された1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」のB面リード曲である「月曜日の朝、スカートを切られた」(以下、月スカ)です。「月スカ」と「サイマジョ」のPVが繋がっていることからも二つが同じ物語の前後篇であることがわかるのですが……「月スカ」ではどのようなストーリーが語られているのか、ということをご紹介したいと思います。

「月スカ」の語り手は少女です。彼女は社会に対する反発を覚えてはいるものの、「反抗したいほど熱いものなく」「受け入れてしまうほど従順でもなく」、鬱屈を抱えたまま生きています。ある日、彼女は通学電車で「何者かにスカートを切られる」という性犯罪被害に遭い、そしてその犯人を「無視された社会の隅に存在する孤独」「自分はここにいる それだけ伝えたい」人間なのだと糾弾し、彼に対して「私は悲鳴なんか上げない」と沈黙を表明します。PVでは同様の境遇に置かれていると思われる女性たちが順々に映し出され、ラストシーンではバラバラの制服を着ていた彼女たちが揃いの制服──サイマジョの衣装──を纏い、サイマジョPVのファーストカットの舞台に集まってくるというシーンで終わります(ここマジでカッコいい)。

つまり、欅坂46は、制服を着た「少女」が傷を負わされ、それをきっかけに大人や彼らが生み出す社会、それを支える規範への抵抗を呼びかけていく物語を描き出すところから始まるということですね。そして、繰り返すようですが、「少女」の起源は明治近代において大人が規範を浸透させんとした試みの中にあり、社会や学校という場において醸成されていったものです。ですから、欅坂46が打ち出した抵抗のメッセージは、根本的な「少女」概念への抵抗にも繋がっていくのではないかという気がするんですね。「恋愛禁止」テーゼが象徴するように、現代社会における若い女性への「無垢であれ、純潔であれ」──つまり「「少女」であれ」というメッセージを一身に受ける存在であったアイドル、そのテーゼを強く打ち固めたグループの後継者である欅坂46が旗を振る「大人」が作る規範への抵抗はアイドル像の刷新のみならず、ひいては「少女」概念に対する抵抗の道を確実に舗装しているのではないでしょうか。

 さて、ここまで近現代における「少女」という表象の流れを自分の関心領域中心にまとめてみました。この流れの中に「白いワンピースの少女」もいる、ということになるのでしょうね。次号では(出ればですが)、ついに「白いワンピースの少女」にもきちんと迫っていきたいと思います。

アイドルと東京グランギニョルの話したかっただけっすねこれ。あと「今夜は内藤」というペンネームが気に入ってます。今夜は、Night ♪♪♪

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