8/23  恋する文学坊や

絵本を売って神になった男こと西野亮廣についてぼくはよく知らないけど、とにかく絵本が成功の鍵だったことはわかる。ぼくも絵本で一山当てたい!絵本を描くしかない。そもそも幼稚園の頃の夢は絵本作家だったのだ。正確に言うと絵本作家orウイルスの研究者だった。卒園アルバムにもそう書いてある。オレンジの枠内に注目。

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すべてのひとのびょうきをなおしたい!?天才すぎる……周りのアホがオラ、ウルトラマンになりたーい、とか飛行機〜!とか言ってる時に!?まぁ周りはそんなこと言っていなかったし、ぼくが天才なら二つ上も天才だ。余談ですがこの「おおきくなったらなにになりたい?」というページ、女子の「フィギュアスケートのせんしゅになりたいです」率の高さからは当時の荒川静香ブームを思い出し、「スチュワーデスになりたいです」の中に「キャビンアテンダントになりたいです」が一つ混じっているところに時代の節目を感じる。ちなみにウルトラマンになりたーい!はいなかったがポケモンになりたいです、とウルトラセブンになりたいです、はあった。ウルトラマンあるじゃん!ウルトラマンになれましたか?どうでも良いけどこのリスト見ると最近コロナに罹った人が二人もいるぞ……。

そんなときに頼れるのが「②すべてのひとのびょうきをなおしたいので、ウイルスのけんきゅうがしたいです」と6歳にして語った不世出の神童である。思えば、この時が自分の文理選択だったのだ。早っ!

結局「② すべてのひとのびょうきをなおし〜」ルートを断念し……というかそもそもウイルスの研究者になりたいと思った覚え、ないんだよなぁ〜。ぼくはDVDで見た『爆走戦隊カーレンジャー』のブルーレーサーか『魔法戦隊マジレンジャー』のマジピンクになりたかったんだが……あとジェダイになりたかったんだが……結局ウルトラセブン-ポケモンのラインだった。

たぶん「② すべてのひとのびょうきをなおし〜」ルートが生まれたのは当時どうしても出たかったお遊戯会にインフルエンザで出られなかった怒りからじゃないか、と思っているが……どうだろう。しかし怒りは続かず、選んだのは「① えほんさっかになりたいです」ルート、文系を選んだぼくはこの後小学校3年生まで小説家→4年生で詐欺師を挟んで小説家→中学から漫画原作者→高校からは脚本家、政治家付きの宣伝屋、宗教家、批評家、ライターなどなどの将来の夢を色々と変えていくことになる。

ちなみに小学3年生のとき小説家をやめたのは一冊書いたからです。ぼくが書いたのは『三年五組はおおさわぎ』という転校生小説……転校生小説?ある日転校生がやってくることでクラスに波乱が起きるやつ、あのジャンル……多分どっかのコピー屋で製本しました。なんと表紙の絵もぼくが描いた、校舎がガタガタすぎる。

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軽い同人誌くらいのサイズ。

そしてその完成品のうち一冊を、当時好きだった女の子が転校してしまうときにあげたのだった!恋する文学少年……坊や?恋する文学坊やである。どこに引っ越したかって東京→神奈川である。神奈川かよ!!しかし9歳のぼくには神奈川はマジで遠かった、今20歳のぼくなら例え神奈川に恋人が住んでいたとしても決して遠距離恋愛などと言わないだろうが、文学坊やは小学生の頃まで、世界っていうのは自分の目が届く場所なんだって漠然と思っていたのだ……そんなぼくたちは、まるで宇宙と地上に引き裂かれた恋人みたい。と思っていたのだ……。

文学坊や、次回作は絵本です。絵本か童話。打倒西野。



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