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私がブログを書く理由。

※2021年11月26日(金)執筆※

今日は、おばあちゃんの命日だった。
今の私の状態を見たら、おばあちゃんは、どう思うだろう。

おばあちゃんは、咽頭癌で亡くなった。
足腰は元気だったのに、癌にかかってしまってから、1年くらいで一気に元気が亡くなった。
手術で癌を摘出するも、転移が見つかった。

最後に意識のある状態のおばあちゃんと話したのは、去年の9月末くらいだったと思う。
仕事で落ち込んでいた私は、家族でおばあちゃんのお見舞いに行って、ふと、おばあちゃんと2人きりになる瞬間があった。
癌で動かしにくい口を一生懸命に動かして、窓の外を指差して、おばあちゃんが「とんぼ。」と一言だけ話してくれたのを思い出す。
「あ、ほんまや!」と笑顔で、おばあちゃんに笑いかけたのを覚えている。
その頃はまだコロナウイルスのせいで、面会人数が制限されていて、2人ずつしか面会が出来なくて、私は従姉妹と一緒に面会していた。
おばあちゃんとの会話もそこそこに、父や伯母と面会の担当を交代した。
帰ってきた伯母に「おばあちゃんな、”ヒコちゃん元気なかった”って心配してたで」と言われた。
一生懸命、笑っていたはずなのに、おばあちゃんには全てお見通しだったみたい。

それからまもなく、おばあちゃんの病状は悪化して、麻酔のせいで、意識が朦朧とする日々が続いて、会いにいっても、それ以来、まともな会話をすることができないまま、おばあちゃんは亡くなった。
おばあちゃんにとって、最後の私の印象は「元気がない」のまま、おばあちゃんは亡くなってしまった。
亡くなる前に、おばあちゃんが実際に思い出してくれた私は、どんな私だったかは分からないけれど、1年経った今でも、もっと元気な姿を見せて安心してもらえたら良かったと、ずっと後悔している。

無理して笑っても見抜いてしまうおばあちゃんだから、きっと、今の私のことも、天国で心配しながら見守ってくれているのかなと、柄にもなく思う。

早く元気になりたい。

おばあちゃんの命日の午前中は、やっぱり調子が悪くて、仕事を休んだ。
身体の節々が痛くて、身体全体が重たくて、とても仕事ができる状態ではなかった。
でも、珍しく、午後から外に出て散歩でもしようという気持ちになった。
帰省中の叔父のギターがうるさくて、ゆっくり寝ていられなかったのも理由の1つだった。

しばらくの体調不良のせいで、シャワーもまともに浴びていなかったので、久々にちゃんとシャワーを浴びた。
そこで、おばあちゃんの命日なので、おばあちゃんのことを思い出していた。
さっき書いた後悔の念をまた思い出して、辛くなった。

それと一緒に、このブログのことを考えた。
私は、文章を書くのが好きで、今の仕事から離れたら、物書きとして生きたいと思っている。
そのためには、やはり「見せる文章」というものを書かないといけないし、自分の存在というものをアピールする場が必要かなと考えていて、このnoteを再開させなければと考えていた。
でも、こんな状態の自分の考えをツラツラと残して、何になるのだろうと、方向性を見失っていた。
けれど、ふとシャワーを浴びている時に「いや、逆に考えて、この状態の自分でしか残せない文章があるのではないか」と考えた。
同じような経験をしている人に共感を与えたり安心感を持ってもらえたりするかもしれないし、そうじゃなくても「こんな奴もいるんだな」という発見にもなるかなと思った。

これから自分がどうなるか分からないけれど、とにかく”自分がこの瞬間を懸命に生きていることを残せるんじゃないか”と。

これが、私がブログを書く理由になった。

初めて、この状況の自分をポジティブに受け入れることができた瞬間だった。
おばあちゃんのおかげかな。

シャワーを浴び終わった私は、清々しい気持ちで散歩に向かった。
その話は、また別で。

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