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訪問看護〜挫折〜

訪問看護人生の中で唯一1度だけ
「もう辞めよう・・・」
と挫折し心にポッカリ穴が開いたことがありました。


3年目に入ると1人で任せてもらえることが増え・・・
そうです、はい、​見事な天狗​になりました・・・。
その患者・家族との関りは今でも鮮明に記憶している。

ご主人は家族にすら起こる時は狂気の如く怒鳴る人。
他人に対しては基本無反応で気に入らない時は怒鳴り散らす。
そんな中でも奥様は献身的に介護を行う。
介入当初は私も「無視」「怒鳴られる」の連続であった。
しかし、ふとした話題から話が膨らみ口数が増え関係性が構築されていく。
奥様からも「唯一あなたには心開いてるみたいよ」と。
それと同時に奥様からの信頼も厚い物になっていっていた。
ここで見事な天狗に・・・

私の継続的な説得で福祉用具の導入が決まった。
しかし、いざ搬入となったタイミングで「やっぱり嫌だ、帰れ!!」
と超絶拒否が始まってしまった。
※当時は何で?と思ったが今ではその理由が容易にわかる。

その時に奥様から私宛に
「あなたの言う事なら聞くはずだから来てほしい」
と切実な連絡を受け現地に向かう。

結果として説得できず導入できずに終わった。
本人から「看護師だ?いい加減な仕事してんじゃねぇよ。「ふざけるな」
など散々な罵声を浴びた。
その後、リビングに向かうと「HIKOさんでもダメか・・・」と
膝から崩れ落ち落胆していた奥様が居た。
「これが落胆か・・・」と絵に描いたような光景だった。
このエピソードは脳内に鮮明に焼き付いている。

天狗になり、相手に期待をさせ、落胆させ
激しい虚無感に襲われて仕事を欠勤し1日中河川敷に座っていた。
翌日何とか出勤し「もう無理だ」と所長に伝えた、涙が止まらなかった。
所長はそんな私の心中を既に理解しており「リハビリしよう」と提案してくれ
他のスタッフもリハビリを支えてくれた。

1か月ほど経過して久しぶりに上記患者宅へ訪問した。
正直どんな反応をされるのか怖かった。
「辞めちゃったかと思ったから安心した。」「あなたが来てくれるの待ってたのよ。」
といつもの笑顔の奥様がいた。
本人も普段通りに不愛想であったが普段通りに雑談もできた。
これで私自身、完全に復活することができた。

そのような経験があったからこそ某ドラマの某名セリフ
「私失敗しないので」
を今後の訪問看護人生で極めて行くことになる。

余談ですが・・・
私が退職した後に他スタッフに対しご主人が
「HIKOさんは新天地に行ったんですね、活躍しますね」
と言っていたと風の噂で耳にした。


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