都市封鎖について

基本的に社会問題について言及する積もりは無かったのだけど、在宅と施設という違いはあるが、私は当事者家族なので黙っている訳にはいかない。老人や障害者や病気がある人は政府の無策で殺されても、これは仕方がないという事を、平気で一般人だけではなく政治家でさえも言うようになった。

もし仮に自分の大事な人が、こういう状況に追い込まれてしまう事を自然淘汰であると正当化する事は出来るであろうか?私はそれは出来ない。新型コロナがここまで蔓延してしまったのは政府の無策に原因があるからだ。これは老衰で死ぬのとは訳が違う。

有効な特効薬もない状況で、現段階で考えられる最も有効な手段は人の流れを止めるより他に方法がない。人命を守るためには出来るだけ感染拡大を阻止すべく出来るだけ人との接触を避け留意する事を心がけざるを得ない。何よりも医療現場が崩壊してトリアージを余儀なくされる事態は、絶対に避けなければならない。

そして封鎖による損害は所得補償をしっかりする事で阻止出来るのだし、これは絶対にやらなければならない事だ。況してや対外資産を世界一保有している国家だというのに、それなのに民の暮らしを守ろうともせずそれをやろうとしないまま自粛だけを要求するような糞でしかない政府を批判しなければならないのに、完全に敵を見誤っている。

自粛を行う事で路頭に迷い生活が破綻する結果、財産のみか生命の危険さえあるという状況の中、感染症の恐怖に怯えながらも先細る収入と雇用の為に自粛が出来ない状況があるというのに、そういう所に自粛せよと嫌がらせをするという事が起きている。結局はここを放置して感染症の拡大を阻止する事は出来ないのに、経済活動をしている人を差別したり、中には嫌がらせをしたりしている。どう考えてもおかしい。

インドにおいて所得補償も無しでそれをやった結果、食べていけない人々が続出する結果になった。こういう愚行は断じて避けなければならない。

本来はどう考えても感染症の拡大阻止には、感染していく経路を出来うるだけ減らさなければならない。問題はそれを行う場合の経済的、社会的補償が全く追い付いていない事に問題がある。それなのに感染症の阻止には現段階では人の動きに制限をかけるより他に方法がないのに、無理矢理に無責任に免疫力に期待する事で政策による生命の取捨選択を正当化し、かえって医療崩壊を起こすという愚行を招くというのに、それを多数の生活の都合から感染によって自分の親が殺されるのを容認せよという。何故政府の無策で自分の親が殺される事に甘んじなければならないのか?確かに生活が辛いのはわかるが、では生活が辛いからお前死ねと要求される社会って、根本的にどうなんだろうか? 

そして、結局は自分の生活の為に他者を殺す事を容認するのであれば、それは相模原で障害者は社会の荷物で負担になるからと相次いで殺害した植松と全く同じロジックではないのか?

スウェーデンがやっている事は、文字通り、それだ。過去の障害者に対する断種政策への反省が全く為されて居ない。これもインド同様に棄民政策だ。

実を言えば、多くの人間は相模原の犯人の思考とそう違いはないのだろう。だからああいう事件が起きても私は全く驚かなかった。そしてその考え方は社会に根強くあって、あの犯人はそれをただ単に実行に移したに過ぎない。

生命の質が天秤にかけられ、お前は左お前は右と篩にかけられ、使えないと判断されたら、即座に殺虫剤で殺され、選別された側は強制労働に従事させられる。実際、アウシュヴィッツと良く似た構図が、こういう非常事態には明確に可視化されやすい。

実際、きちんとした所得補償もないまま、コロナ感染に怯えながら労働に従事せざるを得ない状況に追い込み、やがてその仕事さえも奪われ、失業し、ネットカフェからも叩き出され、行く宛もなくスーパーでカップ麺を盗んで逮捕されるという状況がある一方で、これまたコロナで自宅待機を訴える歌を歌った歌手の動画に只乗りして、茶を飲んで犬と戯れる動画をあげてたのがいた。

文字通り、そういう状況で私などは真っ先に殺される側であり、抵抗しようにも国家権力相手に一人で抗議してもどうにもならない事は百も承知だが、それでも、今後、殺されるにしても殺されるのは冗談ではないという事位は、人としての誇りとして書いておく事にする。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200428-00000004-asahi-soci

右や左の旦那様、人生オワコンの中年ニートのキモいオッサンにも、お恵みを.... 愛の手を... と書いてみたけど、こんな糞ニートをサポートする奇特な方などおりますまいが、それでも人生オワコンの引きこもりの糞ニート、出来るだけ面白い記事を書くように頑張ります....