3月の今日のはなし

早起きしてどこかに向かう朝は、こころがざわついて、胸がキュッと苦しくなる。別に誰のことも想ってないのに。


いつもは待たないと渡れない信号も、確認なんて不要なくらい簡単に渡れるし、人を縫わなきゃ通れない道も、好きなように歩ける。
それでも端っこを歩くけど。


朝8時に予約した整体に向かいながら、静かな街の様々に、五感が揺さぶられる。


車がまだ多くない空気は、暖かいのに澄んでいて、遠くにある花の匂いを運んできた。


春だ。春は苦手だ。
若々しくエネルギッシュな色と、これまでの記憶とで、うっと、少し胸焼けしそうになる。大きな決断や、大きな別れも、春が多かった。


今だって、大きな決断をして前に進んでいるのだけれど、確かにここに生きているのに、ふと、自分がどこにも存在していないような感覚になる。



今日行く整体の先生とは空白期間も数えると、5年ほどの付き合いになる。
20代半ばに出会って、1年くらいそういう関係だった。お互い色々あって、なんとなく疎遠になってしまった。


また通おうと思ったのは、体の不調がピークを迎え、誤魔化しがきかなくなったから。
去年の8月頃からまた、通いはじめた。


彼は本当に腕が良かったし、なにより、すべてを知っている彼の前では、リラックスして体を預けることができた。
色んなものに無意識に緊張してしまう自分にとって、ありがたかった。


ノラ猫が家猫になったような感覚に似てる気がするなと、施術を受けながら、ふと今日思った。だらんとできる。


整体が終わって、子宮がん検診を受けるため、産婦人科に向かった。
諸々の検査が終わり、待合室に戻ると、若い夫婦が座っていた。


男性の方が、3年ほど前に付き合っていた人にとてもよく似ていて、ギョッとした。


恋人がいないことを不幸だと思ったことはないけれど、今日はその光景が眩しすぎて、少し離れた席に座った。


すべて消したと思っていたその彼の写真を、偶然、友人たちとのグループライン上で発見し、もやもやしたのが2日前のことだから、あまりのタイムリーさに、心がついていかなかった。


なんなんだ、今日は。ざわざわするな。
悲しい記憶はどこかに置いて、経験だけを未来に持っていければいいのに。
情景なんて、浮かばなければいいのにな。


でも、この痛みを知ってるから、人に優しくできるんだもんな。自分にも。
てきとうに生きてこなかった証拠かな、と思って、ごろんとベッドに横になった。



久しぶりに早起きした日は、どうも眠い。
見たい夢があった。夢は選べますようにと願って、ゆっくり目を閉じた。

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