「家は家、よそはよそ」って反社会的じゃね?
私は酒飲むと恐ろしい駄文を書きます。謝れる時に謝って置きます。
くだらない話だけど、節分になるとどうしても思い出してしまう。「家は家、よそはよそ」と言う言葉。
家のルールとしていくつかあるくらいなら仕方ないのかもしれないけど、私の人生が呪われたのは、殆ど全てに置いてが「家は家」だったからだ。
これはあまりに多岐に渡ると!本当に反社会的になってくる。家の父親は教師だったが、「友達なんか必要無い!」と私を怒鳴った事がある。
この親の下で引きこもらない可能性の方が低いと思う。今では親に脅しをけられるくらい立場が強くなったから、
お前は自分の教え子の子供達にもそう言ったのか? と何度か責めた。答えはなかったけど。当たり前だけど生徒にはそんなこと言わない。私に対しての行いは、全てDVだったのだから。
所で、家は家、よそはよその究極系って、カルトの家庭に産まれた子供だなと思った。統一教会の二世の話を聞くようになってだけど。
間違っていると思っても、痛みや恥をもって教え込まれた事を、自分の中で否定するのはとても労力がいる。
どんなおかしいものだとしても、自分の根幹を否定するのはとても苦しいものだから。親を憎んで教義を憎んでも、そこから抜け切れない人もいるかもね。
最近の腹立ちポイント。万座温泉に行って来たんですが、行っただけで疲れてしまった。温泉は最高だけど。
だが、若い頃に呪いがかけられていなければ、温泉入ってスキーも楽しむなんて事が出来ただろう。その頃の私は、
「私は他の人と同じように幸せになってはならないんだ」と本気で思っていて、同世代の集団を見ると本気で泣いてしまったりしていた。
家は家、よそはよそという呪縛の強さのせいで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?