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ひきこもりが苦しい理由

今日は久しぶりに「ひきこもり」に焦点を当てたお話をしたいと思います。

私は自ら好んで「ひきこもり」になっています。

社会に出たいなんて1mmも思っていません。

でも時々、イキイキとした表情で働いている人を目にした時

好きなことをやっていて楽しそうな人を目にした時

正直、羨ましかったりします。

そして何者でもない自分に虚無感を感じ、不安になります。


突然ですがここで質問です。

私のように好んでひきこもりをやっている「コモリビト」さんたちは

一体どのくらいいると思いますか?

コモリビトさんたちがみんな

「社会に出たい」「今の状況を何とかしたい」と思っていると思いますか?

いえいえ、そんなことありません。

以下は1年前の東京都での調査結果です。

「ひきこもり当事者が支援・相談を望んでいない」が75.1%だったんです。

これはひきこもり当事者の7割が自らの選択で

「コモリビト」をやっているという事実です。

支援者の方はがっかりする結果なのではないでしょうか。

でも、3割の当事者は社会に出たい、

今の状況を何とかしたいと望んでいるわけです。

その3割の当事者は決して一人では社会に出られません。

支援者の方が寄り添い、道しるべとなり、

補助線を引いてあげることがとても重要なことなのです。


話を戻しまして、

ひきこもりを好んでやる理由ですね。

私の場合は社会に対する不安や恐怖を感じているからです。

社会に出る事は「自分が犠牲になること」を意味しているのです。

社会に出ると苦しい事ばかりです。

社会経験のない自分の価値の無さを思い知ったり、

テキパキ仕事が出来る人と自分を比べて落ち込んだり。

社会というのは傷つく場所だと思っています。

でも、実はそうでもないのかもしれないな~と

最近考えるようになりました。

それは発達障害である私がひきこもりであるのと

一般的な人がひきこもりであるのには

違いがあるのではないかと考え始めたからです。


ひきこもりの世界ってどんな世界だろう。

それは、自己中心的で子供じみた世界だと思うのです。

そんな自己中心的な世界で自分の事を責めたり、否定したりし続けている。

自分に向き合う事から逃げてスマホやゲームに没頭する。

この自己中心的な世界って、

まさに小・中・高・大の世界と全く同じなのです。

子どもの世界は自己中心的で競争社会そのものです。

私は小・中・高・大に馴染むことができず、明らかに劣っていました。

未だに劣等感を抱いています。

競争社会というのは人間同士が群れて成り立っているわけではなく

個々の人間同士が互いに傷つけあう世界です。

もちろん、私も例に漏れることなく傷つきました。

そうして小・中・高・20代の競争しすぎる社会で揉まれ

トラウマを抱えたり、傷ついた経験の多さから

社会に対して「社会は怖いものだ」と感じ、ひきこもるのです。


ではなぜ自己中心的な世界で生きる事に苦しみを感じるのか。

それは、言葉の通り。

「自己中心的」だからです。

ひきこもっていると自分にしか意識が向きませんよね。

自分の事を考えれば考えるほど自分が嫌いになっていく。

自分の事を見れば見る程醜く見えてくる。

要は自己に意識が向き過ぎるとしんどくなるのです。

今の私は「コモリビト」。

社会に出る事は「社畜」になることと同じで

社会に出る事は苦しいことだと思っていますが

こう考えてみるのはどうでしょう。

「社会の歯車の一部になる」

歯車と聞くとマイナスなイメージがわくかもしれませんが

誰かが回してくれるから歯車は回るのです。

歯車の一部になるということは

自己を緩やかに失う気持ちよさがあるのではないかと思います。

自分で考える必要がないんです。

自分を捨て去ることができるのです。

自分に向き合う事が無いというのは

ある意味とても「楽」な生き方なのではないかと思います。

そう、社畜化する事自体はとても楽なことなのではないかと思うのです。

「楽」と一言で言ってもいろんな意味合いがあります。

①何かに所属しているという安心感

②社会の一部に自分がいるという一体感

この2つの感情を持ち合わせていると気が楽になるような

そんな気がします。

社会は個人の力で成り立っているものではありません。

あくまでも群れで成り立っているのです。

群れる事に競争は必要ないので、傷つけあう必要もありません。


でも、社会に対してのトラウマは簡単に無くせるものではありませんよね。

トラウマや傷ついた心を癒していく事が最優先なのです。

そうして心を十分に癒してようやく

第一歩を踏み出せるような気がします。

社会に対しての固定観念を見直し、

人と繋がるのも悪くないなと思える機会があれば出向いてみたり。


こんなこと言っている私ですが、

私はいろんなことを諦めているので

ひきこもり自体が悪いとは思いません。

むしろひきこもれるくらいの最低限のお金があれば

好きなだけひきこもればいいと思っています。


でも、インターネットに繋がっていないパソコンを想像してみてみください。

パソコンはインターネットに繋がっていて「なんぼ」です。

確かに、インターネットに繋がっていないパソコンは

ウイルスにかかることもなく、安全です。

ですが、不便です。

安全なようで不便。

ただの金属の塊ですから重いだけです。


社会に出る事は働くことだけではありません。

近所のひとに「おはようございます」とあいさつしてみたり

自分の食べたいものを料理するために料理してみたり

そのためにスーパーへ行くのではなく

わざわざ個人でやっておられる八百屋さんに通ってみて

何度か通っているうちに顔見知りになって世間話してみたり

初めはそんな程度の事でいいのです。


まあ、ひきこもりの私がこんな話を力説しても

なんの説得力も無いわけですがw


「できないことをどう扱うか」が大切で

自分を「客観的に見る事」も大切です。

先程私は「いろんなことをあきらめている」と言いましたが

具体的に何を諦めているのか。

以下の5つです。

①友達を作ること

②できない事をやろうとすること

③社会性の強い場所(上下関係や序列の強い場所)にいく事

④普通になる事

⑤短眠すること

できないことをあきらめて、やれることorやりたいことをする。

楽しめる事をする。

一緒に居たいと思える人と話す。

これを貫いていればおのずとどこからともなく

自分の欲しい人とのつながりを

手に入れられるのではないと思っています。

だから私はブログを書き続けたい思っています。

私はこれしかできないし、やりたいことはありませんから。

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