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自分を生きている感覚がない

 私は約6年程のひきこもりの経験がある者です。
 何度も記事を書いては消してを繰り返していました。やはり、「自分を出す」ということに対して強い抵抗感があります。無理矢理しようとしているわけではなく、自分の何かを打破したいと思い、noteを始めたのですが、具体的に書かないと読んでいる方に参考にならないと思いつつも自分が削られる感じがして詳細を書きたくないという葛藤がありました。
 この「自分を出したくない」という感覚と「自分を生きている感覚がない」は重なっている部分があるのではないかと思います。

 いつからか、「自分を生きている感覚がない」と感じてきたのですが、ここ最近また強くそれを感じていました。人との関係が希薄だからかなと思うのですが、「寂しい」とは違います。誰かと仲良くなり、プライベートで遊びに行くこともあるのですが、だんだんと小さな我慢とか違和感が積み重なって苦痛に感じ、離れます。他人といると自分らしくいれない気がします。だから”合う人”と出会えていないだけなのかな?とも思うのです。(とてもポジティブに考えれば…ですね。)
 どこかのコミュニティに入ろうかと何度も思ったこともあるのですが、自分のことを聞かれたくないし、仕事もあまりできていないので聞かれたくない、お金も切り詰めているので経費がかかることが気になり過ぎて楽しめません。
 家族とも仲が良いわけではなく。必要な会話をする程度です。むしろ距離が近くなりすぎると辛くなるのでできるだけ距離を保つようにしています。というか、今まで家族の言葉を受け止め過ぎてひきこもってしまうような自分にならざる終えなかったような気がしているのであまり聞かないように間に受けないようにしています。

 「自分を生きている感覚」はどうしたら感じられるのでしょうか?このことを最近強く感じたのはオリンピック選手のキラキラ輝く涙とか心からの笑顔や悔し涙を見たからだと思います。「あぁ、この人たちは自分をちゃんと生きているな」と感じました。最初は夢中で見ていたのですが、いつの間にか自分が乖離して「私はこんな風に生きれていない…」という羨ましさと疎外感を感じていました。好きなことができていたら自分を生きれているのか?仲間がいたら?ありのままの自分出せて、それを受け入れてもらえたら自分を生きていると思えるようになるのでしょうか?

 


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